ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第14回

入国審査で、愛を問われる

2025年9月18日掲載
飛行機に乗るのは大好きなんだけどなあ…

アメリカの入国審査は近年厳しさを増している。かつて世界最強パスポートを誇った日本とて例外ではない。アメリカに売春出稼ぎに訪れる日本人女性が増えていて、移民局も目を光らせているのだ。私も一度、「別室送り」にされたことがあった。別室送りとは、入国審査で身分の追加確認が必要だと判断された場合に、別室に連れて行かれて徹底的に質問される、生きた心地がしないイベントのこと。入国拒否された場合には母国に強制送還、その後10年は入国できないこともあるらしい。

人生で初めての別室送りだった。渡航の少し前に、マサチューセッツ州で、日本人も含めたアジア系女性の売春を斡旋していた犯罪組織が、摘発されたのが関係していたのかもしれない。売春に手を染める女性を人身取引の被害者として保護する動きもあるけれど、無実の人まで疑われる傾向が強くなっているのも事実。ナンセンスな話だが、女性のひとり入国は特に疑われる。

私もそのひとり。仕事の関係で、夫と入国日程が別々になってしまったのだ。彼らは私からパスポートを取り上げて、グレーの鉄扉の向こうに誘導した。薄暗くてひんやりとした無機質な部屋に、カウンターと向かい合うようにベンチが並んでいる。彼らはカウンターの対岸から、厳しい面持ちで質問を繰り返す。当時はビザ申請中だったけど、ビザを申請していることはもちろん、頼んでいる弁護士の会社名や、前職についてなどの情報もデータベース上ですべて共有されていることに恐怖を覚えた。英語で問いに答え続けても、彼らの私を見る目に疑いが混ざっている。

一問一答が始まって40分ほど経っただろうか、やれやれといった感じで、夫の名前と携帯番号を紙に書けと言われた。「Sure(もちろん)!」と余裕の笑顔を装いながら、渡されたノートの切れ端のような白い紙をにらんでごくりと唾を飲む。もちろんスマホやPCを参照することは許されない。正式な夫婦ならそれぐらい覚えているでしょうという、身分の信用審査でもあるからだ。無事入国できるかどうかの分岐点、ここで間違えたらいっかんの終わりな気がした。震えそうになる指先を押さえつける。夫の携帯番号を脳内から引っ張り出して、慎重にペンを動かす。この電話番号で正しいか、何度も何度も記憶と照らし合わせた。夫の名前はアルファベットの綴りが間違っていないか、注意深く確認をする。見れば見るほど普段当たり前に書いているはずの名前が間違っているような気がしてくるこの感じ、はるか四半世紀前に受けたセンター試験の氏名記入欄を思い出した。

その紙の切れ端をカウンターの向こうに渡すと、彼らはパソコンをのぞきこむ。祈るような気持ちで見つめていたら、この日初めて彼らが頷いた。張り詰めた空気が一瞬にして和らぐ。そして、取り上げられていたパスポートが私の手元に返された。ようやくお役御免となったのだ。終始平静を装わなければと思っていたから、別室を出るときに「もっと英語勉強しなくちゃね」と軽口を叩いてやったが、出た瞬間膝から崩れ落ちるかと思った。あぁ怖かった。背中がじっとりとした汗で蒸れている。

それにしても、夫の携帯番号を覚えておいてよかった。携帯番号なんて覚える気がさらさら起きない便利な社会。でもその昔、酔って携帯をなくした時に、夫の電話番号は絶対に覚えておいたほうがいいという教訓を得たのが奏功した。泥酔に感謝。

というわけで、別室送りはなんとか事なきを得て、それ以降は晴れてビザも取得し、日米を数回行き来した。毎回入国審査はスムーズで、執拗に質問されるようなことはもう2度と起きなかった。あぁよかったと、安堵していたのも束の間、トランプ大統領の第2次政権が発足したのだ。彼が移民に厳しいことは周知の事実。ニューヨークに住む日本人の間でもよからぬ噂が飛び交っていたから、政権移行後の初めての入国審査は、私も妙に力んでいた。

