ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第21回

痛みに思いを馳せる 尹より

2024年8月1日掲載

 朝、目覚めて布団から起きあがろうとしたら、左膝が痛んでいて、慎重に曲げなければ立ち上がれない状態になっていました。

 17歳の頃、左膝ついで右膝の半月板を痛めてしまい、特に左膝は関節に水がひどく溜まってしゃがむのも一苦労したことがありました。病院に行くと医者に「膝の横を切り開いて損傷した部分を取り除かないといけない」と言われました。怪我の程度と提案された治療の釣り合いがなんとなく取れていない気がして、断りました。そのあとは以前、足首を捻挫した際に世話になった町中の接骨院で電気をビリビリ流されたり、膝関節まわりの筋肉をつける運動を指導されたりして、高校を卒業するくらいに痛みは消えてしまい、以来40年近く放置していたのでした。

 布団の上に座って「これが古傷が痛むというやつか」とひとりごちて、また曲げたり伸ばしたりしてみました。膝を支点に曲げ伸ばしをするとピキッと刺すような痛みが走ります。なんだか妙に懐かしくもある痛みです。でも股関節や腰の辺りに目を向けて曲げ伸ばすと、引っかかる感じはあるけれど、それほど痛くはない。当時は患部ばかりを気にして、それ以外へ目を向けるなんて想像もしなかった。それなりに成長したとも言えます。

 40余年前の痛みがぶり返すとはどういうことなんでしょう。年のせいかもしれません。でも、「年のせいかもしれないね」と口にしてみると、たちまち「そう言っておけば何か言ったような気になれる」程度のことにしか至っていないという感じがしてきます。それに「老いたからあちこち痛むようになった」というのは、説得力のありそうな筋書きですが、これで済ませるなら痛みに対して他人事すぎるなと思うのです。

 癒えたはずの傷なのに、「なぜか再び痛むようになってしまった」と嘆いて、心外なことのように捉えてしまうのは、すごく表面的に感じてしまうのです。曲がりなりにも「それなりに成長」したのであれば、もう少し余裕を持って、つまり他人事ではなく自分事として痛みを感じてみなくてはいけないんじゃないか。

 どうして「いけないんじゃないか」と思ったんだろう?と、いま思ったことを追いかけるように考えてみると、17歳の自分に対して私は答えなきゃいけないからで、それに対して「なんで?」とまた問うてみたら、「それが大人というものだから」と答えるしかない気になってしまったのです。あのときは痛みがなぜ起きているのかわからないまま、その渦中にいたけれど、いまならそれが起きざるを得なかった理由もわかるからです。

 

 もしかしたら現に起きている痛みに対して「痛みよ去れ」と唱えることは、痛みを未来に押し付けるか。過去のことにして埋めてしまうことになっているのかもしれない。現在起きて感じていることは着目されていない。そう言えばニーチェは「痛みよ去れ、しかし帰ってこい」と言っていたなとぼんやり思い出します。「帰ってこい」とはどういうことなんだろう。そんなことを考えていると、膝の言い分というものが私に伝わってきました。

 膝は言います。

「ずっと痛んではいたのだけど、あんたがその痛みを鈍らせていただけのことでしょ」

 ぶり返したんじゃなくて、感じてなかっただけだよ。そう言われてあながち間違ってもいないなと思うのは、接骨院で電気をビリビリ流されたり、テーピングを巻いたりされていたことがあったからです。訴えかける声に「楽になるから」と電気刺激で黙らせ、テーピングで拘束していたわけで、控えめに言ってネグレクトです。私は潜在していた痛みを訴える声を黙らせていたことに気づきます。

 あのとき整形外科医の提案した手術を拒否したのは、怪我と治療の釣り合いが取れていないと感じたからですが、つまりフェアな関係性ではないと直感したはずなのだけど、程度は違えど同じようなことをしていたんだなと思い至ります。

 もう少し、どんなふうに鈍らせていたのかを知りたいと、私は布団の上で検証を始めます。再び「膝を支点に曲げ伸ば」してみます。わかってはいたけど、やっぱり痛い。そしてもう一度「股関節や腰の辺りに目を向けて曲げ伸ばす」をやってみます。ゆっくりとです。そうするとそこまで痛くない。

 それがいったいなんだというのだ?と事態を見守る野次馬的な視点の私は言いたくなります。膝が支点になって動いているのはどちらも変わらないじゃないかと。

 確かに見かけの動きは同じです。でも内実が違うのです。単に膝を曲げ伸ばしするときに比べると、痛みの少ない動きは遅い。でも、これを「遅い」と呼んでしまうのは内実を無視した乱暴な括り方だなと思うのです。そこで痛みが生じる曲げ伸ばしを「拙速」と名づけてみます。すると、イタタとちょっと呻いてしまう感覚にふさわしい屈伸の質になります。

