わからなくても近くにいてよ

この連載について

いつも、相手のことがわからないと思っている。
わからないと思いながら笑ったり驚いたり嫉妬したり、毎日おろおろしている。
話したい、のに話しかけるのが面倒でうやむやになってしまうことばかりな気さえする。
わかりたいのは不安だから。自分ばかりが求めてしまうことに辟易しながら、わからないからあなたとかかわりたいと思う。
お前はいつも鬱陶しい!とつっこみながら読んでもらえたらうれしいです。

第10回

思えばいつも夜のこと

2024年3月15日掲載
撮影:著者

 いつも誰かと暮らしてきたな うす暗いシンクにゴーヤの綿を掻き出す

 という短歌を以前作ったことがある。東京から山口に引っ越して間もない頃、夫の帰りを待ちながらゴーヤチャンプルの準備をしていたときのこと。まだ山口に知り合いもなく、仕事も見つけておらず、ただ家にいてぼんやりしていた。いま思えば、そういう閉塞感が「うす暗いシンク」という描写にあらわれている。料理するゆびさきで、ふいに思い出したり、かんがえることが多かった。ゴーヤを縦半分に切り、ボートのようなかたちの断面に埋まる綿や種を掻き出しながら、そうしてふと思ったのだった。わたしはいつも誰かと暮らしてきたな、と。 

 何かの話の流れで、一人暮らしをしたことがない、と言うと驚かれることがある。
 したくなかった、というよりするタイミングがなかった。神奈川の実家からは都内の大学へ電車で通うことができた。職場へも実家から通い、まるまる27年、家族と暮らした。結婚してからは、すぐに夫と暮らし始めた。そういうわけでいままで一度も一人暮らしをしたことがない。 
 へえ、とたいてい話し相手は珍しいものを見るように相槌を打つ。何も言われていないのに、箱入り娘、とか苦労知らず、みたいなことを思われているのではないか、と勘繰ってしまう。たしかにつねに頼れるひとがそばにいた。おおきな虫が出たらどうするのだろう、とか大掛かりな家具の組み立ても自分でやるんだよな、とか生活にかかわる「ひとり」の想像をすることもあるが、目の前にいつも頼る相手がいれば深刻にかんがえることはない。
 それでも、ずっとこのままなのかな、と思うことはよくある。風呂場で夫の髪を散髪するときに、「じゃあお願いします」と言ってこちらに差し出されたうなじを眺めながら、おいおい無防備だなと思う。自分が刃物を手にしているからだろうか。刺してやろうなどと思うわけではもちろんないが、夫は日々、この無防備な首をさらして生きている。そう思いながら、夫の髪を切る。その思いは、いつかはひとりになるのかもしれないな、というところへつながったりする。平穏であればこのまま、子どもはそのうちに家を出て、夫とふたりで暮らす。夫の無防備なうなじに、あるいはあまりに静かな寝姿に、死ぬかもしれないな、と思う。夫が死ねば、当然ひとりになる。でも、ほんとうにはそのときのことをわたしはまだ、うまく想像できていない。
 
