「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。
ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。
この街に来て、今話したいこと

話し終えた瞬間、満員の会場から拍手と歓声が沸き起こった。なんだか会場が盛り上がっているようだけど、私は最後の一語までちゃんと言えた安堵感でいっぱいで、まるで他人事のように現実味がない。ふらふらとステージを降りる。するとさっきまでこちらを照らしていたスポットライトでまったく見えなかった観客の顔が、突然浮かび上がった。
あれ、泣いている人がいる——
観客席で涙を拭っている女性の姿がちらほら目に入った。私の話に泣いているの? 信じられない気持ちだった。私がつい5分前まで座っていた観客席に戻ろうとすると、その周囲に一際大きな歓声が広がった。1人の女性が立ち上がる。そして両手を大きく広げて私を待ってくれている。見知らぬ人だったけど、迷わずその胸に飛びこんだ。彼女はそのまま強く私を抱きしめて、背中をさすりながら伝えてくれた。
「You are brave ! I love you.」
見ず知らずの女性の温かい腕の中で、やっとこの状況が飲み込めて、涙がにじんだ。自分がずっと言えないでいたこと。人にあまり知られたくなかったこと。それをさらけ出して、これだけの人たちが受け止めてくれた。
涙が頬を伝っていくのがわかった。それと同時に、重たかった何かが落ちていく。長い時間がかかったけれど、自分の身に起きたことを、やっと私も両手で抱きしめてあげられる気がした。
つい先日、私はある一般参加型のトークイベントに参加した。一言でいうと「のど自慢大会」の自分語りバージョン。抽選で選ばれた人が、自分の個人的なストーリーを話すというしくみ。主催は『The Moth』という団体だ。
『The Moth』は今から約30年前の1997年、小説家のジョージ・ドーズ・グリーンによって創設された。きっかけは、彼が故郷ジョージア州で友人たちと過ごしたある夏の記憶。蒸し暑い夏の夜、蛾が群がるポーチの灯りの下で、友人たちと語り合った。その時間をニューヨークで再現したいと思い立ったらしい。Mothとは蛾のことだ。
このムーブメントは、ニューヨークから全米に広がった。アメリカ26都市に加え、オーストラリア、イギリスを含む世界28都市で展開されている。話された個人的な物語を収録したポッドキャストは数々の賞を受賞。物語が収められた書籍はニューヨークタイムズのベストセラー入りも果たしている。
そもそも私がこの『The Moth』を知ったのは、あるトラウマ体験がきっかけだった。実は、以前スタンダップコメディに数回挑戦したものの完膚なきまでに玉砕し、それからというもの人前に立つのが怖くなっていたのだ。日本でも笑いを取れているわけじゃないのに、しっかり落ちこんでしまうのが私の図々しいところだ。どうか許してほしい。
その日も、もしかしたら1フレーズだけでも笑ってもらえるかもと意気揚々とステージに上がったが、もちろん現実は甘くない。唯一起きた笑いは、セリフが飛んで頭が真っ白になり、餌を待つ鯉のように口をパクパクさせた後、「I’m sorry!!」と慟哭の表情で叫んだ瞬間のみ。焦れば焦るほど次の言葉が出てこなくなって、私はステージから飛び降りて用意していた原稿を鞄から取り出し、バタバタと戻ったかと思いきや、震える手で原稿を握りしめ最後まで棒読みした。客席にいたカップルの目線が忘れられない。瞳には明らかに憐れみや困惑が滲んでいた。今でもそのシーンがたまにフラッシュバックして、シャワーを浴びているときに「うわぁぁぁ!」と叫んでしまう。
この流れをどこかで断ち切らねばとトーク再挑戦を目論んでさまざまなトークイベントを漁っていた。その中で出会ったのが、この『The Moth』だった。この団体の目的は、個人的体験を共有することで人間を理解することであって、お笑いのネタは求めていないらしい。求められているのは「実話を話す」こと。ならば私でもできるかもしれない。
イベントは各地で行われているらしい。ニューヨークはどうかと調べてみると、ブルックリンにあるThe Bell Houseというライブハウスで、なんと2日後に開催されるとのこと。これは行くしかない。
チケットは$22。安くはないけど、バカ高い家賃を払いニューヨークにいる以上、少しでも興味のあることには首を突っこんでみたほうがいい。すぐさまチケットを買った。するとQRコードと共にトークテーマが表示された。今回は「New Leaf 人生の新たな章」について。会場にいる有志のうち抽選で選ばれた10人が話すらしい。あの忌まわしきスタンダップのリベンジができるかも。
