ふたりの読書会

この連載について

書評家のワコさんと大学生のリリ。三〇歳も年の離れた、二人きりの家族。
親子のようで、親友のようで、そのどちらでもない。
二人は、いくつもの本を通して日々揺れ動く気持ちを伝えあう。
白い蝋燭に火をともしたら、二人きりの読書会が始まる。
ゆっくりと心が満ちていく読書の時間へ──。

第12回

その子二十(はたち) 後編

2025年11月25日掲載

 ガラスのティーポットに熱い湯が注がれると、じわじわとポットの底から赤い色が煙のように滲み出てきた。リリがじっとそれを見つめていると、やがてポットの中の湯がすっかりばら色に染まった。ワコさんはその赤いお茶を、それぞれの白いマグカップに注ぎ入れた。

「わあ、赤い! なんてきれいなお茶」

 湯気を立てるカップを受け取りながら、リリがうっとりと言った。

「ローズヒップティーよ。薔薇の実を干して作ったお茶ね。『みだれ髪』でも、最も有名な〝やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君〟の血汐にちなんで淹れてみました。かなり酸っぱいから、シロップを入れるといいよ」

 ワコさんはリリにオリゴ糖のボトルを手わたした。

「蜂蜜でもいいけど、こっちの方がさっと溶けるから」

「うん」

 リリが両目を寄せてカップにぽたぽたとシロップを落とした。

「〝あつき血汐〟かあ。エモいなあ」

「情熱の歌人って呼ばれてるだけのことはある」

 リリはお茶を口に含んだ。

「熱い、甘い、酸っぱい……。血潮飲んでるみたいな気がしてきた」

「血はしょっぱいと思うけど」

「あの歌以外にも血はなんども出てくるよね。薔薇とかの花の紅もよく出てくるし。乳房と髪も何度も出てくる。一つの歌集に同じモチーフを何度も出してもいいものなんだね」

「別に決まりはないからね。あんまり同じようなのが並んでたら飽きる気もするけど、その作者の世界観が強化される利点はあるね」

「世界観っていうか、昔の言葉で書いてあるから、ん? どういうこと? って立ち止まる歌もあったけど、監修の松平盟子さんの解説がついてる歌もあって、そういうことかあって視界がクリアになると、すごく気持ちよかった。一首目からつまずいたから、どうなることかと思ったけど」

「一首目、これだね」

 

 夜の(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の(びん)のほつれよ

 

 

「そう。〝帳〟は、寝室のことなんだね。恋に溺れる二人が寝床でいちゃついてる場所を〝星の世界〟として、今ごろ下界の人たちは髪がほつれたりしてるんでしょうね、と言ってると。とんでもないマウント歌だ」

 リリが目を見開いて言った。

「歌集出版にあたって書き下ろした歌みたいだから、象徴的に、というかロマンティックな導入を演出したんじゃないかと私は思う。星のまたたく世界から下界をのぞいてみたら、髪を振り乱している人々がいるみたいね。さあ、その様子を見てみましょう、と言って自分たちの日常をこれから展開しますよ、というプロローグとして作用させた気がする」

「なるほど。一首一首、とってもドラマティックでロマンティックだもんね。だから、晶子ってお嬢様育ちの自信家なのかな、と最初は思いながら読んでたんだけど、どうやらそういうことでもないんだね。文庫の後ろの方にある評伝を読んで、なんて大変な一生だって驚いた」

「そうだね、老舗の和菓子屋に産まれたお嬢さんではあるけど、小さい頃に里子に出されたり、母親の違う二人の姉に遠慮したり、親に甘えることができずに淋しい気持ちを抱えたまま十代から家業を手伝わされたり、と、なかなか大変な少女時代を過ごしてる」

「そうそう、それで短歌を通じて知り合った与謝野鉄幹のことを好きになって、家出同然で鉄幹のいる東京に出てきてからもいろいろ大変。鉄幹が妻子持ちだったという衝撃」

「鉄幹は怪文書にも悩まされてたりして暗雲たちこめてて、晶子にはもう帰る場所はなかった。「みだれ髪」の出版は、晶子にとっても鉄幹にとっても、人生を建て直すための一縷の希望でもあったんだね。歌から受ける力強さは、自分を鼓舞するためでもあったのかと思う」

