ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第15回

そして今、古着屋の店員をしています

2025年12月20日掲載

25年ぶりにアルバイトを始めた。チャイナタウンのはずれにある古着屋で店員の仕事を始めたのだ。この店には、日本人も観光客もまず来ない。当初は、2週間に1度の勤務と言われたけど、この円安のおかげで私は金欠の学生に等しいので、もっとシフトに入りたいとアピールして、今は毎週入らせてもらっている。なんと店の鍵もいただいた。嬉しいけど展開が早すぎる。

この店で買った白いパンツ、お気に入り

この店のお客さんのほとんどは地元の若者で、同僚とも親子ほどの年齢差がある。先日はお客様を褒める言葉を教わった。今まで「イケてる」と言いたいときはcoolかsuper coolの二択で来たが、「洗練されている、おしゃれ!」という意味で「chic (シーク)!」を使ったりもするらしい。日本だとシックと発音しているけど、正しくはシーク。知らなかった。それ以降、試着をしたお客様にシークを頻発している。怪訝な顔をされることもあるし、あるスタイリストのお客さまからは「Thank you My Love」と返された。My Loveですと? お洒落すぎる返しに、こちらが赤面してしまう。

バイト仲間のジョーダン、 個性的な帽子もこの店で

私は、元々この店のファンだった。この店はチャイナタウンとSOHO(ソーホー)の境界線上にある。SOHOとはニューヨークの最新ファッション発信地で、世界的に人気のあるスケーターブランドsupremeやGUCCIなどの高級ブランドが軒を連ねる。SOHOというワードは、昔母が読んでいたファッション雑誌でよく見かけた。私が中学時代をしっかり拗らせて、近所に住んでいた男子から借りたマンガ『寄生獣』や弟からパクった『稲中(行け!稲中卓球部)』に活路を見出していた頃、母は雑誌「Vogue」や「ELLE」などをペラペラとめくっていたのだ。こんちきしょう。

華やかな紙面の中で唯一覚えているのが、ソーホーってなんだか英語っぽくない響きだなと思った記憶。こちらに来て初めて、South of Houston Street(ハウストンストリートの南側)の略称だということを知った。ハウストンストリートを南下して、カナルストリートまでの一帯をSOHOと呼ぶ。カナルストリートとは、マンハッタンを東西に横切りハドソン川まで続く大きな道。Canal(運河)とその名の通り、かつて運河だった場所が、現在は埋め立てられてカナルストリートになっている。ちなみにハウストンは、この一帯の大地主の娘婿がハウストンという名前だったからとのこと。なるほど義父が娘婿を立てたのか、やっぱ親戚が上手くやっていくにいはそういうの地味に大事ですよねーなどと、渡る世間的な想像をつい膨らませてしまう。

チャイナタウンとSOHOは、そのカナルストリートを挟んで隣接しているけれど、街が醸す空気、匂い、全てが別世界だ。この店は、SOHOではなくチャイナタウン側にある。街の一角では、おじさんが半音ずれた二胡を弾き鳴らし、鳩の大群が飛び立つ度に側溝にたまった埃を巻き散らす。それがニューヨークのチャイナタウンだ。

チャイナタウン

道には露天商がびっしりと立ち並び、中国語が勢いよく飛び交う。店先にはニューヨークではあまり見ない青梗菜などの葉野菜や、ライチなどの果物が積み上げられている。日本のお祭りを思い出すからか、前を通る度に少し懐かしい気持ちになる。店の奥には背丈2メートルほどの棒が束ねられていて、なるほど竹馬も売ってるんだ……校庭で友達と競争したっけな……と童心に浸っていたら、なんとサトウキビだった。冬になると、店頭にサトウキビが出現する。サトウキビと言えばつい沖縄の夏を想像してしまうけど、こちらはフロリダ産。寒くなって茎の成長が止まり、糖分を内側に蓄えて甘くなったサトウキビがニューヨークのチャイナタウンに並ぶ。チュロス感覚で丸ごとかじるのはチャイナタウン式。剥かれたばかりの真っ白い皮が、アスファルトに散らばっていた。

