ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第24回

塩っぱい味 イリナより

2024年10月15日掲載

塩を舐めた。

甘かった。

美味しい塩、いい塩は甘い。

私には塩が足りなかった。人類学の本で、動物たちは塩を舐めるため、ある特定の場所に集まると読んだことがある。それを思い出した。夢のシーンのような、思い出のような、確かにそこにいたとしか思えない確実な感じ。でもそこに私はいない。

人類学も、私には傷に塩をかけただけ。知りたかったことを全て知ったというわけではない。それでも人生をかけて、一生をかけて人類学をすることしかできない。

バヌアツの女の子たちは、生理になると離れた小屋で暮らす。昔の日本では妊婦は産屋で暮らした。最初は何て差別的と思ったが、今はそう思わない。女性であることはとても苦しいことだから、あえて離れてゆっくりしたほうが良い。

今の私は、ミネラル不足でもあるからかもしれないが、世界から離れて塩を舐めたい気分だ。動物たちと同じ。だから狩りの対象になることも多い。動物の魂がお祈りの途中で降臨してくれれば問題ないのだが。「魂を持つものはすべて主体であり、魂を持つものは視点を持つことができる」と人類学者エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロはいった。

私の探している答えは人類学より文学にあったかもしれない。ハン・ガンの『菜食主義者』―女性の身体として生きること―や、『少年が来る』―人間の行いあるいは繰り返しの暴力―。祈り―藤井貞和の「別室、別室」の一節のように私も「「別室」という 作品を書いて、しばらくすると、別室のドアを亡霊が押してはいってくる」ことがある。そうして私の存在も亡霊に左右され、結局のところ塩を舐める一瞬のうちに終わろうとする。

ガザで殺された小さな子供たちの魂のために私の言葉と身体は何ができるのか。何もできないということはできない。祈ること、未来の子供を産むこと、ケアすること。いや、できない。やっぱり何も。暴力を受けることしかできない。たくさん苦しむことしかできない。少なくとも苦しみは身体の正直な反応だから。

きっと海で溺れる死に方も悪くない。海はずっと昔から怖いけれど。海で遊ぶ娘たち。海でおしっこした。ルーマニアの子供たちはみんなそうしている。「だからしょっぱい」というとびっくりする。海水を飲み込んだ。世界の子どもたち全員がここでおしっこしてもいいと思った。それでみんな笑って、砂で遊んで、走って。

娘たちは重い病気を抱えた女の子と友達になって、砂浜の中で水族館と宝探しという遊びをした。ビクトリアという名前の7歳の女の子だ。医者はこれ以上背が伸びないと言ったそうだ。この病気は生まれつきと言われた彼女の母親は、妊娠中だと知らずにアメリカの核実験施設の近くにいたからだと私に言った。核実験の放射能で一人の子供の身体がこうなる。100センチで、細くて、背骨の一部がない。でも、海の中で出会ったとき、彼女の障害はみえなかった。元気で明るい子。海に守られなさい。医師の言うこと、科学の言うことを信じないで。海はあなたの小さな身体を大きくするに違いない。あなたはいまここに生きている。

塩を求めてルーマニアのトゥルグ・オクナの塩山に入った。推定埋蔵量2億2900万トンの塩化ナトリウム鉱山だ。坑道内はばい菌が生きることができない。地下に大量の岩塩があって、人間は地底にバスで降りる。外は猛暑なのに地下はとても涼しい。ばい菌がないとものが腐らないということだよね、遺体も、ガザの子供たちの傷にもバイ菌が入らない。ここにみんなを集めてここで暮らしたい。みんなと。手をと足を切断しなくてもいい。塩の結晶を観察して、壁に絵を描いてもいい。塩の滝まである。塩の城だ。

ばい菌がないとすぐわかる。匂いに敏感な私にはすぐわかる。なんの匂いもしない。そして塩の岩壁を舐めたくなる。娘たちは止める前にすでに舐めている。色は白いと思ったがそこまで白くない。食卓の塩が白いのは加工されているからで、ほんとうの塩は灰色だ。煙の色、灰の色、私の目の色。