 ひとり、と書きながらいつでも思い出すのは真っ暗なバイパス道路のことだ。
 働きながらまだ実家にいた頃、暇な連休中に思い立って、原付で出かけることにした。どうせなら行き先を決めずとにかく遠くまで、行けるところまで行ってみたい。そうと決めれば一泊分の荷物をリュックに詰めて、家族には無謀だとか絶対事故を起こす、とか口々に言われながら、家を出た。 
 学生の頃に友人から譲りうけたおんぼろの原付で、国道をどんどん進んだ。ふだんは最寄駅までしか乗ることはなく、こんなにぐいぐい走らせて大丈夫だろうか、と不安になった。古着屋で見つけて気に入っていた厚手のネルシャツを着て、上着はなく、すぐに寒くなった。おそらく10月か11月だったと思うが、バイクで全身に風を受ければ耐えられないほど寒くなるなんて想像できなかった。国道沿いのユニクロで肌着を買い足して重ね着した。お腹が空けば途中で手頃な店で食事をし、さむいさむい、と言いながらまだまだ進んだ。自宅の横浜から、行ったことのなかった愛知まで走って、手羽先でも食べてビールを飲んで、翌日にはふらっと観光できたら、なんて軽くかんがえていたが、すぐに日は落ちて、こんなに走ってもまだようやく静岡県に入ったところだった。
 それで、気づけば原付は進入禁止のバイパスを走っていた。まずバイパスが何かを分かっていなかった。やけにトラック、それも大型のばかりでこわいなと思っていたが、ちいさなPAであらためて調べると、このバイパスは小型バイクは通れないらしい。でも引き返すわけにもいかない。とにかく進まなくては。自分が走る横すれすれのところをおおきなトラックがすごい速さで走り抜けて、その風圧でバイクごと身体がふわっと浮く。長いトンネルはより狭く、抜ければ海が、真っ暗な海が広がって、もうこわくて寒くて、ものすごくひとりだな、と半分やけになりながら、なぜかとても愉快だった。
 
 愉快だった、と思えるのはもうあれから10年近く経つからかもしれない。あのときはほぼ泣きながら走っていた。ただ心細くて不安で堪らなかったはずなのに、何度でも当時のことを取り出しては、いまのわたしは愉快だな、と思うのだった。ひとり、というのがすなわち愉快であるというより、後にも引けず、だれも助けてくれない、さむい、こわい、なのにわたしはまだ走りつづけている。走りつづけるしかないからそうするのだけど、わたしはきっと大丈夫だな、そのうちどこかの宿に自力でたどり着いて、居酒屋でビールを飲んでいい気分になってへらへらしながら恋人(のちの夫)に電話をかけたりするんだろうな、と思っていたからかもしれない。自分の本来のさびしさの裏には、こんなやけっぱちのような頼もしさがあるのだな、と知れたことがうれしかった。
 
 突発的なひとり旅をしたのはそれが最後だけれど、大学生の頃はそういう思い立ったが吉日、というひとり旅をしばしば敢行したものだった。
 恋人(現夫)から「距離を置きたい」と言われて以来、何日も携帯を握りしめたままベッドに突っ伏していたが、それではどうにも落ち着かず、いても立ってもいられなくなって、その場で予約を取った夜行バスで鳥取に行った。砂丘が見たかったのだ。広大な砂丘を見れば気持ちも落ち着くかもしれない、と初めて訪れた砂丘のてっぺんで、持参した『ハチミツとクローバー(8)』を読んで(鳥取砂丘のシーンがある)夕日が落ちるのを眺めた。一歩一歩たしかめるように砂地を踏みしめながら丘を下り、地元の銭湯で地獄のように熱い湯にのぼせるほど浸かってから、客のほとんどいないマクドナルドで時間をつぶし、また夜行バスに乗って東京に帰った。
 ひとりで見知らぬ土地を訪れたからといって、心境に何か変化があるわけではない。そのとき思ったことも、かんがえたことも覚えていない。そもそも何かをかんがえたかったわけでもない。ただ知り合いのいない場所へ行くためにひとりでバスに乗って、存分に砂丘を眺めた。そのとき足元にあったうつくしい風紋だとか、唐突にあらわれる本物のラクダだとか、暗い色合いの日本海だとか、そういうものはいまもわたしのなかに残っている。感傷旅行、と言われればそれまでなのだけれど、突発的なあの一日があったことが、そこで見たことをいまも断片的に覚えていることが、何より大切なのだった。東京に帰ってからも恋人と決定的な話し合いはないまま、やっぱりいま別れるのは違うかもね、となんとなく付き合いつづけることになった。
 
