いつも、相手のことがわからないと思っている。
わからないと思いながら笑ったり驚いたり嫉妬したり、毎日おろおろしている。
話したい、のに話しかけるのが面倒でうやむやになってしまうことばかりな気さえする。
わかりたいのは不安だから。自分ばかりが求めてしまうことに辟易しながら、わからないからあなたとかかわりたいと思う。
お前はいつも鬱陶しい!とつっこみながら読んでもらえたらうれしいです。
一度きりの
(撮影:著者)
お祭りが好きで、とくに盆踊りがある祭りはなおさらいい。紅白幕の巻かれたやぐらの上から四方へ提灯が連なって、暗くなればその一つひとつが灯って夜を照らす。馴染みの曲もそうでないものも、音楽に合わせてそれぞれがゆらゆらと踊りながらやぐらを囲む。それを遠くから眺めているだけで、満足である。
ここ山口に越してきてからも、毎年近所のものから市を跨いだちょっと遠方のものまで、いろんな祭りに出かけてきた。4、5年前に訪れた柳井の金魚ちょうちん祭りでは電飾が巻かれた真っ赤な巨大金魚の神輿を人々が高速で回転させていて、それはいかにも狂気じみて面白かったし、下関豊田のホタル祭りでは、祭りの喧騒を背後に、静かな川辺でホタルを観察することができた。ついこのあいだ、夫が知人から聞いたと言って、初めて行った長府の数方庭祭は「天下の奇祭」と呼ばれるだけあって、思い出してもあれはいったいなんの祭りだったのか。ゆうに10m、いや20mはある竹をいかにも屈強そうな男性たちが一本ずつ担ぎ、お囃子に合わせてぐるぐる回る。2時間近くあるその本祭のフィナーレを見届けられなかったが、近くの立ち飲み屋の店員曰く「1800年の歴史がある」そうだ。まさにその土地ならではの祭り。この時期、各所で同時に開催されることも多く、できるならすべてに参加したいくらい、わたしは祭り、それも夏の宵祭りが好きなのである。
夫はわたしが夏祭りジャンキーであることは承知で、文句も言わずよく付き合ってくれるが、どうもわたしが祭りを好きなのは「屋外で堂々とビールが飲めるから」だと思っているらしい。間違ってはいないが、わたしは何より、祭りに繰り出す人々の楽しげな空気感、高揚感のなかにいることが好きなのである。そのなかで飲む酒が、いっとう好きなのである。はあ、そうなんだね。よかったね、また今年もお祭りに来れて。夫はあきれたように言う。伝わらないのがもどかしい。
浴衣を着ておめかしした女の子、ラムネを手にはしゃぐ男子小学生の集団、親子連れ、ランニングシャツにステテコ姿の男性。どこか高揚したそれらの横顔とすれ違うたびに、ただ楽しい。というか、とてもうれしい。祭りの人々を眺めるうちに、そのなかに子どもの頃の自分もいるのではないか、という気がしてくる。毎年浴衣を着て、友だちと連れだって歩いた。反響する盆踊りの音、辺りはだんだん暗くなり、吊るされた提灯がくっきりとだいだい色に浮かびあがってくる。友だちの声がやけにくぐもって響き、さっきまで汗ばんでいたのに、いつの間にか夜風が心地いい。
通っていた小学校には「夕涼み会」と呼ばれる夏祭りがあった。最後には花火も打ち上がる立派なもので、夏休みに入ってすぐの土曜日に開かれるそれが、毎年楽しみで仕方なかった。何時に行く? どんな浴衣? 帯何色? 髪型どうする? 誰が来るかなあ、などと話しながら友だちと夕涼み会のポスターを作ったことを思い出す。有志の児童によって描かれた手作り感満載のポスターは、会が近づくと町中に貼られる。目だけが異様におおきい女の子の絵を一生懸命描いて、今年は上出来、と思ってもふいに町の電信柱で見かける自分の絵はどう見ても下手くそで、そう気づいてしまえばたちまち恥ずかしくなるのだった。
