車椅子の斉藤さんとパラグアイへ

第9回

「ちゃんとしいや」と「ええんちゃう」

2025年1月15日掲載

斉藤さんを介して全国の猛者たちへの聞き取りを重ねてきたわたしは、数ヶ月ですっかり耳年増になっていた。自立生活センターの「障害者のことは当事者が決める」を徹底する姿勢、「管理」の対極を目指すあり方。そういうあれこれをワクワクしながら聞いて、なんとなく知った気になりかけていた。そんなわたしの前に、また新たな角度からボールが飛んできた。

「知的障害」という変化球である。

その球を投げてくれたのは廣川淳平さん。京都生まれ京都育ち、JCIL(京都にある老舗の自立生活センター)の職員だ。「ぼくが中3の1月に阪神大震災があったんですよ」と廣川さんは言った。震災を機にボランティアをする人が激増した1995年は「ボランティア元年」と呼ばれるが、廣川さんの学校にもボランティアサークルができたという。高校3年間、廣川さんはサークル活動を通して障害者や高齢者との交流を楽しんだ。

子どもが好きだったので大学卒業後は保育士になるつもりだった。ところがつなぎのつもりで始めた介助のバイトにのめりこんだ。

「むっちゃ楽しかったです。こんなに障害重い人が自立生活できるんだーってことに驚いたし。言語障害の重い人が「あーあー」とか「おーおー」とか言わはるんですけど、こっちもびっくりしながらも頑張って聞く。「あ、ですか?」「い、ですか?」から始まって、慣れてきたらやっぱりわかるようになるし。「そろそろ寝はんのかな」とか「トイレかな」とか、だんだんわかってくると相手の人もうれしそうやし。やればやるほど、ほんまに楽しかった」

保育士の試験に受かったものの、そのまま障害者の介助を続けた。

「保育園だと、2歳児やったら保育士1人で最低6人みなあかんとか基準があるでしょ。もちろん集団保育の良さもあるんやけど。かたや、介助者はイチイチが大原則やから」

廣川さんはそう言ってにっこり笑った。自分の仕事の好きな部分を語るとき、人は自然とにっこりする。「イチイチ」すなわち1:1で他者と向き合う仕事のディープさが廣川さんをとらえたのだった。
それから20年近く経ち、最近は知的障害のある人の自立生活を支える仕事が主軸になっている。

「知的は独特ですねぇ。向き不向きがむっちゃある仕事かも」

廣川さんはやっぱりうれしそうに説明してくれた。

基本的に、自立生活センターの介助者には「指示されたことを過不足なくやる」「自分の判断で先回りしない」姿勢が求められる。でも知的障害者の場合はちょっと事情が異なる。彼らの多くは予定を立てにくい、お金の計算ができない、気持ちをうまくことばにできないなど、苦手な分野があるから、介助者が手を貸す範囲が増える。そのさじ加減がむずかしいのだという。

たとえば脳性麻痺で知的障害がある20代のBくん。作業所で働いて得た工賃、障害年金、生活保護などを組み合わせた収入がある。一人暮らしを始めた当初はそれを「生活のお金」と「遊びのお金」に分けて、介助者がその日に使った額を記録していた。
Bくんが「○○を買いたい」と言ったら、介助者は残金を確認して「これだけあれば買えるね」とか「今月はもうお金が残ってないから無理や」と告げる。仕事はそこまでのはず。なのだけど、ついそれ以上のことを言いたくなる介助者がいるのだ、と廣川さんは苦笑する。

「「そんな大金使ってええんか」とか「もったいないよ」とかね。そんなもん彼のお金なんやから自由に使ったらいいんですよ」

知的障害の人を目の前にすると、介助者の中に「こうしたほうがいい」「それはやめておいたほうがいい」などと先回りして「正解」を言いたい気持ちが出てくるらしい。言わないまでも、そっちの方向に促したり導いたりしてしまう。

「介助者があらかじめ「正解」を持っていると、それは圧になります。圧をかけられると多くの知的障害者は萎縮しちゃう。Bくんもそうで、「どうしたい?」と介助者に聞かれて、そこに圧を感じ取ると、「わからへん」と考えることを手放してしまうんですよ」

「ときどき知的障害の人に「ちゃんとしいや」とか上から目線で言う介助者もいるんやけど、なんでそんなこと強要されなあかんねんって思いますよね。べつに部屋が散らかっていたって、パジャマのままでいたっていいじゃないですか。自分の暮らしなんだから」

「Bくんのところにはなんでも「ええんちゃう」って言う介助者がいて、その人の存在がすごく大事です。Bくんが外食したいと言ったら「ええんちゃう」、大阪まで行きたいと言ったら「ええんちゃう」。全部やらしてくれる。ゆるゆるなんです。コロナの流行時も、Bくんはその人を連れてカラオケにも飲み屋にも行ってました。ぼくはあとから聞いて「行ったんかい!」ってヒヤヒヤしましたけど、ハハハ」

廣川さんは「ええんちゃう」のいちばんの効能は安心感が得られることだと言った。たしかに、自分がやりたいこと、思いついたことすべてを「ええんちゃう」と受け止めてくれる人がいたら、どんなに安心だろう。わたしも「ええんちゃう」が言える人になりたいものだ、と思いながら話を聞いていた。

(次回につづく)

著者プロフィール
金井真紀

1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。