しかもこの日の審査官は運悪く強面だった。その表情を見て、体内に埋めこまれた別室送りのトラウマがむくむくと蘇る。つい動揺してしまい、やりとりの際、聞かれていないことまで付け加えてしまった。

「夫と一緒に暮らしています。夫にも会いたくてアメリカに来たんです」

犯罪に手を染めていないことを証明するためには、正式な結婚をしていることを理解してもらうのがもっとも効果的な方法だと思っていたのだ。別室での詰問から解放されたあの日のように。

するとデータベースを見ていた審査官の動きが止まった。私は一瞬、しまった!と思った。聞かれていないことをペラペラ話す奴ほど怪しいというじゃないか。またあの地獄の別室送りか!? 心臓が早鐘を打つ。すると彼は、私の目をじっと見てこう続けたのだ。

「夫となんで結婚したんだ?」

え?

は?

な、何、この変化球!?

むっず! どうしよどうしよ、でもなんか言わないと…!

「えっと……愛している……から?」

ややモジモジしながら答えると、審査官の強面が一気にほころんだ。そしてヒューイと口笛を吹きながら他の審査官たちに「夫を愛しているんだってよ!」とおどけて見せた。すると横一列に並んだクリア板の中にいる他の審査官たちも、右に左に波打つように、次々と「Oh my god !」と反応する。おいマジかよ勘弁してくれよと言わんばかりに、私を冷やかす。異国で夫への愛の公開告白。一体なんの辱めだ。

続いてその審査官は、真顔で私に質問してきた。

「愛とはなにか?」

愛とはなにか!?

そんなの日本語でも答えるの難しいのに! 言葉に詰まっている私をよそに、彼はドン!と勢いよく判子を押して、低音ボイスで「Next」と言って、パスポートを返してきた。無事入国できたが、心の中は悶々としている。劇団イミグレは、とんでもない哲学的な質問をこちらに手渡してきたのだ。

愛とはなにかーー。

愛とはなにか。難しい

答えが出ないままニューヨーク生活を送る中で、ある人物に出会った。彼の名前はアンドレス(仮名)。彼は、かつて麻薬カルテルが跋扈(ばっこ)したことで悪名高いコロンビアのメデジン出身。そこからパナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、メキシコと7つの国境を、4ヶ月間歩き続けてアメリカに入国した移民だ。そして驚くべきことに、なんと妊娠した妻と一緒に歩いてきたという。

アンドレスと私たちの出会いは、とあるハンバーガーショップ。列に並んでいるときに、たまたま前にいた彼が夫と同じパーカーを着ていたから「同じですね」と話しかけたことから会話が始まった。そして人懐っこい彼は、自分の身の上話をしてくれた。

聞けば、妻はその後無事アメリカで出産したという。アンドレスは子どもの写真を見せてくれた。スマホをのぞくと、1歳4ヶ月になったという、美しい男の子がベッドの上でころころと笑っていた。

「アメリカで生まれたからアメリカ人なんだ」

そう言ったとき、アンドレスはとても嬉しそうだった。

後日、彼が働いているというベーグルショップに夫と行ってみた。すると彼は毎回サービスでベーグルを作って私たちに振る舞ってくれるのだ。トマトとクリームチーズのベーグルを頼むと、彼は「サーモンが一番高いからサーモンにしなくていいの?」と聞いてくれる。夫とおそろいだったパーカーは、ここのベーグルショップのグッズだった。デザインが可愛いから私も着たいと前回言ったのを覚えていてくれたアンドレスは、なんと在庫がなかったからと自分のパーカーを洗っておいて、この日私にプレゼントしてくれた。着古して裏地が少し毛羽立っていたけど、彼の温かみがより感じられて、新品より嬉しいなと思った。