校庭にはやぐらが組まれ、同じ学年のタカハシとアイキが上で太鼓を叩いた。いまも盆踊りは遠くから眺めるものだと思っているが、そういえば一度もちゃんと踊ったことはない。特に小学校高学年にもなると、だれも恥ずかしがって踊りの輪に入りたがらず、一曲でいいから参加したらアイスを奢ろう、と担任の先生に言われたこと。それなら踊ってもいいかな、と思ったけれど「行こう行こう」と友だちに袂を引っ張られ、うしろめたさを感じつつ焼きそばを買いに行ったこと。いつかの年には、カラオケ大会に出場して当時流行っていたZARDの「運命のルーレット廻して」を歌ったこと。一人で歌ったのだろうか? そんな度胸はないはずだから、きっと友だちと一緒に参加したのだろう。クラスの男子に「おまえ、歌うときいつもと声違うのな」と言われたこと。それが褒め言葉なのかどうか、当時はわからなかった。まだ小さかった妹を連れて、父が張り切って流しそうめんに参加していたのを、離れたところから見たこと。数年毎に買い替えてもらった浴衣の柄、鮮やかな黄色の兵児帯、リボンが出来あがったタイプの簡単な付け帯、友だちの蝶の髪飾り、最後は必ず痛くなる下駄の鼻緒のあたり。
そういうものが全部、これはもう、まごうことなきエモーショナルな感情となって、だからわたしにとって夏祭りは子どもの頃の思い出の象徴なのだった。
当時まだ多摩川や隅田川の花火大会など知らない小学生であったから、毎年夕涼み会の最後に見る花火は大層立派なものだった。卒業後に懐かしんで訪れる学校の校庭の狭さに驚くように、その花火とて、きっといま見れば大した規模ではないのだと思う。でも、それで十分だった。フィナーレのナイアガラと呼ばれる花火は終わらない黄金の雨のようで、みんなでそれを眺めてから、父と妹と合流して帰路についた。すっかり着崩れた浴衣を脱いでTシャツに着替えてから、母が用意してくれたそうめんを食べる。フランクフルトも焼きそばもかき氷も、今日は好きなものをたくさん食べてお腹は十分くちくなっているけれど、「あんまりちゃんと食べてないんじゃない?」と母に促されてそうめんもかき込んで、夏休みはまだまだこれからで、来週のピアノの発表会は憂うつだけど、それが無事終われば神戸のおばあちゃんの家に行く。しかも二週間。楽しみなことで胸を、身体をいっぱいに膨らませて、わたしはひとりの、なんてこうふくな小学生だったのだろう。
あのときのことを思い出せば必ず打たれたように「戻りたい」と思ってしまうことは、かつての自分の悩みや苦労を矮小化するようで、どこか後ろめたい。あの頃抱えていたそのいっさいをいまのわたしは忘れてしまったけれど、いまの悩みの重さと比較できないだけの、あのときだけのしんどさがあったことはちゃんと知っている。それでも、これから起きるたくさんの「楽しみなこと」で頭のてっぺんから足のつま先までをぱんぱんに膨らませて、そうめんを頬張っていたわたしのことが、やっぱりしんそこ羨ましい。その先に、大人になったわたしが立つことを想像できなかった頃のわたしのことがどうしても、まぶしく思えてしまう。
地元の、もう一つの祭りへは中学生になってから友だちと出かけた。その頃は祭りで何がしたい、何が食べたいというよりも、ただ「好きな人は来ているだろうか」という頭のなかはその一心であった。話しかける度胸はないから、ひと目見たい、そしてできれば自分を見つけてもらいたい。そう思って張り切って浴衣を着た。一緒に行く友だちにもそれぞれ好きな人がいて、あ、○○いたよ、うそ、2組の男子たちと一緒、えー、どうしよ、話しかける? などと言い合いながらやっぱりどんどん日が暮れて、小学生の頃から馴染みの盆踊りの曲が遠くから聞こえてくる。
高校生、大学生になるとさらに足を延ばしてみなとみらいの花火大会や都内の祭りにも出かけるようになるが、それはこれまでの「夏祭り」とはまったく別ものだった。もちろん楽しいけれど、そこでは好きな人とも、友だちや先生ともすれ違うことはない。狭いコミュニティのなかで何度も同じところを行ったり来たり、それぞれがカラフルな熱帯魚のようにひらひらと泳いでいたあの時の祭りが、やっぱり一番楽しかった。
家族で夏祭りに出かけるようになったいま、母が子どもの甚平を選んでくれる。綿100%で着やすいと思う、やっぱりこの黄色がかわいいかなと思って、などと言って送ってもらったこの甚平の色や柄が写真に残って、それが子ども自身の思い出になっていくのかもしれない。わたしも三歳の頃に着せてもらったピンク地に色んな果物の柄が浮かぶ浴衣を覚えている。というより写真に残っているから、それをよく知っている。