今まで洞窟には怖いイメージがあったが、塩の洞窟はなぜか怖くない。だが、寒い。観光客がたくさん歩き、喋り、そのエコーが最初は煩(うるさ)く思うが慣れてくると音楽のようにも聴こえる。きっと未来の子供たちはこのようなばい菌ゼロ、放射能ゼロの洞窟で生まれ、生きて死ぬと一瞬思う。坑道の中に礼拝堂がある。人類の最初期から祈り儀式をする場所として洞窟はあった。生きている人を落ち着かせ、死んでいる人を落ち着かせるためか。それはだれも知らない。

製塩の最も古い記録の一つは、現在のルーマニアに当たる地域に住んでいた人々が塩を抽出するために湧き水を沸騰させたという紀元前 6000 年頃のものだという。ここの人々と塩の関係は古かった。

人類の歴史は塩の歴史である。給料を意味する英語のsalaryは、ラテン語で塩を意味する言葉に由来する。塩と税金、塩と植民地――塩の歴史は激しい。植物性の食物には塩が少なく、肉類には多い。狩猟採集民は獲物の肉を食べていたから、農民と比べて塩を使わなかった。食物の保存も冷蔵と冷凍技術が普及する以前は主に塩だった。世界中の宗教、民間信仰、儀式に塩が使われてきた。

死海に昔から魅了されている。パレスチナのすぐそばにある死海は塩分濃度33%だ。塩分量ならば1lあたり230gから270gで、湖底では428gに達するという、世界で一番しょっぱい水だ。この海に入ると身体が浮くのをよく写真で見る。私はいつもこの経験をしたいと思ってきた。子供の頃、暴力を受けるたびに、死海に浮くことを想像して身体が軽くになった。

もう一つの魅力は、この環境では生命がほとんどいないと言われていたことだが、ドナリエラ古細菌類など高度好塩菌は生きている。ドナリエラはルーマニアの植物学者エマノイル・C・テオドレスクによって発見された。この藻類は過酷な環境で生き残っているところが私とよく似ている。

でも、言い換えれば、その環境しか知らないのだ。世界にはしょっぱい味しかないと思っているわけ。誰も可哀想と思ってない。誰も助けようとしない。そのくらい、この世界は残酷だ。人種、階級、性別と分類し、それぞれのいるべき場所を決める。拷問みたい。全ては、同じ場所から逃げられないから。

ルーマニアから日本に帰る機内で退屈し、『葬送のフリーレン』を見た。第7話は私にとって衝撃的だった。私がよく知っている、「おとぎ話のようなもの」の中にも暴力が隠されている。魔族の間には家族という概念さえ存在しない。それでも人を騙すため言葉で使う。「お母さん」とは魔法の言葉だ。「彼らにとっての言葉は人類を欺く術だ」という主人公の台詞は頭から離れない。そうだ、本当の言葉を探し続けてきた私にとって、今の世界はそう見える。プロパガンダ、マーケティング、家族、愛、全て言葉で欺かれる。言葉は私にとって放射能だ。欺くための言葉への私の抵抗は続く。

ルーマニアでは初めて娘にルーマニア語で話した。娘は泣いて「ママじゃないみたい」と言われた。ルーマニアでは父の暴力を浴びた。警察を呼んで、家を出た。警察官に「殺そうとしたのか」と聞かれた。死海に浮くイメージが蘇り、「いいえ」と私は答えた。若い警察官は知る由もないが、私はもう子供の時にとっくに殺されている。だから今はガザで殺されているバラバラになっている身体と共感できる。暴力を受けるということはこのことだから。バラバラになる。今はS N Sでみられる。

青森の調査先の女性に頼まれて、彼女が赤ちゃんの時に生き別れたお母さんの生地を訪ねた。その女性にとっては79年ぶりに。一緒に温泉に入って、「この温泉に母も入ったかもしれない」と彼女は言った。初めて二人は裸になってしょっぱいお湯に浸かった。彼女は4回ガンになって乳房が一つない。手で隠そうとしたが、思わず私の口から言葉が出た「見せてください」。彼女の身体はまさに怪物との戦いの後だ。浴場の壁と同じ、大きな爪の傷跡のようだ。男性からの暴力の跡、ガンの跡、放射線治療の跡。私、温泉のしょっぱいお湯を飲み彼女の話を伝え続けると決めた。毎回そうだが、女性の身体の物語を聞くたびにしょっぱい味が残る。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。