さて、何を話すか。
真実の話。
人生の新たな章。
私がこの街に来て、今話したいこと。

「人生の新たな章」と聞いて思い当たることがあった。それを書き出して構成を練る。持ち時間は5分。5分で何かを伝えるときは構成が命だ。言いたいことを足すんじゃなくて、引く作業が重要になる。欲張ると結局何も伝わらないのは、数少ないバラエティ番組以外の仕事で嫌というほど思い知らされていた。ちなみに原稿を見るのは禁止らしい。ならば覚えるしかない。暗記か……。
「Feel it ! Don’t be a word machine! (感じて!言葉の機械になるな!)」
演劇学校で散々聞いたロレイン先生の怒号が脳内に蘇る。私は覚えたことを正確に言うことだけで精一杯になってしまうことがよくあった。情景を想像しながら、ちゃんと体で感じてと自分に言い聞かせて練習をする。準備できるのは1日だけ。家に個室がないから、夫がリビングで仕事をしている間はトイレが稽古場となった。
迎えた当日、地下鉄を乗り継ぎブルックリンへ。会場に近づくにつれ、人の気配が濃くなっていく。入り口に到着すると、開演1時間前だというのにもう行列ができていた。観客の期待感が伝わってきて、心臓が小さく波打った。
中に入るとさらに圧倒された。映画に出てきそうな洒落たバーラウンジが、人々を迎えている。長いカウンターの奥でバーテンダーが手際よく酒を振る舞っていた。右手には大きなスクリーンもあって、いたるところにコンサートや演劇のポスターが貼られていて活気に満ちている。この奥の廊下を抜けるとメインルーム。今日のイベントが開かれる会場だ。入った瞬間、言葉を失った。アーチ型の高天井から豪奢なシャンデリアが2つ吊るされていて、金色の光が会場全体を包んでいる。鳩と一緒にマジシャンが登場しそうな華やかさだ。
メインステージからは紫色のライトが客席を照らす。その妖光が木製の天井やシャンデリアと交差すると、退廃的で禍々しい雰囲気を放つ。なんだか禁酒時代のバーにまぎれこんでしまったみたい。真紅色のビロード緞帳も趣があって、長く地元の人々に愛されてきた会場だということを感じさせた。立ち見も含めて収容人数は約350人とのこと。しかも席のほとんどが既に埋まっていた。

「未歩さん、こっちこっち! すごい人ですね! 今日平日ですよ!?」
同じくロレイン門下生の綾香が先に来て、席を取ってくれていた。彼女はいつものよく通る声で少女のように興奮している。確かに今日は水曜日。それでこの人だかりとは。急に弱気な自分が頭をもたげてくる。ステージに立つつもりで準備もして来たけれど、もしこの大人数の前で言葉が出なくなったら……。あの日を思い出した。恐怖で体の芯が震えた。
でも裏を返せば、これだけの人数がいるのだから、抽選に当たる確率は高くないはずだと理屈をこねてみる。なのに、だ。不思議なことだけど、なぜか選ばれる気がしてしょうがない。打ち消しても打ち消しても、ステージに立っている自分の姿がありありと浮かんでしまう。しかも、こういうときの私の直感は当たる。
気を紛らわせるために綾香と場内のバーに行った。いつもなら迷わずビールのはずが、なんとジンジャーエールを注文する。脳をクリアに保とうとしている自分に気づいて、ステージに立つことの現実味を否が応にも意識してしまい、体が硬くなる。
すると綾香が無邪気に言った。
「なんか未歩さん、引く気がするんですよね」
一瞬時が止まった。
「そ、そんなわけないじゃん!これだけ人いるし、10人しか話せないんだよ!?」
平静を装ったものの、内心では恐ろしく動揺していた。私も当たる気がしてしょうがない。でもそれを口に出すといよいよ現実になってしまいそうで怖いから黙っていたのに。
語り手に立候補するには、承諾書に名前を書いて提出しなくてはならない。腹を決めかねている間にも、刻一刻と開演時間が迫っている。どう見たって既に満席なのに、絶えず流れこんでくる観客。焦りと恐怖の中で、ぐるぐると思考が巡る。ベストシナリオは「提出して抽選で外れる」だろう。それなら「勝負の場に立つ意欲はあったけど、立たせてもらえなかったんだよね」という「逃げてもいないし傷もつかない」というある意味、満額保険が手に入る。けれど残念ながら、今日そのシナリオは実現しない。承諾書を提出してしまえば、私はきっとステージに立つ。直感がそう告げている。
逃げるか、立つか。
心の中でもう1人の私がささやく。誰に強制されたわけでもない。ちょっと興味があってここに来ただけ。まだ引き返せる。やめたとて、誰に責められるわけじゃない。でも、でも……。もしここで逃げたらきっと、小さなことに言い訳をしながら生きていく人生になる。
そんなのは嫌だ。嫌なんだー!