つい先日、夫が学生寮の宿直で夜に家を空ける日、思い立って子どもと二人、ちょっと足を延ばした神社の祭りに行くことにした。ええっ、さすがに遠いよ、行きは車で送るけど、帰りはバスを乗り継がなきゃいけないよ、ひとりじゃ大変だよ、疲れるよ、などといたく心配されながら、それでも決行した。祭りに子どもと二人で行くのは初めてである。ここ数年、盆踊りのある祭りには行けていなかったから、子どもとあの懐かしい雰囲気を味わいたかった。
案の定というか、じりじりと暑いなか抱っこしてかき氷の行列に並ぶだけで疲弊し、肝心の盆踊りは怖がられ、結局神社の隅で砂利をせっせと運んだり積んだりするのに子どもは夢中になり、そんなふうにしてバスが来るまでの時間をつぶすことになった。ちょっと遠巻きに祭りを観察すれば、タンクトップのおじさんが腕組みをして盆踊りを厳しい眼差しで眺めている。夏祭り俯瞰おじさんだ、と思う。子どもたちは駆け回るだけで楽しい。家庭科で作ったと思われる、キルティングのリュックを背負った男の子、野球のユニフォームでここに来た少年たち、黙って座ってヨーヨーを持たされている大人。帰りのバス停では、居合わせたおばあさんが「最後にやったお菓子撒きはだめだね、もうぜんぜんケチ。だって飛んでくるのは飴玉ばっかりよ、隣の祭りのほうが断然いいわね」などと厳しい評価で笑ってしまう。
夏祭りに出かけるたびに、浴衣を着た女の子たちにかつての自分や友だちを投影してしまう。懐かしくて、いやそんな遠巻きに眺める思い出としてではなく、それはこんなにとありありと、いまもわたしのなかにある。と同時に、もうこんな遠くに来てしまったんだ、と思いもする。夫がいて、子どもがいて、いまにはいまの悩みがあって、なにもかもが遠すぎる、と。わたしはほんとうには、全部なかったことにしたいのだろうか。そんなことはないはずなのに、ひとりの、一個の、どこにでもいる小学生だったあの頃がまぶしくて、あんまりどうしたってそれは輝いて見える。
ただその日その日をやり過ごすしかないような、息を詰めて週末だけを頼りに生き延びるような、その週末さえも怠惰に過ぎ去ってしまうのを見送るだけの、いまを思う。すべてがなにかのはじまりですらなく、ただ前夜であったあの頃、身体が夢のように軽かったあの頃、でもほんとうには全部張り裂けそうなほど不安だったあの頃。思い立って戻りたいだなんて、だからおこがましくて言えない。ただ、大丈夫、って何度も言い聞かせて泣くこともできないいまの自分は不憫だな、と思う。小学生のわたしだって、泣くのをこらえるばかりだった。でも、こらえるのが下手でいまよりももっと涙はこぼれやすかった。すぐに唇がふるえ、気づけば頬は濡れ、目は真っ赤になるからだれかに気づかれる。おおきな感情に飲まれても、いまは無表情のまま処理することもできる、それが大人になることなのであれば、それはあまりにもさびしい。
久しぶりに聞く盆踊りの音楽は、そんな風にセンチメンタルな気分を加速させて、子どもを背負いながらの帰路をゆく。思い出せば思い出すほどに、強烈に戻りたくなる。戻りたい、というよりわたしはあの頃の自分に出会いたいのかもしれない。いっそ大人のままで、一度きりの夏休みを謳歌するかつての自分に出会いたい。わたしはビールを飲みながら、遠くから小学生のわたしを眺める。ああ、タンクトップで腕組みして盆踊りを厳しい顔で眺めていたおじさんも、もしかして同じだったのだろうか。険しい表情に見えたけれど、ほんとうは子どもだったかつての自分の姿を探していたのかもしれない。
すこし先の未来のことを、まだ何も起きていないはずのことを悲観しなくてもほんとうは大丈夫。ふり返って苦しかったことも大変だったことも、何かは何かに避けがたく繋がってしまうのではなく、ただそれとしてあるはずだ、と思う。だから楽しいと感じることを感じるまま、大きな口を開けて、たくさん笑ってほしい。うれしいことで全身をめいっぱい膨らませて、この一度きりの夏を楽しんでほしい。
1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。
著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)がある。
晶文社スクラップブック「おだやかな激情」連載中。