路上に散らばったサトウキビ

その露天商通りを抜けると、お次は偽物通りが私たちを迎える。アップル社やルイヴィトンの偽物を売るアフリカ系アメリカ人が5メートルおきに立っていて「買わない? 安いよ」とひっきりなしに声をかけてくる。夫から借りた真っ赤のダウンジャケットが、どうもその界隈の人々に刺さるらしく、冬になってますますキャッチに声をかけられるようになってしまった。そんな彼らも警官が近づいてきたら、どこからともなくその情報が伝播して一瞬で消える。何度かその場に遭遇したけど、危機を察知した時の逃げ足の素早さがチャイナタウンの鳩の群れを彷彿とさせた。しかも彼らは路上に大きな布を広げて、その上に商品を陳列する。布の端と端さえ持てば、瞬時に商品ごと逃げられるからだということを知って感心した。

そのキャッチを縫うように避けながら歩くと、雑居ビルが見えてくる。1階は中華料理屋。ガラス越しに見える店内には鴨が丸ごと吊るされていて、炙られた表面の皮が脂でテラテラと金色に輝いている。ごちそうを横目で見ながら、細くて急な階段を上がってゆくと、私の職場に到着。

立地は手ごわいけれど、初めて客としてこの店を訪れた日にすでに私は虜になっていた。ニューヨークに移住して1年半、ようやく出会えたとさえ思った店。

さほど広くない店内を縦横無尽に埋め尽くすハンガーラック。絵の具を全色揃えたみたいな色とりどりの古着が空間を奪い合っていた。壁はびっしりと帽子やサングラスやキーホルダーやポスターで覆われてほぼ見えない。天井は投網のようなネットが一面に張られ、レインボーに光るネオン管に照らされてる。重力がなかったら立ってる場所を見失って迷子になりそうだ。

どちらが首なのか袖なのかわからないニットや、ビニール傘みたいな素材のパンツ、蛍光色のもふもふした何かが視界に飛び込んでくる。どの服も「着られるなら着てみてよ!」と挑戦状を叩きつけてくるように挑発してくる。それでいて、着られることを心待ちにしているような陽気さを漂わせていた。

今まで訪れたどのアパレルショップとも違う。店自体が生命体のように呼吸をしていた。

この店の服を統括しているのが、店主アーロン。彼のセレクトには窮屈なものが存在しない。日本の卓球ブランド「バタフライ」の卓球ウェアを売っているのには度肝を抜かれた。なんで⁉と聞くと「だって可愛いじゃん」と純度100パーセントの無邪気さで即答された。今でこそ卓球は人気スポーツだけど、私が生きていた昭和は、申し訳ないが日陰の存在だった。そのユニフォームが、アーロンの目にかかると、ファッションに変身する。かと思ったらハイブランドの古着もあって、客は左手に卓球ユニフォーム、右手にロエベのトップスを持って真剣に見比べている。なんてトリッキーな光景なのだろう。

バタフライとロエベ

私もプレゼントの包装紙を剥ぐような気持ちで、ラックに立ち向かう。アイテムをかき分けながら、ふと、あるブーツのことが頭に浮かんだ。日本で買ったもののクローゼットの奥にしまい込んでいたシルバーのニーハイブーツ。それは、ふくらはぎを鏡にしてメイクができるんじゃないかと思うほどビカビカに光るブーツだった。

私は買い物をする時、変身願望を込めて買うことがある。これを身につければ違う自分になれるんじゃないか、もっと自分のことを好きになれるんじゃないかという願い。シルバーのニーハイブーツはまさにそれだった。

年末に向けて街のあちこちが華やいでいた。ショーウインドウを飾るクリスマスセールの赤文字が、浮かれた人々を誘う。私も釣られてふらりと入った店に、シルバーのブーツはあった。見つけた瞬間に心が躍った。ひと目惚れに近い感覚で恐る恐る近づく。シルバーの側面部分が戸惑う私をぼんやり映している。しかもその鏡面が膝の上空、太ももまで達する迫力のニーハイ。いかつい!でもかっこいい!!価格を見るとクリスマスセールで70パーセント引き。それでも全サイズが残っていた。

