ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第20回

漬物石 イリナより

2024年7月16日掲載

子供の送り迎え。学校と習い事などが毎日あって、このところ車で過ごす時間が人生で一番多い。

元々は車好きではないし、初めて乗ったのも割と遅いかもしれない。

車のなかで子供を待っている間に本を読んだり、音楽を聴いたり、メールの返事を書くのだが、どうも狭い空間が苦手でいつも気分が悪くなる。乗り物酔いする家族の話を書いたことがあったが、実は飼っている小型犬のキャラメル君も車酔いがひどい。吐いたり涎まみれになったりして、可愛そうなぐらい車が苦手なのだ。

キャラメルの正直な身体反応を見て羨ましいと思った。私は我慢しているから。うちの子供と犬は何も我慢していない。身体が重くないのだ。

自分も理由がわからないけれども最近「重み」について考えている。自分の身体のことももっと早めに気づくことができたらよかったのだ。きっとさまざまなサインを出しているから。

例えば、車酔いであっても気持ちが悪くなる前に身体が硬くなり、重くなることに気づいた。風邪を引く前も同じだ、病気になる前はそうなのかもしれない。腫瘍もこの重みの見えた形の塊であるかもしれない。しこりなども硬い。

そういう経験をしている人は誰でも分かっているに違いない。自分の身体に非常に硬く、重く感じるものが入っている。この硬さについて考えるきっかけは今まであったはずなのにほとんどしてなかった。手術した若手医師が興味半分で見せてくれたが、その身体の外にあるものを見ると、急に身体が軽くなった。身体の記憶というのは不思議なもので、その物体がなくてもあるようにとりあえず感じる。

硬いもののイメージを記憶の中に探りながら、詩でも書くように集めてきた。硬い重いもの、記憶、トラウマ、物体など。

例えば、長女が教えてくれたこと。人間の歯はとても硬いもので、簡単に切断できないので、歯科の削る道具にダイヤモンドが使われているらしい、ということ。歯科が苦手な娘は、この前まで何回も通って全ての虫歯を治したが、我慢もせずよく叫び、よく泣き、よく暴れた。

なので、私も歯科医さんも彼女が最後の治療に見せた知識に驚いた。本で読んだという。

これをきいて私にはひらめいた。人間の歯は硬いのでダイヤモンドで切らなければならない。人間の歯が硬いのでダイヤモンドで…と頭の中に不思議なイメージのループが発生し、先住民、鉱山労働、搾取、植民地主義にたどり着いた。

私の祖母は歯科どころかそもそも病院にかかったことがなかった。倒れたのを発見された後に意識不明になり、二日後に病院で亡くなった。日本にいる私に病室から電話した母が言うには、祖母は意識がないはずなのに涙を流したのだそうだ。検死解剖をした医師は、彼女の臓器は完璧な状態で、100歳まで生きられたかもしれないと母に話した。

小柄な祖母は身体が軽かった。歯がほとんどなかったので、最晩年は食事の量も種類もあまり多くとれず、そのせいでとても痩せていたのだ。

歯の重みについて考えてみる。人間の歯、動物の歯、先日会ったイタコさんの獣の牙のネックレスを思い出す。動物の歯、動物の魂。未来の人類には歯がないだろう。きっとチューブに入った栄養食だから噛む必要がなくなる。

離乳食を食べる赤ちゃんみたいになる。

「重み」と関係がある話だが、食べるということについても考えている。復活祭の前に断食したことがきっかけかもしれない。この経験は確かに私を強くした。でもその前からも、子供の離乳食を作っていた頃からも、食べることについて考えていた。そして、いまガザで起きていること、虐殺の中の飢餓を体験する子供たちのことを考えている。

先日、外出先で友達にずっとお腹が空いたと言う自分がいた。恥ずかしかった。でも、その時の私は私ではなく、ガザにいる子供の声が自分から出ていのだと一瞬感じたのだ。お腹が空いたと言う重み。森のきのことベリーを食べない。牛乳も飲まない。それを食べたいけど食べられない。

私は芋と南瓜が好き。芋はやはりバヌアツで食べたココナツミルクで煮たタロ芋が世界で一番美味しい芋だ。メラネシアの芋にまつわる物語は人類学の教科書で出るレベルなのでどんな味なのか知りたかった。でも今はメラネシアでは伝統的な島の料理を食べる人々が減り、中国産の米、西洋的な料理、砂糖のせいでバヌアツの国民の70%は糖尿病になっているという。

私たちは先住民と比べて食べすぎる。断食した時もそう感じた。本当に人間はあまり食べない方がいいかもしれない。今は読んでいるメラネシアの民族誌ではGawa島の人々が同じことをいう。食べすぎると良くない。お腹が重くなって病気になる。彼らにとっては食べ過ぎ、消費は悪い邪術師のやることだ。重み、動けないことなど闇と結びつく。

南瓜に関して言えば民族誌が書けそうなほど良い思い出しかない。ルーマニアでは冬に祖母が作った南瓜のパイをバヌアツの女性たちと再現したこと。青森の畑で92歳のおばあちゃんから亡くなる前の年にもらった白雪姫南瓜(こなゆきひめ南瓜、とも呼ばれる)の種と苗から育った南瓜がメロンの味がしたこと。空き地だったところから勝手に南瓜をとってそれを好きな人にあげたこと。芋も南瓜も人より強い。

尹さんの「京都に住んでいた祖父母は浮島丸に乗っていたかもしれない。そうしたら私は生まれていなかった。国家の秘めた、あるいは剥き出しの暴力が私の想像力の原点になっている気がします。」と言う言葉の重みを感じた。

私もよく「そうしたら私は生まれていなかった」とたまに家族の歴史を振り返ってよく思う。でも尹さんからくる言葉として読むと私は自分になんて重い言葉を石のように投げていたのかと気づく。まるで生まれるはずではなかったことに関して疑問を思わないような感覚。誰に何を言っても生まれたかった。そう思いたい。そう思うと身体が軽くなる。

先月、友達の家で秋田の大湯(おおゆ)に泊まり、何年かぶりにストーンサークルを見にいった。子供たちもいたから、ちゃんとガイドの説明を聞くことにした。資料館の道路向かいにある野中堂ストーンサークルは石がかなり抜けていた。ガイドさんの説明だと、たまたま環状列石が掘り起こされた時、それが遺跡だと誰も知らなかったので、地元の人が持ち去って色々な用途に使われたらしい。私は「漬物石としては?」と聞くとガイドさんは笑いながら「よくご存知ですね」と言われた。

長い間、東北でフィールドワークしている私が知っている。東北では漬物石はとても大事なもので、先日も調査先の女性とその話をした。漬物石の重さは大事だと言って、ちょうど私は深浦の海辺から持ち帰った石を見てくれて、これは良い石ということで、漬物石選びに自信を持った。その瞬間に身体の重みが漬物石の重みにわたって、私は重みからだいぶ解放されたと感じた。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。