彼が作ってくれたベーグルを頬張りながら、夫と一緒にアンドレスの話を聞いた。彼の母国語はスペイン語で英語は話さないから、翻訳機能を使う。

彼は、ジャングルを越えてきた、と言った。コロンビアとパナマの国境にまたがるダリエン・ギャップのことだ。密林が60〜100kmほど続く過酷な地帯で、毒ヘビがいると教えてくれた。でも敵は野生生物だけではない。道中、ブローカーにたくさんお金を取られたらしい。そしてメキシコ入国の際は、スマホを捨てなくてはいけない。スマホの情報を基に、母国に残してきた家族が脅迫されるからだそうだ。私たちが呆気にとられていると「無事に着いたのは神のご加護のおかげです」と彼は言った。

さらに驚いたのは、この命を懸けた旅路は、妊娠した妻からの提案だったのだ。当時はバイデン政権が移民緩和政策をとっていたのと、「出生地主義」といって、アメリカで生まれた子どもはアメリカ人という制度が保障されていた(今はトランプ政権が廃止しようとしている)。

私は、妻の気持ちを想像してみる。お腹に新たな命を宿した喜びを噛み締めながら、よしこれで人生を変えられると、決断したのだろうか。だとしたら、とてつもないことだ。祖国に残してくる親兄弟に対しても後ろ髪を引かれる思いだっただろうし、何より、宿した命を危険にさらす恐怖。それは、母として耐え難かったに違いない。そのすべてを抱えてどんな思いで、一歩一歩、土を踏み締めていたのだろう。彼女が日に日に大きくなるお腹を気遣いながら、アンドレスと手を取り合って鬱蒼とした密林を歩いている姿が浮かんだ。でも、どれだけ想像力を働かせたとしても、日本という恵まれた環境に生まれ育った私にわかる世界には限界がある気がした。だからこそ話を聞けて嬉しかった。

今彼らは、ニューヨークが提供したホテルに住んでいるという。人権を尊重する意識が強いニューヨークにはRight to Shelter(避難場所へアクセスする権利)という考え方があって、移民やホームレスなどに宿泊場所が提供される。最近は移民が増えすぎたのもあり、この措置は縮小されつつあるが、子どもがいる場合は継続される。

掴み取った第2の人生を、どうか3人で大事に守っていってほしいと願いながら、別れを告げた。

このビル群の足元にたくさんの事情を抱えた人が生きている

そんなアンドレスに異変が見えたのは、それから4ヶ月後のことだった。

彼から久々に連絡があり、会おうとのこと。夫は仕事で日本に行っていたので、私はひとりで彼が働くベーグルショップに行くことになった。約束の時間の直前になって、彼から店じゃなくて近くのレストランに行こうと誘われたから、少し変だなと思いつつも方向を変えて向かった。

久々に会った彼は、前回会ったときより明らかに疲れていた。そして、席に座ると話し始めた。

「アメリカが好きじゃない。少し前に電車の中で黒人男性が僕に飛びかかってきたから、抵抗したんだ」

アメリカが好きじゃない――。

命を懸けてたどり着いたとしても、そこが桃源郷とは限らない。これが現実なのか。

「襲われたの? 無事でよかった……。どうやって抵抗したの?」

「いつも鉛筆を持ち歩いている。鉛筆で首を刺す。身を守る方法は、子どものときから学んでいるんだ」

私は言葉を失った。彼は続けた。

「アメリカは好きじゃない。話す相手もいないんだ」

「そっか……でも奥さんは? 奥さんとは話すでしょ?」

「この間、奥さんに家から追い出されたんだよ。嫉妬深くて。友達といただけなのに。また同じことをされたら次は僕は許さない」

ふたりの関係に、明らかな亀裂が生じていた。

「でも、奥さんとは試練を一緒に超えてきたんでしょう?」

「ラテン系女性は仕事を持つと、男を必要としなくなる人がたくさんいるんだ」

そう言って、彼は少し寂しそうな表情を見せた。今、彼女は仕事を2つ掛け持ちしているらしい。

そして、彼は突然言った。

「君の香水、いい香りだね」

私は、あ、帰ろう、と思った。悲しかった。そこからは「職場の同僚が君のことをガールフレンドだと思っているよ」とか、「彼女(奥さん)が君に嫉妬している」とか、安っぽい誘い文句が続いた。安っぽいと思ってしまう自分もいやだった。

