書評家のワコさんと大学生のリリ。三〇歳も年の離れた、二人きりの家族。
親子のようで、親友のようで、そのどちらでもない。
二人は、いくつもの本を通して日々揺れ動く気持ちを伝えあう。
白い蝋燭に火をともしたら、二人きりの読書会が始まる。
ゆっくりと心が満ちていく読書の時間へ──。
しあわせな冬ごもり 前編
一一月の昼下がりに、大きな段ボールを一箱、ワコさんは受け取った。封を開ける前に、リリに声をかけた。
「届いたよ、見る?」
「え、あれ? 見る」
リリが跳ねるようにリビングに入ってきた。
荷物の送り主はワコさんの母親のミコさんで、リリが二十歳になると聞いてワコさんが着た振り袖を送ってきたのだ。リリは式に出るつもりはないと言ったが、「せっかくだから二十歳の記念の写真だけでも撮ったら? 和子(ワコさん)の着た振り袖、まだ取ってあるから」というミコさんの提案を受けることにしたのだ。
ワコさんが着たというその振り袖は、白地にオレンジを基調とした花模様が流れている古典的なデザインだった。
「わあ、きれい……」
リリが着物を床に広げながら目を輝かせた。
「あの頃でもちょっと地味な感じのものを選んだから、今の子には、古すぎるデザインかもしれないけど」
ワコさんが後ろから声をかけると、リリはううん、と首を横に振った。
「細かい刺繍がとてもきれい。流行とか関係ない感じが逆にいいと思う」
「それならよかった。あの頃の私の体形とリリとはあんまり差はないと思うから、このまま着られそうだね。ちょっと羽織ってみる?」
「うん」
ワコさんが広げた着物に、リリはそっと袖を通した。そのあとワコさんが簡単に襟を合わせ、ウエストのあたりで紐をゆるく結んだ。
「わあ、いい。状態もとてもいいね」
「ミコさんがときどき虫干しとかしてたみたい。成人式のあとは、友達の結婚式で一回着ただけかな。結婚したら袖を切って使うという人もいるみたいだけど、その機会もなかったし(笑)」
「それは、私にとってはありがたいことでした。ありがたく着させていただきます」
「せっかくだから式典も出たらいいのに」
「いいの。儀式には興味ないし、会いたい友達がいるわけでもないし」
「そうなのか……」
自分も成人式について同じように思っていような気がする、とワコさんはっとした。そんなものは出なくてもいいんじゃないかと自分もうすうす思っていたが、母親がいそいそと準備をし始め、そういうものかなあと従ったのだった。今の子たちは、親が何年も前から準備して、式の前に本番の日と同じように着付けをして、前もって撮影を済ませてしまうらしい。
ワコさんが二十歳の時には多分なかった習慣で、子どもがいたわけでもないので全く無関心だったが、「リリちゃん、二十歳になるんだって!?」というミコさんからの電話を受けて、ネットで調べて知ったことだった。どうやら一一月になってあわてて用意しはじめる親はほとんどいないらしい。
まあ、親ではないからなあ、と心の中でつぶやいたワコさんだったが、そう思ってしまったことに対して、リリに申し訳なくも思った。式典を楯に新たな習慣を浸透させて、してやったりの業者の顔が浮かぶようで腹立たしく感じていたが、振り袖を前に瞳を輝かせているリリを見ていると、自然と目尻が下がる思いがする。
「あれ、これ、なんだろ」
着物を入れていた段ボールに、大きめの封筒を見つけたリリが言った。
「ああ、それ、もしあったら送ってって前に頼んでたんだ。ちょうど見つかったから、一緒に送ってくれたみたい」
「何?」
「出していいよ」
リリが封筒から取り出したのは、一冊の本だった。表紙に、青い髪の少女が青い色の馬に寄り添っている絵が描かれている。
「北風のわすれたハンカチ」
リリがタイトルを読み上げた。