私は大きく息を吐いて、Mihoとはっきり書いた承諾書を抽選袋に雑に突っこんだ。もう引き返せない。
「ちょっとトイレに行ってくる」
綾香を残して私はRestroomに駆けこんだ。
午後8時。舞台がまばゆい照明に照らされ『The Moth』が華々しく開演した。待ってましたと言わんばかりに、超満員の会場から喝采が沸き起こる。司会者が軽妙なトークと共にルール説明を始める。私はすでに気が気ではなく、彼女が言っていることが何一つ理解できない。それよりもこれ以上英単語を頭に入れようとすると、準備してきた話の内容がこぼれ落ちてしまいそうで、私は隣にいる綾香にすべて日本語で解説してもらっていた。
前説が終わったらしい。いよいよ本番だ。抽選袋から四つ折りにされた紙が1枚引かれた。1人目の語り手は……Mathew。名前読み上げのときに、息をしていない自分に気づく。観客席からはMathewと思しき中年男性が出てきて、軽快な足どりでステージに上がった。スタンドマイク1本だけのステージで、いよいよ語りが始まった。綾香の解説によると、話は彼と息子にまつわる物語だった。息子の前で決して泣かないと決めていた自分が、自らの脆さを息子の前で出していこうと決意した日の話。素敵な話で適度にユーモアも散りばめられていて、会場も盛り上がっている。
やはり私は場違いなのではないか。ごくりと唾を飲む。頭に血が上って目が充血しているせいか、ライトが眩しすぎるせいか、視界が滲んでいる。舞台上では、Mathewが次に話す人を選ぶべく袋に手を突っこんでいる。2人目は……またもや男性だった。が、残念ながら覚えているのはそれだけ。極度の緊張で、心がまるでここにいない。彼が話している言葉が単なる音の連なりに聞こえて、まったく理解できなかった。
3人目は20代前半と思われる青年だった。彼は、スタンダップコメディ会場でよく見る感じの人で、ウケを狙いに行っているように感じられた。パンチラインと思われる言葉を放つたびに、逆に会場が水を打ったように静まり返る。話し終えたが拍手もまばら。観客も残酷なほど正直だ。怖い。怖いけど、やっぱりこの場所はウケ狙いじゃなくて、真実を誠実に話せばいいんだ。そう自分を鼓舞したところで、聞き覚えのある単語が会場に響き渡った。
「Next! Miho! Miho〜!!」
心臓がギュッと縮こまって、体内の血液が逆流しそうになった。やっぱり来た。
Miho。
自分の名前なのに、まるで知らない人の名前みたいだ。ほんの一瞬、他人のふりをして無視してしまおうかと姑息な考えが頭をよぎった。「Mihoってだあれ?」小芝居を繰り出そうかと思ったそのとき、隣に座っている綾香が私の手を握って「未歩さんならいけます」濁りなき瞳でこちらを見つめていた。やさしい綾香の励ましで小芝居作戦終了。もう逃げられない。3人目の採点が出るまで司会者が場をつなぐ。覚悟を決めてステージ袖に移動した。
袖から改めて会場を見渡す。ステージ以外の空間を人という人が埋め尽くしていた。通路も立ち見の人が折り重なって、もはや正式な観客席と化している。気持ちが悪くなって、膝小僧も冷たくなってきた。あ、この感覚どこかで味わったことがある。あれだ、テレビ局に入社した1年目のニュースデビューの日。あの日もめまいがしたっけ……。
英語で、これだけの人数の前で、自分の話をする。もし途中で頭が真っ白になってしまったら……。次の言葉がまるで出てこず空白の時間だけが流れる悪夢みたいな映像をついイメージしてしまう。
いや、弱気になっちゃいかん。きっと伝わる。スタンダップコメディのときはまるで自信がなかった。でもここは人生の話を、真実を話す場なんだ。そうだ、私は今まで一生懸命生きてきたじゃないか。だからきっと大丈夫。しかも、みんなお金を払ってるんだから、ステージに上がる以上は、観客に見てよかったと思ってもらうんだ。よし。
私は階段を一段ずつ上がって、スポットライトが煌々と当たるステージの真ん中へと歩き出した。
マイクの前で立ち止まる。ライトがまぶしすぎて観客の顔はまったく見えない。私はその光の方向をまっすぐ見た。
Since I was a child…
私は話し始めた。
