書評家のワコさんと大学生のリリ。三〇歳も年の離れた、二人きりの家族。
親子のようで、親友のようで、そのどちらでもない。
二人は、いくつもの本を通して日々揺れ動く気持ちを伝えあう。
白い蝋燭に火をともしたら、二人きりの読書会が始まる。
ゆっくりと心が満ちていく読書の時間へ──。
しあわせな冬ごもり 後編
雪の降りしきる寒い夜に、北風たちにくまがごちそうした熱いお茶って、どんなお茶だったんだろうとワコさんは考えていた。お茶はストーブの上のやかんに入っていて、大きな湯のみに入れて飲んでいる。味についての描写はない。本文では「湯のみ」と書いているが、挿し絵はマグカップである。やかんに入れるお茶といえば麦茶みたいだけど、きっと紅茶をまとめて煮出していつでも飲めるようにあたためてるってことなんだろうな、とワコさんは考えた。
やかんはないので、ティーポットにたっぷりと紅茶を用意し、ぶどうジャムをふたさじ入れた小皿を添えた。
「あ、これってロシアンティー?」
リリがうれしそうに言った。
「そう。紅茶の中に入れて溶かして飲んでもいいし、ジャムを舐めながら紅茶を飲んでもいいみたい。最後の〝赤いばらの橋〟にちなんでバラのジャムがあればよかったけど、くまが持っていた山ぶどうにちなんでぶどうジャムにしたよ」
北風のおかみさんに持っていかれちゃった山ぶどう……、とつぶやきながら、リリはスプーンで掬ったぶどうジャムを舐めた。
「うん、おいしい。山ぶどう、最後のごちそうだったのにね。そう思うとただのぶどうのジャムも複雑な味わいがしてくるよ」
「『北風のわすれたハンカチ』には、くまと北風のお話の他に、〝小さいやさしい右手〟と〝赤いばらの橋〟もあるけど、リリは、どれがよかった?」
「どれもよかった。ただ、児童文学だと思ってたら、片手をかまで切り落とすシーンが出てきた〝小さいやさしい右手〟には、ほんとにびっくりした!」
「あのシーン、ほんとに衝撃的だよね。まものが魔法で用意したいいかまを女の子に貸してあげていたら、それを知ったまま母が、女の子のふりをしてそのかまでまものの腕を切り落としてしまう……。私も子どものときに読んだときは、ふるえあがったよ」
「好意と共にさし出した手を切り落とされてしまうなんて、まものはどんなに悲しかっただろう」
「そうだよね。グリム童話などにも残酷な場面が出てくるけど、片手を失ったまものがまだ子どもで、ほそっこい子どもの体のまま、片手を失っている姿が描かれているのがなんだか生々しくて」
「うん、つらい。最初はわけがわからなすぎておどろいて、それがだんだん悲しみになって、でもまものだから涙を流せなくて、〝なみだのかわりに真っ黒いいじわるなこころがむらむらとわいてくる〟というところ、胸がざわざわした。まものでなくても、悲しみをちゃんと対処できなくなったらそうなっていくんだろうなって。リアルだ」
「児童書なのに、容赦ないよね。安房さんの童話は、登場人物が孤独や悲しみを抱えている、さびしい味わいのお話が多いんだよね」
「うでを切り落とされたまものは、究極の孤独の中にいる。それで、自分の手を切り落としたと信じている女の子への復讐をちかう。悲しみから始まる負のスパイラル……」
「詳しい歴史を知っているわけではないけど、これだけ深い負の感情を丁寧に描写した児童文学はそれまでなかったんじゃないかな。文庫の巻末にある神宮輝夫さんの長い対談の中で、安房さんがグリム童話に影響を受けたということが書かれているけれど、寓話の中で描かれている生死にまつわる話を丁寧に肉付けしていったように感じる」
「そうだね、きっと、子ども全般にむけて書いたっていうより、自分の心の中にずっといるさびしい子どもに向けて書いたんだと思う」
「自分の中の……。そうかもしれないね。人間に姿を見られてはいけなくて、かしわの木の中でずっとひとりぼっちで誰にも言えない気持ちを抱えていたまものが、心の中の暗い存在を象徴するものだとしたら、あの生々しさの理由も見えてくる気がするね」
「ずっと探してた女の子が、すっかり雰囲気が変わってしまってパン屋のおかみさんとして再会するのもぐっときた」
「まものと人間とでは、時間の流れ方がぜんぜん違うんだよね」
「これって、心理的な成長の違いとしても捉えられないかな」
「早く成熟する人と、いつまでも子どもっぽい考えから抜けられない人の違いみたいな?」
「そう。溶かすことのできない恨みとかトラウマを抱えてる人って、それに固執するあまり成長できないんじゃないかなって。中二病が長引くっていうか」
「それは、ありそうだね」
「それで、流せないはずの涙を流すことができて、長年の恨みが透明になっていったっていうラストで、とても美しいなあと思う反面、これでいいのかなって、もやもやも残った。特に、パン屋のおかみさんの言葉が、ひっかかっちゃって」
