失敗だらけの文章修業

この連載について

文筆生活30年余。失敗からひとつひとつ記事やエッセイの書き方を学んでいった大平さんの七転び八起き。「人柄は穏やか、仕事は鬼」な編集プロダクションのボスの教えから始まる文章修行の日々には、普遍的で誰にも役に立つヒントが満載です。

第17話

文章が散漫になりがちなときの道標(みちしるべ)

2026年1月9日掲載

 熟練の編集者に、「この文章はなにを言いたいのか、あちこち行き過ぎていてわかりづらい」と言われた。まったくそのとおりで、ぐうの音も出なかった。いたずらに歳と経験だけ重ねてしまった今、そこまではっきり言ってくれる人がなかなかいない。神棚に飾っておきたいくらい貴重で、心底ありがたかった。
 とはいうものの、さてどうしたらいいのか。どれも大事に思えて、削りどころがわからない。
「いちばん伝えたいこと、その溶鉱炉に向かって書いていくのです。終始、溶鉱炉を忘れないで。そこからそれた関係ないことを削ればいい」

 勘が鈍い私は、わかったようなわからないような……。それからあっちを削ったりこっちを磨いたり試行錯誤するもなんだかうまくいかない。と、見かねたのだろう、次にこう助言された。
「トルストイの『文読む月日』に、「航海」という二頁くらいの短い短編があります。きっと参考になるはずですから、読んでみてください」

 トルストイ。文読む月日……。だめだ読んでいない。あわててアマゾンで注文をする。
 本当にきっかり二ページだった。
 恥ずかしながら『文読む月日』(ちくま文庫)も初めて知った。
 これはトルストイが聖賢の名言や著述から集めた箴言を、一年三六五日に分けてまとめたもの。時々オリジナルの言葉もあるが、ショーペンハウエルからマタイ伝、孔子、ときにインドのことわざ、仏陀まで、まさに古今東西から収集した言葉の結晶だ。
 トルストイは、二〇行足らずの序文だけでも推敲を一〇〇回以上重ね、最晩年に六年の歳月を費やし完成させたと、解説にある。

 ただ抜き書きしただけではないところが読み継がれている所以で、トルストイの視点と言葉を通すことで独自の表現、解釈、訳がほどこされている。
 くだんの「航海」は、ツルゲーネフの著述から。助言をくれた編集者は魅了され、原本のツルゲーネフの同作も繙(ひもと)いたという。
 すると文末の一行だけ、表現が変わっていた。私も教えていただいた。詳述を控えるが、いうなれば本作品の“溶鉱炉”にあたる部分で、なくてはならないもの。最も魅力的に「航海」という超短編の肝を表す、珠玉の表現だった。
 遅ればせながら、いまさらトルストイの才に胸を衝かれた。無知な自分が恥ずかしくもある。
 編集者は言う。
「あきらかにトルストイのほうがいいんですよねえ。元はツルゲーネフの作品なのに」
 
 文章で、とくに長いものを書いているとき、行き先がわからなくなることがある。私も、あれ、なにを言いたかったんだっけ、と立ち止まることがしょっちゅうだ。
 そんなとき、溶鉱炉のありかを心にとらえて離さずにいると、寄り道してもすぐに戻ることができる。
 想像でしかないけれど、トルストイは、ツルゲーネフの「航海」を読んだときから、溶鉱炉の一行が胸にあったのではないか。この作品の魅力を最も端的に表せる自分の言葉が。
 
 少々抽象的な話になってしまった。上手く伝わっただろうか。
 私にとって、それ以降トルストイの「航海」──ツルゲーネフではなく──は、大事な道標になった。高温で熱し、凝縮したよりすぐりの一行をぎゅっと手に握りしめて、今日も原稿に向かう。
「航海」でなくてもいい。
 これが溶鉱炉だとわかる表現が象徴的に伝わる作品があったら、くり返し読んだり書き写したりするといい。文章の書き方のしくみを理解できる。どんなに凝ったり刺激的だったり、奇想天外だったりしても、溶鉱炉のない作品はいけない。というか、私が知る限りそういう作品は商品化されていない。
 

失敗からの教え

最も伝えたい一行を握りしめ、そこに向かって書く

著者プロフィール
大平一枝(おおだいら・かずえ)

作家、エッセイスト。1964年、長野県生まれ。編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年、出産を機に独立。『天然生活』『別冊太陽』『チルチンびと』『暮しの手帖』などライターとして雑誌を中心に文筆業をスタート。市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにした著書を毎年上梓。2003年の、古い暮らしの道具を愛する人々のライフスタイルと価値観を綴った『ジャンク・スタイル』(平凡社)で注目される。
主な著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』、『注文に時間がかかるカフェ』『人生フルーツサンド』『正解のない雑談』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』「台所が教えてくれたこと』など30冊余。「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&w)、「ある日、逗子へアジフライを食べに〜おとなのこたび」(幻冬舎PLUS)、「遠回りの読書」(『サンデー毎日』)他連載多数。