ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

02

尹さんへ イリナより

2023年9月15日掲載

尹さん、

私は手紙というのはとても苦手なので、このように文書を書くことに自分でも驚いています。お返事をしなければいけないという圧力が黒ニンニクを食べすぎて当たった時の状態と似て、じつを言えばとても辛い状態です。この場合、お互いの声を知らないまま、言葉を手で打つ動作も耐え難い。本当に、逃げたい。今、文字を打っている手でさくらんぼうを食べたい。草取りをしたい。川で洗濯物を洗いたい。

本当に私に言葉が必要だったかどうか謎です。育った村では一生文字を読みかきしない人たちがたくさんいたので考えてみれば私もその一人だった確率がとても高いのです。祖父母も自分の名前以外は読み書きできませんでした。私が小さかった頃、祖母が描いたウサギと熊の絵を最近見つけて、その線をなぞれば今でも同じような絵が描けます。ルーマニアの田舎で畑と草の中、森で遊んでいた自分が文字ではなく、イメージと音に一番反応するので、書き言葉ほど辛いことはないと思う毎日です。それでも、私は文字を書き続けるという不思議な行動をしているのです。それは、このお返事もそうですが、自分の身体にとっては必要なものではなく「遊び」のような行為です。

子供の頃、庭にあった花梨の木とプラムの木の間に棒を置いて、鉄棒のような遊びをしていました。その遊びに夢中になり、全身を使って飛んでいるような感覚なのですが、私にはそれだけの楽しみではなくて、鉄棒遊びしながら歌を歌っていたのです。その歌は自分で歌詞も新しく作って、曲も自分で作って次々と言葉と音楽が自分の身体から産まれ続けた感覚を今でも覚えています。鉄棒で全身を曲げながら、歌を歌うという不思議な修行を自分で考えたのかもしれません。あるいは、実験のようなものだとも言えます。昔から、自分が自分の後ろに一歩引いて、観察をするのが得意なのです。尹さんも『聞くこと、話すこと。』の中で、人の声、音のズレの話をされていますね。私たちは普段からお互いのことがわからない、理解し難い生き物ですが、お互いの声に注目すると必然と身体同士で伝わることがあります。それは怖がらずに他者になる経験の一つです。そして、私にとっては外国語で文書を書くことも他者になる実験の一つなのです。

祖父母の話に戻ると、彼らは文字を読めないかわりに、たくさんの知恵と能力が詰まった身体で生きていました。そういう自然の中で生きる経験が私を人類学へと導き出す――これはどこの先住民もそうですが、自然と共に生きる人々へのロマンだけではなく、私自身もこういう経験をしていたので、あえて文字で伝えることがあるとしたら、ベイトソンがいうようにメタローグという言葉を超えたコミュニケーションでしかやる価値がないものです。『優しい地獄』はそのつもりで書きました。ベイトソンへのオマージュとして。ベイトソンの本と出会ってから私の全てが変わったのでした。彼が生きていた頃からまだ理解されてない部分が多く残されているのですが、哲学者のドゥルーズとガタリの『千のプラトー』のプラトーという言葉は実はベイトソンから来ています。これはバリ島の人々がプラトーという感情の変化がない状態を維持するメカニズムについての論文で生み出した用語です。20世紀のすごいマインドの二つ、ドゥルーズとベイトソンが繋がっていることがわかったときに身体に響きました。新しい民族誌を書きたいと思い始めた頃でもあったので、自分を他者にする、自分が他者であることの気づきともつながりました。ベイトソンも自分の娘との対話でさまざまな発見をしたのと同じく、自分もそのタイミングで母親になって産後鬱を乗り越える一つの方法が子供の声を全身で聞くことでした。二歳児は自分自身を母親と同じ身体だと認識しているそうで、子供の声を自分自身がすでに忘れた声として受け入れる感覚でした。自分が他者であると受け入れる瞬間その時まで知らなかった世界が開かれると尹さんも同じような経験されたようですね。海を見る瞬間も。どうせ口から何かが出るとすれば歌がいいと書いてあったので、未来の言語について考えを巡らせました。