「君の旦那さんも、僕に嫉妬しているかな」と少しニヤニヤしながら言われたので、即座に否定した。

「夫は、まったく嫉妬してない。信頼関係がちゃんとあるから大丈夫」

アンドレスの男性としての自尊心を満たすためだけに、夫を狭量に見せることは、許しがたかった。

そんなとき、彼の携帯が鳴った。どうやら彼の妻かららしい。二言三言何かをしゃべってすぐ電話は切れた。彼女はこちらの様子を探っているような感じに受け取れた。

アンドレスは面倒くさそうに

「世の中にはクレイジーな女性がいる」

と言った。これはもう潮時だ。友達と約束があるからと口実を作ってすぐ席を立った。

帰り道、どろどろした感情が頭の中で蠢いた。悲しかったし、悔しかったし、むかついた。

何が悲しくて、悔しくて、むかついたのか、自分でもよくわからなかった。友達になれるかもと思っていた人との間に、人種や育った環境という、結局は超えられない壁を感じてしまったから悲しいんだろうか。

それとも、苦労をした人間を善人と決めつけて、その期待が裏切られたから悲しいんだろうか。でも彼の人生をドラマチックな感動物語のように勝手に消化して、勝手に心を動かされていたのは、自分のせいじゃないか。そんな自分の独善性にむかついているんだろうか。

悔しい。彼のいっときの寂しさを埋めるために、私は使われたような気もした。でもその悔しさは果たして女性としての悔しさなのか、もしかしたら恵まれた日本人としてのプライドが傷つけられた悔しさも感じているのかもしれない。そんな自分にゾッとした。

むかつく。私の夫とも会って話していたくせに、夫がいない合間に私を誘ってくるなんて、夫を侮辱している。奥さんのことも、子どものことも裏切っている。でもアンドレスがもし日本人だったら、もっとちゃんと目の前で不快感を出せたのに、怒れなかったのは、心のどこかで私は彼に同情しているんだろうか。彼の育った環境に? だとしたら私は最悪かも。

感情を整理できないまま、喧騒から逃げるように小走りで家に向かった。部屋に入ってハンガーにかけてあったアンドレスからもらったパーカーを一瞥する。在庫がないからと、自分のをわざわざ洗ってプレゼントしてくれたこのパーカーを。一瞬捨てようかとも思ったけど、物に罪はないし、デザインも気に入っている。もうすぐ秋だ。節約で新しい服も買っていない。着続けることにした。でももう彼に会うことはないだろう。

この日のことはしばらくは尾を引きそうだけど、でも、これこそが現実だし人間の姿なのだと思い知らされた気がした。アンドレスと妻のような、生死を懸けて試練を共に乗り越えた夫婦が、今は嫉妬という小さな執着に駆られて険悪になっている。結局、人生のほとんどは些末な日常に押し流されていく。来る日も来る日もやってくる地味な日常を淡々とこなすことが人生。その淡々とした日々の中で、小さな喜びを見つける努力を一緒にできる人に近くにいてほしい。そして、私もそうありたい。

ふと、イミグレで出会った審査官の言葉を思い出す。

愛とはなにか。

そういえば、夫と今年で結婚して丸10年が経った。原稿を書いている横で、時差ボケに苦しみ寝ている夫が今、すかしっぺをした。「やったな!」と声をあげると、夫は寝ぼけながら「ひゃん!」と奇声をあげて、また眠りについた。

夫が結婚10周年を祝ってくれた
10周年目で指輪を交換。愛とはなにかの模索は続く(笑)
著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。