「どの言葉?」
「腕を切り取るようなひどいことをした人のことを〝ゆるしてあげられない?〟って促したうえで、ゆるすということを〝かたきうちをしないどころか、その人によくしてあげることよ。〟って説明するところ。よくしてあげるって、どういうこと? って思っちゃって。暴力を暴力で戒めを与えるかたきうちって、きりがなくなるからどこかで止めなきゃって思うけど、よくしてあげなさい、なんて、苦しすぎる提案だと思う。自分に親切にしてくれたためにこんなことになってしまった子の気持ちを突き放しすぎてるんじゃないかって」
「そうね、まものの気持ちを考えると、新たな残酷さをつきつけられた気もするね。恨むべき相手がわからなくなって、恨むことを封じられて、こころの行き場がどこにもなくなって……」
「それが、涙になったのか……。こころが人間に近づいて、最後はほんとうに人間に、なったのかな?」
「〝光の王子のようなすがたをしていました〟ってあるから、人間よりもっと崇高な存在になったんだって読んだんだけど」
「きっとそうだよね。人間になりました、めでたしめでたし、じゃあ、あんまりだもね。でもね、まものには、積年の苦しさをもっとぶつけて欲しかったって思う。それで、おかみさんには、パン生地みたいにやわらかくどおんと受け止めてほしかった。……これってないものねだりかな」
「うん。リリが書くとしたら、そういう話になるってことだよね。でもこれは安房直子さんの世界だから。ゆるすことを知ったこころの清々しさを伝えたかったんだと思う」
「それも、必要なこころなのかな」
「私もずっとこのまものの話が胸にささって抜けなかったんだけど、今回読み直してみて、〝北風の忘れたハンカチ〟のひとりぼっちのクマと北風の女の子、〝赤いばらの橋〟の小鬼と魔女の女の子、それぞれの淡いふれあいが胸に沁みたんだよね」
「たしかに、しみじみするかも。みんな、程度の差はあるけど、さびしい気持ちを持ってるよね。共通しているのが、親と十全なコミュニケーションが取れてないってこと」
「クマのお母さんは人間に殺されて最初からいないけど、北風の女の子も、小鬼の男の子も、魔女の子も、母親がみんな忙しそうにしてるよね。特に山三つ分離れて進まなくちゃいけない北風の女の子は、すでに一人で生きていくことを運命づけられてしまってる」
「バイオリンを弾くお母さん、めっちゃ性格キツそうだったよね。甘えたらぴしゃってはねのけられそう。でも、そんな母から生まれた女の子は、誰よりもやさしくて、すばらしい人格者。ハンカチの上に好きなものを呼び寄せられる特殊能力も持ってる」
「あ、それ、今気付いたけど、まものとほぼ同じ能力」
「ほんとだ。でも、経験によって真逆の状態に……」
「北風の女の子は、クマのさびしさを最初からよく理解しているよね」
「だから、クマが目をつぶって数を数えている間にそっといなくなる。クマもそのことを知ってる」
「それで、クマも分かってるだろうなあってうすうす感じながら、女の子もいなくなるんだね」
「いやだよう、別れたくないよう、とクマにだだをこねさせない。クマもちょっとかっこつけたい気持ちが芽生えただろうからね。北風のお父さんとお母さんに塩対応されてめそめそしてたのに、言われるがままに冷静に数を数えてたクマは、成長できたんだと思う」
「そうだね、女の子が、成長させたんだ」
「すごいな、策士だね」
「だね」
「ハンカチ、わざと忘れていったんだろうな」
「うん、きっとそうだね。子どものときは、”忘れるよねえ、ハンカチ”って、自分に合わせて思ってたけど、女の子はクマのさびしさを少しでも癒やすために置いていったんだろうって、今は思う。とてもやさしいわすれもの」
「ハンカチを耳に入れたら雪のふる音がしてくるって、すてきだね。〝ほと、ほと、ほと、ほと〟っていうオノマトペが新鮮で、ここちよくて。それから、最後の二行もいい」
「ああ、これね」
ワコさんが、その最後の二行を声を出して読み上げた。
そして、家の中では、耳に、青いハンカチを、花のようにかざったクマが一ぴき、しあわせな冬ごもりにはいったのです。
詩の一節みたいだな、とリリは思う。
「リリ、ちょっと眠そう」
「なんか、クマと一緒に〝しあわせな冬ごもり〟がしたくなってきた」
「はは、まだ寝ないで。三つめの〝赤いばらの橋〟はどうだった?」
「とってもかわいい話だと思ったよ。がけの向こうから飛んできた赤い帽子を見て、きっとかわいい子だからって会いたくなる小鬼の単純さがいとおしい。かなり危険な、文字通りつなわたりで崖のむこうにわたって、実際帽子の持ち主に会ってみたら想像してた雰囲気と違うと思ってがっかりするところも」