人類の初期、私は言葉ではなく、踊りでコミュニケーションしていたと思っているので、これからの人類の言語は言葉とは限らないと考えたいです。未来の人々を他者として考えてみましょう。人類学者の奥野克巳さんの『文化人類学入門』の最初に興味深い映画ドキュメンタリーの話が出ています。『10万年後の安全』という映画にはフィンランドにある核のゴミを処分する施設が登場します。施設側は10万年が経っても安全と強調するし、その施設が作られている地域では地下にそんなものがあること自体忘れ去り、家が建てられ、人が住み、何もなかったように振る舞います。しかし、未来の人類が万が一その場所を発見したらそこがとても危険であることをどう伝えたらいいのでしょうか。10万年後の人々(もしまだ人がいるとしたら)が現在の我々と同じ言語を話すことかどうかわかりません。そこで警告をピクトグラムで伝えようとしますが、そこで哲学的な議論が起き、そもそも危険があることを未来の人へ伝えるべきかが検討された後で、結局フィンランドの法律によりこれを伝えるべきだと決まったのでした。それでも、伝えるべき情報の詳細が決まらず、「化学の病」のような理解不明な理論が延々とスクリーン上で展開されていったそうです。

私は「他人事ではない」という日本語表現が好きです。このようなドキュメンタリーを通して、未来人という人たちについて他者として気付かされるのです。10万年前の人々のこともわずかだけど想像できるし、今の近代人(先住民を含めて)のこともわずかだけれども想像できています。その中にはルーマニア政府が近くで起きた原発事故を知らせず、それを知る由もなかった2歳の私もいるはずです。他者だらけの世界ですが、未来の人々のことをあまり他者として考えてこなかったのではないでしょうか。どうせ会うことができないし、地球自体が存在するかどうか誰もわかりません。しかし、これは他人事ではなく、10万年後の他者が自分だったと気付かされるのです。

ドキュメンタリーの中で、放射性物質が身体に入るときの影響について、医師が細かく説明するシーンがあります。金髪の、白衣を着た太った女性の説明は、今までみたどのホラー映画より恐ろしいです。放射能は見えないが、とても危険なものだというのです。最初はキノコとか食中毒の状態に似ていますが、その後を想像してみてください。マリー・キュリーの部屋は今でも放射能でいっぱいで、あと何十年も触れられないとどこで読んだことがあります。人類が新しい火を発見したとドキュメンタリーにも恐る恐るナレーションがありましたが、それはあまりにも強すぎ、消し方を知らないので燃え続けます。10万年も。映画では危険を知らせる報告はさまざまな言語とともに髑髏の絵が描かれ、とてもつまらないお知らせに見えました。もし、私にそういう依頼があれば、未来の他者を想像しながら派手にやったと思うのです。たとえば、音とイメージのインスタレーションを作ったでしょう。10万年後の人々がもしいるとしたら言葉でコミュニケーションしていると限らないし、世界は一つだけ、人間だけだと限らないからです。

ベイトソンの『精神と自然―生きた世界の認識論』からの引用を入れましょう。第3章の「世界の復習のバージョン」では、リズムのビートによる「モアレ」現象の話が出てきます。ベイトソンは、自身で定義した「モアレ現象」を通して、生き物が一瞬で互いを理解できると言い切ります。

「美的経験の性質に関しては、他の疑問も生じる。詩、ダンス、音楽、その他のリズム現象は明らかに非常に古風で、おそらく散文よりも古い。それはさらに、リズムが絶えず変調されているというアカイックな行動と認識に特徴的なものである。つまり、詩や音楽は、それを受容する生物が「重ね合わせ比較」によって数秒ほどの記憶のうちに処理できる素材が含まれているのである。」

――筆者訳(Bateson, Gregory 2002. Mind and nature: a necessary unity pp.75. Hampton Press, Inc.)

私にとって文章を日本語で書くことは、さっきの鉄棒遊びをしながら新しい歌を作り出していたあの経験に似ています。それはある類の音楽、リズムであるとわかった瞬間から意図的な行いでした。

言い換えると、私はドゥルーズの言う「すでに翻訳されたような言語」を目指していたのです。私は祖母に似て人間の声にとても敏感なので、一瞬でその人がどんな人なのかわかる。尹さんの声を私はまだ聴いてないですが、文書のビートで読み解けることがたくさんあるのは確かです。尹さんの日本語には家族へ想いのビートが入っていたと最初から気づいていました。ぜひもっと聞かせてください。私は手紙と手紙への返事がとても苦手ですが、逃げないようにします。私の調査先の女性は、昔の恋人の手紙を見せてくれたのですが、その瞬間に苦い液体を飲み込んだような感覚がありました。ベイトソンがいうように、一瞬で分かることがいろんなビートの重なりの現象で、それは詩のような、音楽のようなものなのでしょう。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。