「そう思って〝その子二十(はたち)(くし)にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな〟を読むと、さらにぐっとくる。ほんとに二〇歳くらいで詠んだ歌なんだよね」

「男尊女卑の激しい時代に、こんなに若い子が、よく言ってくれたなって思う。そしてそれを後押しした鉄幹もすごいよ。いろんな女性になびきすぎて、晶子も、元奥様たちも随分ひどい苦労をさせられるけれども」

「女性の味方であり、敵であり……」

「鉄幹のダメ男っぷりは、巻末にエッセイを書いてる田辺聖子さんの『()すじの黒髪』に愛嬌たっぷりに描かれてるから、読むといいよ」

「うん、読む。その鉄幹と初めて会ったときに同席していた山川登美子という人の存在も、とても気になった。『みだれ髪』の中の〝白百合〟という連作は、登美子のことを中心に詠んでる。同世代の歌のライバルにして、鉄幹をめぐる恋のライバルだった登美子への想いが詰まっていて、胸がぎゅってなった。鉄幹のことはとても尊敬していて大好きで、才能のある登美子のことも大好きで、で、鉄幹が登美子のことを気にしていると、嫉妬せずにはいられなくて」

「複雑よね。晶子と鉄幹と登美子が同じ宿に泊まって遊んだりしてて」

「鉄幹が二人を呼んだんだよね。なんというか、もう、それぞれどんな感情を抱いていたのか、想像するだけでどきどきしてしまう。〝友のあしのつめたかりきと旅の朝わかきわが師に心なくいいひぬ 〟って意味深だよね」

「隣で寝てた登美子の足がつめたかったことをなんの気なしに鉄幹に告げたってことだけど、〝わが師〟にわざわざ〝わかき〟ってつけてるところに、恋愛対象だってことをにおわせてる」

「友だちの足が冷えてて心配しているようなふりをしつつ、二人の足を生々しく想像させるから、無意識のうちに気を引いてるみたい。あ、登美子の方はもう気持ちが冷えてるみたいですよって、言いたかったのかも?」

「リリの推理はすごいね。登美子も鉄幹に気持ちがあったけど、家が決めた縁談話に従わなくてはいけないということになって悩んでたんだよね。いい家の子として何不自由なく暮らせたけれど、それ故の縛りも強かった。そんな事情を知った晶子は、〝星の子のあまりによわし袂あげて魔にも鬼にも勝たむと云へな〟と励ましてる」

「ああ、これね。〝星の子〟って、鉄幹の作った『明星』にちなんでそう言ったみたいだけど〝あまりによわし〟って下げたあとに魔にも鬼にも勝てって、あまりにスパルタな」

「ストイックに生きてきた晶子だけに、考え方がちょっとスパルタではあるかもね。〝春みじかし何に不滅(ふめつ)の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ〟って、恋の歌というより格闘技に挑むような。〝乳〟は音数からすると「ち」と読ませると思うんだけど、「血」のイメージも重ねてる気がする。今生きているこの命を受け止めてよ、という切なる心の叫びが〝ちからある乳〟になったって」

「あらゆる人の命を推してるからか、いやらしい感じは全くしないな。当時の人たちはびっくりしたんだろうけど」

「賛否両論の大評判になって、一二〇年以上経った今でも本屋で買える歌集になった。時を越える力は、確かにあるんだね」

 一二〇年かあ、と言いながら、リリがはーっと深い溜め息をついた。パラパラと本をめくった後、目に止まった一首を声に出して読み上げた。

   

 秋を三人(みたり)椎の実なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき

   

「この〝三人〟って、あの三人だよね」

「そうだね、晶子と鉄幹と登美子。一緒に宿に泊まった翌朝、鯉のいる池に三人で椎の実を投げて遊んだことを回想してる」

「暗示的だなあ。〝鯉〟って恋愛の方の〝恋〟をかけてるよね。占いみたいに椎の実を投げたら、そこにいた鯉がどこかにいってしまった。われわれの恋の行方もどうなるのかなあ、と思いつつ、朝かぜを受けて冷えたそれぞれの手のつめたさを思っている。これって登美子の足がつめたかったことと関連してるのかな」

