わからなくても近くにいてよ

この連載について

いつも、相手のことがわからないと思っている。
わからないと思いながら笑ったり驚いたり嫉妬したり、毎日おろおろしている。
話したい、のに話しかけるのが面倒でうやむやになってしまうことばかりな気さえする。
わかりたいのは不安だから。自分ばかりが求めてしまうことに辟易しながら、わからないからあなたとかかわりたいと思う。
お前はいつも鬱陶しい!とつっこみながら読んでもらえたらうれしいです。

第8回

そのとき書きたいことだけを

2023年11月21日掲載

(写真:著者)


 日記の話がしたい。けれど日記の話をする前に、日記とは関係のない話がしたい。
 まだ実家に住んでいた大学生の頃のこと、なんとなしにキッチンの引き出しを開けると、そこには昔母がスクラップしていたレシピのファイルがあった。2穴ファイルに雑誌の切り抜きや、手書きのものも雑に綴じられている。こんなもん置いてたってもう見ないでしょ、と思いながらぱらぱらめくっていると、ふと手書きレシピの裏に、いくつもの名前がメモされているのを見つけた。綾香とか愛、とか女性の名前のなかに「静香」といまの自分の名前がある。これは、名づけのメモだ。まだ自分が生まれる前に、母が書きつけたメモが残っていたのだ。
 わたしは、あのなんでもないメモのことがずっと、忘れられない。
 自分のことが、いや自分を思っていた母のちょっとした時間がそのまま筆跡として残っているのが、わたしはとてもうれしかった。もしかすると、これがわたしにとってこの世で一番の宝物なのではないか、とさえ思った。わたしが知りようもないそのときのことを思うと、それはどこまでも尊いように感じられるのだった。
 こんなに恵まれているのに、とあたまではわかっていながらやっぱりわたしはわたしの人生をそれなりに呪い、一度でさえ母に生んでくれてありがとう、だなんて伝えられたことはない。思っていないわけではないけれど、やっぱり生んだのはそちらの勝手だといまでも思う。でも、それとは別に生まれてくるわたしのことをきっと祝福してくれていたことが、どうしてもわかってしまうから、あのいくつも並んだ名前を思い出すたびに、どうしようもなく、わたしは肯定されてしまう。生まれてきてくれてありがとう、だなんて言われなくて全然いい。わたしには、あれがあるだけでいい。それだけがむしろいい。
 
 この話が日記とどう繋がるのかと問われれば、自分でも首を捻らざるを得ない。母のメモは残そうと思って残ったものではない。たまたま残っていた。日記はつけるものとして、書かれた時点で半分は保存の役割を果たしている。
 そもそもわたしにとって初めての日記は、交換日記だった。小学四年の冬、その頃仲良くなり始めたUさんから「ふたりで交換日記やらない?」と誘われた。交換日記なるものは、それこそ小学生になってからもう何度もやってきたが、三人以上でやるのが常であった。そしてそのどれもが、数ヶ月で頓挫するのだった。友だちから返ってこなくなることもあったし、自分が止めてしまうことももちろんあった。ふたりでやるのは初めてだ。いままで続けられなかったのに、ちゃんと一冊完走することができるだろうか。始めるからには、ちゃんと続けたい。そう覚悟を決めるまでにちょっと迷ってから「うん」と返事をして、放課後連れ立って近所のデパートの文具売り場で、一緒にノートを選んだ。お互いの名前の一文字ずつをとって、そのノートは「かよちゃんノート」と名づけることにした。
 かよちゃんノートは、じっさい10年以上続いた。ノートは結局全部で何冊になったのだったか、とにかくわたしたちは中学生になっても、高校生になっても、おまけにその後も細々と交換日記を続けたのだった。小学生の頃のかよちゃんノートはまだ幼く、もちろん日々クラスで起こる人間関係のあれこれについて記されてはいるが、それはほとんど独り言のようなもので、「どう思う?」などとどちらかが投げかけても、相手はろくに返事していなかったり、適当だったり、つまりそれぞれの日記が独立してある、という程度のものだった。ほかは次に遊ぶ予定を立てたり、自分でランキングを作ってみたり、1頁を使ってたくさんイラストが描かれていたり、とにかく自由なそのノートのなかで、わたしたちは楽しそうだった。
 それが、同じ公立中学に進む頃には、主に恋愛のさまざまな悩みについて、お互いが相手にとことん付き合うようになる。毎回何ページにもわたってその応酬は続き、しかも数日毎に交換していたので、とにかく隣のクラスのわたしたちはかよちゃんノートを書いては渡し合った。思えば登下校も一緒、塾も同じ、あんなに毎日会って話していたのに、それとは別に、わたしたちは飽きずにノートを交換し続けた。「かよちゃんは?」「ごめん、明日渡す!」「これ、かよちゃんにも書いたんだけどさ」「かよちゃんで言ってたあれ、ほんとはどう思う?」そんな風にわたしたちの会話のなかには、常にかよちゃんノートが存在した。
 いま思えば、わたしたちの間には「かよ」が本当にいたのだと思う。Uさんと永らく親しい友だちでいられたのは、あのノートがあったからだ。いや、わたしたちの間に、もうひとりの友人「かよちゃん」がいてくれたからだ。あれは小学生のノリでつけたノートの名前で、そんな深い意味などなかった、と当時は思っていたけれど、わたしたちはほとんど3人でずっと一緒にいたのだと思う。わたしと、Uさんと、かよちゃん。『アンネの日記』のなかでアンネがいつもキティーに話しかけたように、わたしたちはお互いに、「かよ」を通して悩みを打ち明けた。思春期の、こころがいつでもぐちゃぐちゃな毎日にふたりがいてくれたことが、自分にとってどれだけ支えになっていたか、はかり知れない。
 それでも、どうしてもまだ自分のなかだけに留めておきたいことは、ひとりの日記に書きつけるようになった。当時はそれを「日記」と呼んでいたわけではなかったが、そこには日付がきちんと記されて、その日に自分が感じたことが、書かれてあった。好きな人のことは、なぜこうも好きなのだろう。好きな人は、なぜ自分を好きではないのだろう。そんなことばかりが、くり返し書かれている。自分がその人を好きでいることのみに満足できず、同じだけ好きになってほしくて、そんなの簡単に叶うはずもなく、ずっとそのことに苦しみながらも、けれどそこに挿入されるようなかたちで日々起こる楽しいことも、同じだけうんざりすることも、あらゆる感情がそのまま残っている。
 その日記は、いまも続いている。子どもの妊娠がわかってからは、それまで気まぐれに書いていたものを、毎日欠かさずつけるようになった。主に感情の吐露のためのものだったそれは、妊娠から出産、育児を経て「記録する」という面が強くなった。妊娠はわかったものの、検診は月一度で胎動もまだなく、不安な日々のこと、つわりの症状、初めての胎動、そして名づけ。生まれる数時間前の陣痛の辛さ、生まれてからの怒涛の日々。そして、それと並行するように自分の感情もあらわれる。夫への怒り、育児への不安、創作への焦り、野望、他の書き手への嫉妬、そんなものが織り交ぜられている。
 ずっと続けてきたことだから、日記の文体は中学生の頃からほとんど変わっていない。「まじで不安」「最高すぎる」「意味ぷーさん」そんな語彙ばかりが並ぶ。でも、自分だけが読むのだから、気取る必要もない。字は汚いし、読み返して判読できないこともままある。そのとき思ったことを、思ったまま書く。けれど、すべてを書くわけではない。書けないこともある。書いたらしんどい、と思えばただ、その日の天気と、食べたものだけを書く。
 