 その後、結局夫とは長く一緒にいて結婚することになったけれど、新婚の頃に何度か家出したことがある。ともに暮らすとなればいろいろと折り合いのつかないこともままあって、すぐ言い合ったり、というかいま思えばわたしの未熟さで夫をただ困らせた。困らせたのはほんとうにくだらないことで、でもわかってほしくて、いや簡単にわかってほしくなくて、いたたまれなくなって家を飛び出した。
 そうやって飛び出すのは真夜中で、寝巻に一枚羽織って出てきた夜の住宅街は森閑としていた。なんだよなんだよ、とうつむきながらとにかく歩いた。一本おおきな通りに出れば車通りも多く、暗闇のなかで車のライトは滲んだようにおおきく光り、信号はいよいよ青く、そして赤く映るのだった。そんな詩的なこと、ほんとうに思っただろうか。ただふてくされて、みじめで、ぐずぐずすればばそれだけ自分に嫌気がさして、結婚なんていいもんじゃない、と片づけたくなるのだった。まだしたばかりなのに。こんなんじゃしたとも言えないのに。もうひとりいでいい。そう思うとき、実家に帰りたい、と思って泣けた。お母さん、とかお父さん、とかつぶやきたくなって心細くなって、そんな気持ちになるのははじめてのような気がした。子どもみたいな心細さでずんずん夜道を歩いた。
 わかってほしい、と思うと同時にわかりたい、と思う。それを上回って、わかってたまるか、わかられてたまるか、とも思っている。ややこしい。でも全部だ、と当時は思っていた。ほんとうに、全部なのだと思う。アパートから逃げ出した夜道はあの日のバイパスの真っ暗闇につながっていて、あるいはそこは日の落ちた鳥取砂丘で、なんてかんがえるのは都合がいいだろうか。離れた場所で思うことはたいしたことではなく、けれどそのとき思うひとがいて、思うわたしはいつもひとりで、そのことに安堵して、帰る場所が用意されているから安心して出て行けるなんて、ずるいのかもしれない。ほんとうにひとりだなんて言えるのだろうか。言っていいのだろうか。いつもひとりのつもりで、けれどほんとうには守られて、そのことにわたしは安心しきっているだけなのかもしれない。
 
 ひとりになることで、はじめて気づける他人の存在があって、ひとりでいるときほど結局誰かのことを思ってしまう。誰かのことを思うことで、ひとりでいられる。(『さびしさについて』植本一子、滝口悠生)
 
 往復書簡として書かれた滝口さんの植本さんへ宛てられた言葉に頷きながら、そうならばわたしは、誰かのことを思うためにひとりになろうとしたのだろうか。家出もひとり旅も、その人のことをかんがえたくて、したことなのだろうか。そういう気もするし、でも出先でわたしはたいしたことをかんがえない。こうしてほしかった、結婚なんて、一緒に暮らすだなんて、全然わたしの思ったふうじゃなかった、いつもいつもわかってほしかった、わかりたかった。そういう大掴みな意識ばかりが頭をめぐって、だからかんがえは進まないまま暗がりをゆく。
 ひとり、と思えばいつも夜のことばかりだった。バイクに乗ってバイパスから見たいまにも飲み込まれそうな海の黒さ。日の落ちた砂丘。光の滲む夜中の道路。もうたくさん、と思いながらぐんぐん進んだ。いま抱えるものが何も大丈夫じゃなくても、すべては単なるわがままでも、そういうときのひとりの自分は嫌いではなかった。ぼんやりと、思う宛先がある。きっとほんとうの孤独はこんなもんじゃない、とどこかで知っている。すぐにふてくされて家を飛び出して、勝手な話である。けれど何もわからないまま、知らないまま、どこへでも行けると思ってほんとうに身体ひとつで飛び出していたあの頃の自分がずっと、一番頼もしい。

著者プロフィール
堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。
著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)がある。
晶文社スクラップブック「おだやかな激情」連載中。