冷静な自分がむくむくと顔を出す。これを履いて出かける場所はあるのか……? まずこれを履いて乗れる電車は……ラッシュの山手線はきついよな…日比谷線は……ギリいけるか? いややっぱめちゃくちゃ浮くよな。変な目で見られるかも。やめといた方がいいか……。

もう一度見つてめる。相変わらずギランギランに発光していて、こちらが気後れしてしまう。でもこの暴力的にかっこいいブーツを履けば、自分の中の何かが弾けて、私を変えてくれそうな気がした。ええぃ!!ツリーを運ぶように両手でガシッと抱えた。そして会計に向かってズンズン歩いてゆく。もう1人の私が邪魔をする前に、支払いを済ませてしまうしかない。あれから三年。結局、日の目を見ないままクローゼットの奥にしまい込み、二度の冬を越した。何度かトライしようとしたけれど、やっぱりどこか怖かった。履き慣れたワークブーツに手を伸ばすたびに、視界の端にちらつくシルバーブーツに心がちくりとした。でもいつかこれを履く日が来るんじゃないか、いや来てほしいという願いも込めて、ニューヨークに一緒に引っ越したのである。

移住した年の冬、小さなパーティーがあった。履くなら今日だと思い立ち、ようやくクローゼットの奥から引っ張り出した。買ってからもうすぐ三度目の冬を迎えようとしていた。まずキッチンペーパーを濡らして表面の埃を拭く。そしてベロアの黒のワンピースに袖を通し、ブーツのチャックを太ももまで上げて、いざ鏡の前に立ってみた。これは……ゴレンジャー……? この後待ち受ける爆破シーンが目に浮かぶ……。変身願望ってこっちの変身じゃないんだけどな。また弱気な自分が顔を覗かせてくる。やっぱり浮いちゃうかも……やめておこうかな……でも今日を逃すともう一生履かない気がする。

迷うのも面倒になって、買った日と同じように、もうひとりの自分が邪魔をしてくる前に玄関を出てしまった。誰も私に奇異な目線を向けてくることはない。そうだった、ここは電車の中で歯を磨くことが許される街だ。誰も私の戦隊服など気にしている暇はない。でも結局、頭のどこかで勝手に怯えている自分がいて、せっかくのパーティーなのに少しだけ居心地が悪かった。

宴の後、帰途につこうととぼとぼとひとり夜の地下鉄のプラットフォームを歩いていた。その時だった。前から歩いてきた2人の男性が、すれ違いざまに突然私に向かって声をかけたのだ。

「Happy Boots ‼(ハッピーブーツ‼)」

えっ⁉ と思って振り向くと、肩を寄せ合うすらりとした長身の男性2人が、一瞬こちらを振り向いて、ちゃめっ気たっぷりの笑顔を残してあっという間に去っていった。カップルだった。私は突然のことで、唖然としながら2人の後ろ姿を見る。世界にはまるで2人しか存在しないんじゃないかと思うほど、彼らの視線は濃密に絡み合う。ピンクの糸を引くような、幸せそうな2人の余韻。その香りにとらわれて、私は動けないまま思わず心の中で叫んだ。

「ハッピーはあなた達だよ! でもなんか、ありがとね!」

この瞬間のおかげで、このブーツが私にとって特別な靴になったのは言うまでもない。熱が足元から体をせり上がってくる。好きなものを身につけて、好きな人と堂々と歩いて行ける街。それがニューヨークなんだ。世界がキラキラと輝いて見えた。履くのがずっと怖かったのに、不思議と今はもう怖くない。ハッピーブーツという言葉がおまじないみたいに、私を強くしていた。

街ゆく人に話しかけられる

奇妙なことだが、ハッピーブーツと名を授けられて以降、これを履いているだけで街ゆく人に褒められることが増えた。

それ素敵!

ゴージャス!

どこで買ったの?