 「日記は 今書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい 本当のことを書く必要もない」(『違国日記』<1>ヤマシタトモコ)
 ふと、ペンの勢いが止まるとき、わたしはこの漫画の場面を思い出す。両親の事故死をきっかけに叔母槙生と暮らすことになった中学生の朝に、槙生が日記を書くことをすすめるシーン。きょとんとする朝に、「書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない」と槙生は続ける。そうなのだ。これさえこころに置けば、日記はわたしに寄り添ってくれる。わたしの味方でいてくれる。今書きたいことを書けばいい、書きたくないことは書かなくていい、そして、本当のことを書く必要もない、と。
 辛くても、書けばそれは文字としてそこにあらわれる。書けば、気持ちは整理される。でも、まだ整理してしまいたいわけではない。まだ認めたくない感情がある。槙生の言うように、書かずにおくことを優先することができるようになったのは、大人になってからだ。だから、中学生や高校生の頃の日記には、よく涙の跡が滲んだ頁がある。辛くても書いたんだな。素直だなあ、ばかだなあ、けなげだなあ、と思う。でも、こうして涙の跡まで残ってしまうのだから、ちょっと笑ってしまう。
 
 この日記はいつか子どもが読んでもいい、といっぽうで思ってもいる。もちろん自分から見せるようなことはしないが、わたしは書きたいことだけを書いているから、見られたとてそこまで気にはならない。わたしがふと、母の名づけの筆跡を見つけたときのように、子どもがわたしの知らぬところで、この日記を発見するかもしれない。もし、育児日記を別につけていれば、堂々と見せてあげられたのだろうが、あいにくわたしの日記はぐちゃぐちゃだ。初めて子どもが歩いた日のこと、夫のちょっとした言動への苛立ち、自分の本が出ると決まったときのこと、今日の体調、新人賞落選への悔しさ、スーパーのレジ接客への愚痴、子どもの口ぐせ、来週の献立案。全部が混ざったそれを、きっと子どもは、というかそんなものは誰も読みたがらないだろう。でも、それでいい。
 どこまでいってもわたしはひとりで、でもわたしはわたしに、話しかけている。中学生のときと同じ言葉遣いで。同じノリで。まじでありえないんだけど。訳わかめ。え、なんで? めっちゃうれしい、どうしようどうしよう、どうするこれ。そんなふうに、感情の機微とも言えぬ、それはたいてい爆発で、大げさで、でも誰も読まないからいいのである。読むのはいまと、もう少し先のわたしなのだから。書きたい時に、書きたいことを書けばいい。書きたくないことは、書かなくていい。それだけを守って、わたしは汚い字で、ずっと変わらない言葉遣いで、わたしのために書く。

著者プロフィール
堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。
著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)がある。
晶文社スクラップブック「おだやかな激情」連載中。