 こうした拙いままに動いていたことが膝にすれば「痛みを訴える声」を封じる鈍感さになっていたのかもしれない。慎重に曲げ伸ばしてみると、それほど痛くない。これなら少しは痛みを訴える声に耳を傾けていると言ってもいいのかもしれません。そうなると、いつも痛みを感じないのがいいことじゃなく、感じた方がいいこともある。そうでないとコミュニケーションと呼べないかもしれない。

 そうして布団の上で腕組みして思います。果たしてこれは膝がいま本当に痛んでいるのか。それとも膝を通して記憶が傷んでいるのか。

 いまの痛みを通じて、かつての膝の痛みに思いを馳せると、当時の暮らしとその中で抱えた屈託が蘇ります。まもなくバブル経済を迎える、浮かれた時代の気分がそこかしこに蔓延(はびこ)り始めた中で、私は陰鬱な気持ちでいたことを思い出します。我が家も時代のあおりを受けて、豊かな暮らしを享受していました。

 だけど栄耀栄華というのは虚しいもので、「ひとえに風の前の塵に同じ」という醒めた思いをどうしても拭うことができなかったのは、歴史が好きで『平家物語』や『史記』を読んでいたせいもあるかもしれませんが、身近に重い病を抱えた母がいて、そう遠くないうちに死ぬだろうということが常に予感されていたことも大きいでしょう。

 そういえば膝の手術に母はものすごく反対し、手術という言葉に対して嫌悪を募らせた表情をしたことを覚えています。その翌年、彼女は病院で死ぬことになります。

 彼女が死んだ後も膝は痛み続け、腫れた膝に体重をかけるとカクッと崩れ落ちることもしばしばありました。力が入らない。けれど、ぎゅっと全身に力が入ってずっと緊張している感じもある。だけど、たまに「どうやら緊張しているらしい」とわかるくらいで、ほとんどは自覚がないのは、それだけ過緊張が当たり前になっていたからでしょう。

 他人から「正義感が強い」と言われたことが何度もありますし、自分でもそう思っていたこともあります。でも、誤解でした。正確には、力を抜くことを知らないくらい内圧が高かっただけ。身体の強張りが異様に強く、その緊張感は「許せないことの多さ」として変換して理解され、それが正義感だと私は錯覚してしまったのでしょう。要は独自のルールが突出しており、単に頑ななだけだったのです。頑なさにふさわしい身体もしていた。

 許せないことが多いのに、そんな世の中を生きている。だから自分が許せない。のうのうと生きていることの不甲斐なさに、私はいつも私を殴りつけていた。それが他人であれ自分であれ、責める以外の付き合い方を知らず、その力の過度の入りようが膝を壊し、肩を壊しもした。膝を痛めた少し後に柔軟体操のつもりで肩をグッと回したら、それだけで脱臼してしまったのです。ある意味で自責の念の具現化ともいえます。

 布団の上に座る私は2024年夏、ここにいながらにして1987年にタイムリープしています。当時の自分の身体感覚を蘇らせ、いまの自分に重ねてみます。すると、きゅっと身体が縮む感覚に襲われます。ああ、こんなにも罰していたのかと悲しくもなります。

 でも、重ねても萎縮して引き攣れた感覚に染まりきらないのは、いまの私には余白があるからです。それを「緊張している状態だ」とわかるだけの余地があります。膝を壊し、肩を壊し、数年後には髄膜炎になるのですが、破壊し続けることの痛みを通じてしか、自分が何者で、本当に何を感じ、本当に何を見ているのかわからなかった。 

 「本当の」自分が知りたいというよりは、「本当に」自分が知りたかった。その時に負った傷がいま痛むのだとしたら、私は「本当に」の領域に進むことをようやくできるくらいの余裕を持てるようになったのかもしれません。

古い武術の伝書にこのようなことが書かれています。

「我総体の病 筋骨の滞り 曲節をけづり立ち、幾度も病をおびき出し、心の偏り怒りを砕き 思うところを絶やし、ただ何ともなく無病の本の身となるなり」

 痛みは去ることなく、ここにある。去れと命じると必ず戻ってくる。なぜなら痛むには痛むだけの必然性があるから。心と身体の偏りが痛みとして感じられる。それを病と呼ぶなら、それを通じて偏りを正していくほかないかもしれません。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。