————私は、幼い頃から、母になるのが夢だった。夢というと大袈裟だけど、子どもが好きだし、当然自分は将来母親になるものだと思っていたのだ。仕事での目標だったオリンピックキャスターを北京五輪で無事に終えた30歳以降、母になりたいという方向にますます気持ちが強く傾いていった。
でもこのときになって初めて、子どもを持つことに関して、当時のパートナーとの間には温度差があることに気づいた。そのことについて、結婚前に十分な話し合いをしていなかったことが、その後の人生に影響したのだ。
私の卵巣機能がかなり弱いことがわかったのは、34歳のとき。そのとき医師に言われた言葉が忘れられない。
「あと1年早くくれば良かったのに。これは早発閉経気味ですね」
頭をガツンと殴られて、膝から崩れ落ちる感覚だった。顔色を失っている私を見て、隣にいた看護師さんが励ましてくれた。
「今まで薬とか使ってないなら、すぐに治療を始めればまだ望みはありますよ」
藁にもすがる思いで、不妊治療を始めた。その3ヶ月後、私は脳梗塞になった。
脳梗塞になると再発を防ぐために血液の流れを良くする薬を服用する。出血が止まりにくくなるから、卵巣に針を刺す採卵もできなくなった。このとき、みっともないけど、入院している病床で泣きながら脳梗塞の主治医に懇願してしまった。
「なんとか採卵をさせてもらえませんか……時間が、ないんです……」
採卵とは、卵巣から外科的な手段を用いて卵子を採取すること。卵子は、1ヶ月に一度、卵巣から放出される仕組みになっている。そこで、卵子と精子が出会えれば、新たな命の核となるけれど、私の卵巣機能が弱っているので、卵子がきちんと卵巣から出ていってくれない。すると当然、精子とも出会えない。だから卵巣に針を刺して、卵子を採取して、シャーレの中で人工的に精子と出会わせる。正常に受精すればその受精卵を子宮に戻す。これが体外受精。
もちろん、医師の答えはNoだった。子どもを産むには健康な母体があってこそ。私の場合は脳梗塞にきちんと対処するのが最優先だ。ご縁があり素晴らしい脳外科医に出会い、脳梗塞の再発を防ぐために首にステント(血管を内側から広げて血流を確保する小さな筒状の医療器具)を入れることができた。これでまず一安心。
でも、その間も、ずっと卵巣のことが気がかりだった。不妊治療科の先生にもセカンドオピニオンとして診てもらったけれど、その先生も言いにくそうな顔をしながら「この数値は……以前、卵巣の病気とかしましたか? してないんですか……これは病気をしたのかなっていう数値ですね……」医師にも驚かれる始末。やれやれ。
早発閉経気味に脳梗塞。強敵がダブルで訪れてくれた。厄年とかあまり詳しくないけれど、どう考えたって今年が厄年だ。たぶん、本厄でもあり、前厄でもあって、なおかつ後厄でもあるに違いない。御仏壇に備えた和菓子をすぐに食べてしまうのも良くなかったか。今振り返っても、このときは人生で一番しんどい時期だったと思う。
8ヶ月後、脳梗塞による休業から会社に復帰した。
不妊治療も再開していいとの許可を得た。
卵子の数は生まれたときに決まっていて、それは年齢とともに減り続ける。逆に精子は、質に変化はあれど高齢になっても作られる。私の卵子はたまに採れても、なかなか次の段階に進めなかった。卵子がまず採れて、それが受精して、その受精卵が4分割、8分割と順調に細胞分裂していって、胚盤胞(はいばんぽう)というものに育って初めて、子宮に戻すことができる。子宮に戻しても一安心ではない。その後、着床(ちゃくしょう)と言って、子宮にちゃんとくっついてくれて、それが無事に育ってくれると、新たな命となって生まれる。
もう気の遠くなるような段階を経なくてはならないのだ。改めて、命の誕生とは奇跡の連続の結果だということを痛感する。
不妊治療を始めた初期に一度、受精卵が胚盤胞に育ってくれたことがあった。その直後に脳梗塞で倒れてしまったのだけれど、回復後に満を持して子宮に戻して、着床までは進んだ。しかし結果は初期流産。その翌日が大型音楽番組の生放送だった。朝、流産処理の手術をして、午後はリハーサル。
妊娠検査薬もはっきり反応しないほどの初期段階の流産だったから、もちろん午後も働けた。誰に強要されたわけでもない。