「安房直子さんの書いた児童書でね、私が子どもの頃、とても好きだった本。笹井宏之さんの歌集の『えーえんとくちから』の中の〝二十日まえ茜野原を吹いていた風の兄さん 風の母さん〟という短歌を読んだときにこの本のことを思い出して、読み返したくなったんだ。この表紙の女の子、北風の子どもなんだよ。ひとりぼっちのクマのところにやってきた場面」
「え、クマ? あ、ほんとだ、ドアからちょこっと横顔を出してる。これが、ひとりぼっちの……?」
「そう。家族を人間に殺されて、ひとりぼっちでさびしくて仕方がないから、それをまぎらわしてくれそうな音楽を教えてくれる人を求めて、ドアに張り紙をするの。それでやってきた一人がこの子ってこと」
「わあ、気になる話だね。私も読んでみたい!」
「もちろん。ただそれ、だいぶボロボロだと思う」
「確かに、色もあせてるし角も……」
リリがつぶやきながら本を開くと、ばらばらと中のページがこぼれ落ちてきた。
「わあ、ごめんなさい!」
リリが落ちたページを拾おうとしゃがんだとたん、片手に持っていた本からほとんどのページがこぼれ落ちてしまった。
「わあああ」
「そうなの、それ、もう、そうなっちゃってたんだよ」
本文のページをリリと一緒に拾い上げながら、ワコさんが言った。
「これ、もともと箱入りの装丁だったんだよ。でも箱はすぐにどっかにいっちゃって、なんども開いて読んでたから、こうなっちゃったねえ」
「よくこれを捨てなかったね。ワコさんもすごいけど、ミコさんもえらい」
「そうなの、ミコさん、えらいのよ。私が大事にしてたものは、尊重してくれてたんだよね」
二人で拾ったページはノンブルをつきあわせて、また順番通りに並べ、ハードカバーの表紙に挟んで閉じた。
「はあ、これもういっぺん開くのは、勇気いるね。読みたいけど」
「そう思って、新装版を買っておいたよ」
「え、新装版があるの?」
「そうそう、ちょっと待ってて」
ワコさんはすぐに戻ってきて偕成社文庫の『北風のわすれたハンカチ』をリリに手渡した。
「あ、同じ絵だ。でもひとまわり小さい」
「ハードカバーのものは一九七一年に旺文社から出たものだけど、こっちは2015年の偕成社文庫版。表紙絵も中の挿し絵も牧村慶子さんの同じものが使われているけど、文庫版では残念ながら、すべてモノクロになってるんだよね」
「それはちょっと残念かも。まずは文庫で物語を読んでから、色のついた絵は、あとからそっと眺めさせてもらうね」
「うん、そうするといいよ」
「ありがとう」
うれしそうなリリの顔を見ながら、北風の少女の顔に少し似てるな、とワコさんは思った。
*後編に続く
<引用文献>
笹井宏之著『えーえんとくちから』(ちくま文庫)2019年刊
掲載ページ p.6
広島県生まれ。歌人、作家。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第七回歌壇賞受賞。2016年、『いとの森の家』で第三一回坪田譲治文学賞を受賞。
2006年に初の小説『長崎くんの指』を出版。
歌集『春原さんのリコーダー』『青卵』『十階』、小説作品『とりつくしま』『さようなら窓』『薬屋のタバサ』『晴れ女の耳』『階段にパレット』『ひとっこひとり』『フランネルの紐』、エッセイ集『一緒に生きる 親子の風景』『レモン石鹼泡立てる』『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』、歌書『愛のうた』、『短歌の詰め合わせ』、『短歌の時間』『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』、穂村弘との共著『短歌遠足帖』、くどうれいんとの共著『水歌通信』、詩集『朝、空が見えます』、絵本『あめ ぽぽぽ』(絵・木内達朗)、『わたしのマントはぼうしつき』(絵・町田尚子)、『シマちゃん モモちゃん もりのなか』(絵・松田奈那子)など著書多数。