「実際のエピソードをリアルに描いた歌に見えるから、関連づけたのかどうかは迷うね。踏まえていてもいなくても、〝手と手つめたき〟は、切なく響くね」

「あのときはどうなることか、三人ともにわからずにいたってことよね。青春の三角関係が、切ない」

「このあと晶子は鉄幹と結婚し、一二人も子どもを産みつつ、膨大な数の作品を書き残し、六三歳まで生きた。登美子は亡夫から感染したと思われる結核を患って二九歳の若さで亡くなってる。運命の分かれ道に若い三人が立っていた稀有な時間を、歌の中に永遠に閉じ込めたんだね」

「ん? 一二人も子どもを!?  すごすぎる……。今の私には分かれ道どころか、どんな道もまだ見えないな。あの頃と平均寿命が違うとはいえ、自分は全然覚悟が足りてない……」

 ワコさんはふいに立ち上がり、俯いたリリにそっと寄り添うと、晶子の歌を一首、読み上げた。

  

 かたちの子春の子血の子ほのほの子いまを自在の(はね)なからずや

  

「姿の良い子、春のさかりの子、血のめぐりのよい子、炎のような子、そんな子たちが自由に飛び回るための翅がどこかにないものかしらって、言っている。〝自在の翅〟を持つ資格があるんだって」

「声に出して読むと気持ちよくて、なんだかうきうきしてくる」

「この歌はね、鉄幹の代表歌の〝われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子〟に影響されて作ったんだよね。鉄幹が羅列した男子としての自意識と対になるように、同じたたみかけの技法を使って女子を讃えている」

「女子推しの心が貫かれてるんだ」

「女子の高い教育を目指した文化学院という学校の立ち上げにも尽力して、実際に支援していくんだよね。鉄幹と一緒に」

「すばらしいね。行動力もあったんだ」

「恋の歌で有名だけど、その情熱は恋愛だけに向けられることなく、理想に向けて燃やし続けた」

「その原点がこの『みだれ髪』ってことだね。髪をふりみだしてつっぱしる」

「〝くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる〟と歌ったように、黒髪も心も乱れても〝千すぢ〟は貫かれてる」

 いいねえ、と言いながらリリは『みだれ髪』をまた捲った。

「あ、そうだ、これもすてきだなって思ってたんだ」

  

 なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

  

「なんとなく好きな人が自分を待っていてくれるような気がして外に出るって、分かるって思うし、こんなふうにすてきな場面になってて、いいよね」

「好きな人がただいるような、というんじゃなくて待っててくれている、というところが前向きな晶子らしいね。でも全体的に、さりげなくてすっと心に入る。〝花野〟は、萩やすすきなどの秋の花が咲く野のことなんだよね。春の花に比べるとちょっと地味だけど独特の趣がある。そして夕月夜。豊かな情景の中に結局自分の他に誰もいないんだけど、胸の中は恋心であたたかく充たされていく」

「〝待たるるここち〟って響きもいいな。こういう気分のことは〝るる〟と覚えておこう」

「そこ取るんだ、るる」

「うん、かわいいから」

「る、るる……」

「ワコさん、その言い方、かまえすぎ」

 二人してひとしきり笑った。

  

  

<引用文献>

与謝野晶子『みだれ髪』(新潮文庫)1999年刊

掲載ページ p.9、p.15、p.28、p.56、p.58、p.59、p.76、p.93、p.102

 

小高賢編『近代短歌の観賞77』(新書館)2002年 

掲載ページ p.26

著者プロフィール
東直子(ひがし なおこ)

広島県生まれ。歌人、作家。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第七回歌壇賞受賞。2016年、『いとの森の家』で第三一回坪田譲治文学賞を受賞。
2006年に初の小説『長崎くんの指』を出版。
歌集『春原さんのリコーダー』『青卵』『十階』、小説作品『とりつくしま』『さようなら窓』『薬屋のタバサ』『晴れ女の耳』『階段にパレット』『ひとっこひとり』『フランネルの紐』、エッセイ集『一緒に生きる 親子の風景』『レモン石鹼泡立てる』『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』、歌書『愛のうた』、『短歌の詰め合わせ』、『短歌の時間』『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』、穂村弘との共著『短歌遠足帖』、くどうれいんとの共著『水歌通信』、詩集『朝、空が見えます』、絵本『あめ ぽぽぽ』(絵・木内達朗)、『わたしのマントはぼうしつき』(絵・町田尚子)、『シマちゃん モモちゃん もりのなか』(絵・松田奈那子)など著書多数。