ただやはりそんなとき、 割り切れない感情が去来してしまうのだ。医師から言われた一言が頭の中にこびりついて離れない。
「あと1年早ければ」
不妊治療というのは、両者ともに、大きな身体的、精神的負担を強いられる。だからこそ、2人の温度感が違えば、孤独を感じたり、摩擦が生じたりしてしまう。結局、私たちはたくさん話し合って別れることになった。が、ここで強く言いたいのは、温度感の高低に善も悪もないということだ。2人にとって何が大切なのか、結婚前にちゃんと意思確認をしておくべきだった。それでも、あの時間を一緒に過ごしてくれたことには、今も心から感謝している。彼の幸せを、これからも願い続けたい。

今の夫と再婚して今年で10年になる。
夫には、早発閉経気味と診断されたことを結婚前に伝えていた。その上で、できるかぎりのことをやってみようと言ってくれた。それから8年間、不妊治療を続けた。記録をつけていたのだけれど、ざっと数えて31回採卵している。もうプロ。内診(エコーを膣に入れて中の状態を診る)で卵胞(卵子が入っている袋)が見えていたはずなのに、いざ採卵をしてみると卵子が入っていなかったり、せっかく卵子が採れたのに、発育が途中で止まってしまったり。卵巣に針を刺す身体的な痛みはもちろんあったけれど、何より期待と落胆を繰り返す心の負担は、プロと言えどもなかなか厄介だった。培養士に、受精したか、その後発育が止まっていないかの確認の電話をするときは、毎回呼吸が止まりそうになった。
金銭的な問題も大きい。私の場合、こんなに何度も採卵したのは、空胞(卵子が入っていないこと)や、受精卵の発育が初期段階で止まってしまうことが多かったから、採卵代や初期段階の培養代だけで済むことが多かったというのもある。きちんと受精して、培養の段階が進んでいくと、お金がどんどん加算されていく。高度技術なだけに高額だ。そこからちゃんと妊娠につながれば、支払ったお金も報われるけれど、ある程度まで進んで流産すると、経済的にも精神的にも二重に苦しいという状況に追いこまれてしまうのだ。さらに、不妊治療は日程がまるで読めない。採卵日などはだいたい前日か2日前に決まるから、仕事との調整は困難だ。年齢的にリミットがある不妊治療を最優先にしたいけれど、高額の治療費を払うために仕事も辞められない。多くの不妊治療経験者が陥るジレンマだ。私たちは間に合わなかったけれど、現在は一部保険適用になったことは本当に良かったと思う。
そんな私も、一度だけちゃんと妊娠したことがある。8年間で31回採卵して、胚盤胞に育ってくれたのはたった1回。それを子宮に戻して、妊娠検査薬で陽性がくっきり出たのだ。人生で初めて見た赤い線。ずっと見たかった赤い線。夫に見せたら、普段はほとんど感情を表に出さない彼が嬉しそうにして、手のひらを私のお腹に当ててくれた。そのときの妊娠検査薬は、実は、まだ捨てられていない。妊婦になったら着ようと思っていたゆったりしたワンピースは全部売ってしまったけれど、これだけは捨てられなかった。ニューヨークに引っ越すときに、ジップロックに入れて思い出の品と一緒に実家に送って今も預かってもらっている。おしっこをかけたものを送りつけて申し訳ない。
その唯一の胚盤胞も、心拍確認前に、成長が止まってしまった。夫に報告しなければと顔を見た途端、涙が止まらなくなってしまった。夫もつらかったはずだけど、私が泣けるように彼は笑わせてくれた。
もう45歳も見えていた。不妊治療をやめることにした。悔いはなかった。
私は幼い頃から、傲慢にも、努力をすれば、ある程度のことは叶えられると思っていた。けれど不妊治療が終わったときに、気づいたことがあった。
努力っていうのは、もちろん何かを得たり達成したりするためにするわけだけど、必ずしもそれが実を結ぶとは限らない。だけど、これだけ努力をしたんだという自負がちゃんと自分の中にあれば、そんな現実に折り合いをつけることができるんだ。無駄な努力なんてないっていうのは、そういうことなんだ。
子どもは産めなかった。でも、やれるだけのことはやった。そう自分に胸を張って言える。だから不思議と心は穏やかで、自然と前を向くことができた。こうなったら2人の人生をより楽しんでしまおうとニューヨークにも移住した。