「他の二編と比べてちょっとコミカルな味わいがあるから、ほっとする感じがあるよね」
「うん。小鬼は親も友達もいて、孤独ではないし。ちょっと放任されている感じはあるけど」
「そうだね。魔女の女の子は、母親の魔女にこき使われていて、たいへんそう」
ワコさんが言うと、リリが深く頷いた。
「母親の言いなりになるしかないけど、その母親に買ってもらった赤い帽子と靴は誇りに思ってる。だから、それを褒めてくれた小鬼のことを手放しで嬉しく思っちゃうんだね。お互い初対面の印象はあまりよくなかったけど、きばがあるという共通点を見つけてから、ぐっと親近感を抱くところが好きだな」
自分が好ましく思っていることを話しているときのリリの表情は、小さな子どもだったころと変わらないな、とワコさんは思う。
「崖の向こうは赤いバラが咲き誇っていて、いい香りがして、一見すてきなところだけど、魔女が支配しているから、小鬼にとっては危険きわまりない場所だったんだね。人種や考え方の違う国同士のきなくさい関係を暗示しているみたい」
「そうだね。小鬼と魔女の子は友達になれそうなのに、まわりの状況がそれを許さないんだよね。最後、崖のむこうで、一人でいつまでも手を振ってる赤い帽子の魔女の子が、すごく切なかった」
「うん。いつか、魔女っ子に借りた赤い靴を返しにいけたらいいのにね。そういえばこの本の物語って、出会って、仲良くなりかけて、でも別れる、そんな話ばっかりだったね」
「確かに。クマは北風の女の子と出会って、まものは女の子に、小鬼も魔女の女の子に。みんなボーイミーツガールだった。ずっと一人きりでいるよりも誰かと出会って仲良くなったことで、かえってさびしくなる」
「でも、それでみんな成長してるよ。会えてよかったって思える出会いばかりだよ。再会への希望もちょっとずつ残っているし」
「たしかに。なんどもなんども読み返したくなるのは、そのせいかもしれないね。この年になって読み返すと、この物語の豊かさが増してた。発酵したみたいに」
キムチですか、とリリは笑いながら言った。
「私も子どものときに出会いたかったな。今とはちょっと違う感想を持った気がする」
「これからリリにはたくさん時間があるんだから、ゆっくりじっくり発酵させられるよ」
リリは黙って頷いた。頷きながら、たった一人の家族だった母親を亡くしたとき、これからは一人で生きていかなくてはいけないんだ、と思ってこぶしを強く握ったことを思い出していた。
クマは一人でさびしくて、張り紙を出して、誰かが戸を叩いて訪ねてくれることを強く望んだ。
リリは、本の最初のページに戻って、クマがとびらに貼った張り紙をもう一度眺めた。
どなたか音楽をおしえてください。
お礼はたくさんします。
クマ
ものすごくシンプルで、胸を突かれる張り紙だ、とリリは思った。
自分がクマの立場になったら、張り紙を出すだろうか、とリリは考える。
出さない気がする。いや、あまりにさびしくて、やっぱり出したいって思うだろうか。
好ましく思う人には、自分の気持ちを伝えたいと思う。伝えるための言葉が、今の自分には足りなのではないか、とも思う。
リリが本を見つめたまま物思いにふけっているのを感じ取ったワコさんは、しずかに立ち上がり、窓の外を見た。窓ガラスは少し結露している。外はとても寒そうだ。
自分が子どもの頃になぜこの物語が必要だったのか、暗い窓を見ながらワコさんは立ったまましばらく考えていた。
<引用文献>
安房直子著『北風のわすれたハンカチ』(偕成社文庫)2015年刊
掲載ページ p.9、p.63、p.83、p.105、p.109
広島県生まれ。歌人、作家。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第七回歌壇賞受賞。2016年、『いとの森の家』で第三一回坪田譲治文学賞を受賞。
2006年に初の小説『長崎くんの指』を出版。
歌集『春原さんのリコーダー』『青卵』『十階』、小説作品『とりつくしま』『さようなら窓』『薬屋のタバサ』『晴れ女の耳』『階段にパレット』『ひとっこひとり』『フランネルの紐』、エッセイ集『一緒に生きる 親子の風景』『レモン石鹼泡立てる』『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』、歌書『愛のうた』、『短歌の詰め合わせ』、『短歌の時間』『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』、穂村弘との共著『短歌遠足帖』、くどうれいんとの共著『水歌通信』、詩集『朝、空が見えます』、絵本『あめ ぽぽぽ』(絵・木内達朗)、『わたしのマントはぼうしつき』(絵・町田尚子)、『シマちゃん モモちゃん もりのなか』(絵・松田奈那子)など著書多数。