シルバーブーツは何も変わってない。相変わらず引くほどビカビカしている。変わったのはきっと私の方だ。このブーツに足を入れる度に、あの日出会ったカップルの幸せそうな姿が蘇る。そして、今いるこの古着屋は、私があの瞬間に感じた多幸感をそのまま具現化している気がした。人の目からは奇抜に見えたとしても、自分が着たいものを着て、生きたいように生きる。その力をくれる場所。私の好きなニューヨークが詰まっている店。

働きたい……。

そんな衝動が湧き上がってきた。働く場所をずっと探していたけど、あまりグッと来る場所には出会えていなかった。でもこの店なら心から愛することができる。そんな直感に身をまかせて、お店のインスタにDM(ダイレクトメッセージ)をしてみた。

「今、バイト募集していませんか?日本ブランドでいくつか着ていないのもあるので、持っていけますよ」

積極的すぎで気味が悪いかなと懸念もしたけど、無駄な遠慮は美徳とはならない。私は英語ネイティブではないしコミュニケーション力が劣ることも自覚していたので、自分の強みをアピールするべきだと思った。

すると店主のアーロンから返事が来たのだ。

「今人をたくさん雇っているから2週間に一度になってしまうけどそれで良ければ。今週木曜日、店に来れる?」

あっさり採用。

アメリカではインスタが名刺代わりで、DMで仕事が決まることも多いと聞いていたけど、本当だったんだ。

採用を真っ先に報告したのが、友人のみのりさん。彼女は半年間ニューヨークに住んでいて、この店に連れて行ってくれたのもみのりさんだった。私たちは古着が好きで、この日もゴザで雑に仕切っただけの試着室でファッションショーをするかのように、2人で袖を通し続けた。

そして、店主アーロンの見事なプレゼンで、私は白いパンツを買った。

「これは80年代のKansai Yamamoto(山本寛斎)。ほら見てこのタグ。これはヴィンテージのKansai Yamamotoの証だから。80年代の日本DCブランドは縫製も生地もデザインも最高。いいものがダメージが少なく残ってる。縫製技術が素晴らしいんだよね。ほら見てこっちはKOSHINO」。

「あ、コシノ三姉妹だね」

「違う、これはお母さんのアヤココシノの方」

立板に水。まさにオタクのそれだ。しかもコシノ三姉妹だけでなく、お母さんの名前までアーロンの口から出てくるとは。そんなアーロンの見立てで、人生で初めて山本寛斎デビューをした。ポケットがバルーンのように広がっているユニークなデザインで、立体感を出す複雑なギャザーが美しかった。

みのりさんもTシャツを買って、2人して上機嫌で店を後にした。細い階段を降りると、そこにはいつものチャイナタウンがあった。けたたましいクラクション。飛び立つ鳩。あふれるゴミ箱。なんだか夢から醒めたような不思議な気分だった。少し傾き始めた陽射しが、雑踏を行き交う人々を照らしている。

スマホの時計を見ると、店に入ってから2時間も経っていた。

「服買うのに2時間もいることなんてある⁉」

「東京から名古屋行けるじゃん」

2人でゲラゲラ笑った。

アーロンに聞いたことがある。

なんで私を採用してくれたの?

「とにかくエネルギーがすごかったから。直接メッセージが来てびっくりした。ってゆうか、ニューヨークでお店開くんでしょ? わからないことがあったらなんでも聞いて」

そうなのだ。夫が共同経営者として、アウトドア用品店をニューヨークに開くことになった。ニューヨークにお店を持つ。それもアウトドアの。実は、この構想は元々夫婦の間にあり、パワポで拙い資料を作り、ジェトロ(日本貿易機構)ニューヨークに2人で相談しに行ったこともあった。でも、何から手をつけていいのか分からず悶々としていたところで、夫が素晴らしいご縁をいただき急展開。なんと、店の名前も場所も決まったのだ。

場所はブルックリンのグリーンポイント。

名前はcontrasto (コントラスト)

開店は2月下旬予定。

お店「contrasto」 

人生何が起きるかわからない、だから面白い。contrastoで戦力になるという目標ができてバイトにもますます精が出るけど、ネイティブの同僚と同じように接客できない自分がもどかしい。そこで私はある小さな作戦を思いついた……ひたすら客のゴミを狙うという作戦を……。

著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。