そんなニューヨーク生活で助けられている部分もある。こちらでは同性婚が認められていて、同性同士で愛し合っているカップルに頻繁に出会う。そんなときに、幸せのかたちは1つではないことを教えられる。
だから、今の生活が、私にとっての新たな章の始まり———。
本番で話した5分バージョンより長くなってしまったけれど、こんな話をした(不妊治療について、知識として知って欲しいこともあったから説明を加えた)。

そして冒頭のシーンだ。
よく話してくれたわねと私を抱きしめてくれるたくさんの人がいた。会場で会う人会う人みんなが声をかけてくれた。あなたのファンになったと言ってわざわざ遠い席から感想を伝えに私の席まで来てくれた人もいた。気持ちがわかると涙を流してくれた女性、男性客もとても繊細な話をしてくれてありがとうと声をかけてくれた。話を聞いていた掃除係の男性が、私の目を真っ直ぐ見てBeautiful storyと言ってくれた。てんやわんやしながら生きてきた私の人生に、涙を流してくれて、受け止めてくれた人がいてくれたことが嬉しかった。
正直に言えば、もちろん心がチクチクすることもある。親戚や友人の可愛い子どもたちと遊ばせてもらうときは、あぁやっぱり可愛いなぁ、自分にもこれくらいの子どもがいたらどんな感じだったんだろうなと想像したりもするし、同世代の方が妊娠したというニュースを見ると、少しボーッとしてしまったりもする。
でも、やはり心は凪いでいる。人生は自分が望んだすべてが手に入るわけじゃない。折り合いの連続。夫は「得られないという経験を得たんだ」と言ってくれた。ある友人は「子どもが手に入るとか、まやかし。人間は1人で生まれて1人で死ぬのよ」と力強い。どの言葉も良い言葉だなと思う。もちろん、何も聞かないし言わないでくれた人たちの沈黙のやさしさも、とてもありがたかった。
『The Moth』からの帰り道、夜11時を過ぎて地下鉄の乗客もまばらになり車内はしんとしていた。でも余韻で体がまだ熱を持っている。
綾香が言った。
「今日、人生で体験したことをembraceしていくって表現している方がいて、改めていい言葉だなと思いました。悲しみも喜びも受け止めて一緒に生きていくっていうか……」
embrace。確かにアメリカに来てからこの言葉を聞くことがしばしばある。教科書では「抱擁する・受け入れる」と習ったけれど、いまいちニュアンスがわかっていなかった。言葉の成り立ちを調べると、em 「〜の中に」とbrace「腕(ブレスレットのブレス)」が語源。直訳すると「腕で包む」。そこから派生して、考えや価値観を受け入れる、という意味合いでも使われるようになったようだ。腕という言葉が入っているからか、どこか体温を感じる言葉。まさに日本語で言うところの「折り合いをつける」にぴったりだなと思った。
ちなみにこのイベントは採点制。10人の中で優勝すると、年に1度のお祭りグランドスラムにも出場できるらしい。私の結果はというと、なんと0.1点差で2位だった。賞品はFUJIFILMのポラロイドカメラ。実は以前同じ物を持っていて、これも引っ越し前に実家に送りつけている。
「うちは倉庫じゃない」
きっとまた叱られる。だから今回は使おうと思う。なんでもない日々を残していこうと思う。

-
第1回眠らないニューヨークと眠れない私
-
第2回私が外出する理由
-
第3回英語が話せない
-
第4回SheやHeではなく、Theyを
-
第5回宝物に救われる
-
第6回わけありの女
-
第7回できないことがたくさんあってよかった
-
第8回アメリカ大統領選、あまりに濃厚な1日のこと
-
第9回そんなわけでマッチングアプリ
-
第10回こんなに違うアメリカと日本の働き方
-
第11回ニューヨークのアパートメント事情
-
第12回実録! 愛と情熱の「家探し」
-
第13回「ニューヨークの奇跡、25’夏」
-
第14回入国審査で、愛を問われる
-
第15回そして今、古着屋の店員をしています
-
第16回口下手な私の接客術
-
第17回この街に来て、今話したいこと
1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。


