ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第9回

私の痛みを大事にする 尹より

2024年1月1日掲載

「世界は最初から最後までこんなところであるべきだったのかもしれないと思うほかないようです。生まれながら苦しみを経験し、帰る。少しの間、いる。一緒に。踊り、詩を書き、美味しいものを食べ、音楽を作り、犬を飼い、泣き、子供を産み、傷み、愛し、あっという間に消えていく」

イリナさんが書かれたこのくだりを読み、深く頷くと同時に郷愁をそそられました。懐かしい風景だけど、私の記憶ではない。帰るべき場所だけど、そこがどこかわからない。そんな感覚を味わっているうちに、私自身の病について書きたくなりました。

 2023年5月、東京・浅草で「聞くこと、話すこと」をテーマにした連続講座を行っていました。開始前にレストランで昼ご飯を食べていたら突如、下腹がキリキリと痛み出しました。胃腸は丈夫な質です。最初は食あたりかと思いました。だけど気持ち悪くなって吐き出すわけでもないし、腹をくだすわけでもない。ひたすら痛いだけです。

 その日以来、細い錐で刺されたような痛みが途切れることなく続くようになりました。痛み出した日から出張が続いていて安静というわけにもいかなくて、2週間経ってもその状態は変わらず、とうとう辛抱しかねて向かったのは、かかりつけの整体でした。

 なぜ病院ではないのか?と思うかもしれませんね。別に現代医療に対して何か思い入れのある思想を拠り所にして拒否しているわけではないのです。強いて言えば、「身体がモノみたいに扱われるのは、なんだか嫌だなぁ」とか「データばかり見て身体を診ないよな」とか。突き詰めると「ただなんとなく嫌」なので、あまり関わらないでいます。

 この「ただなんとなく嫌」の気分の根本には、まだインフォームドコンセントもろくになかった時代だったから仕方なかったとはいえ、医師の勧められるままに強い薬を服み続けた影響から、火葬場で目にした母の骨がほとんど形をとどめておらず、箸で拾うにもボロボロと崩れたこと。そして私が21歳のとき、髄膜炎を患った際に受けた診療の体験から導き出されたこともあるでしょう。こうした理由めいたものはあったにせよ、要は個人的に気が合わないだけなのだと思います。当然ながら他の人が医療サービスを受けることをとやかく言う気持ちは微塵もありません。

 それにしても日本語では、「気が合う・合わない」なんて普段使いの言葉になっています。よくよく考えてみると、この「気」とはなんでしょうね。「気が向く」や「気になる」「気づかい」「気乗りしない」も日頃から使いますし、他にも「気配」なんてのも口にする機会も多いです。

 この「気」とやらをエネルギーとか物質とか言い出すと途端につまらない話にしかなりません。かといって神秘という狭いカテゴリーに押し込めるのも白けます。「元気」や「気色」がそうであるように、生きていることと分かちがたいというか、生きようとしていると当たり前に働いてしまう生命のはたらきなのだと、いまのところ理解しています。そうすると病気というのも違ったものとして受け取れるかもしれません。

 話を戻しますと病院に行かなかったのはともかく、それでなんで整体に行ったの?についてです。いまでは整体はありふれて、それを掲げた店もたくさん見かけます。世間では骨を整えたりとか、マッサージをしたりとかの印象が強いかもしれません。整体という語は、もともとは整体の創始者である野口晴哉が作ったものです。なので昨今では、町中で目にするような一般的な整体と区別して野口整体とも言われています。私が痛みを抱えた身体で向かったのは、その野口整体でした。

 整体は治療行為ではありませんから、かつて病院で診察を受けたような態度で「先生、どうでしょう?」と私の身体を委ねて、医師から見解をもらうというわけにはいきません。あくまで私が主体でないと成り立たないものです。互いの身体が交差する。そういう意味では稽古という言い方が相応しいかもしれません。

 整体を受けた後、先生には「お腹の中が捻れています」「今日から4日間、痛みが続きます」とだけ言われました。

 「お腹の中が捻れている」を現代医療に引き寄せて理解すると腸捻転になるのでしょう。家に着いた直後から想像を絶する痛みに襲われました。その夜から寝られない。水しか飲めない日が始まりました。それでも1日目は「この姿勢を取ったら少しは楽だ」と感じられるポジションがあったからまだマシだったと言えます。2日目からはそういう逃げが許されなくなりました。寝ても痛い。起きても痛い。文字通り痛みにのたうち回っていました。ナイフで刺されたことはありませんが、きっとこんな痛みなのかもしれません。

 あまりに痛いので「救急車を呼ぼう」という誘惑に駆られたこともあります。苦しみに悶えている最中に傍らのスマートフォンで調べたら、担ぎ込まれた先で行われるであろう治療方法としてわかったのは「内視鏡を体内に挿れて捻れを戻す」。もしくは「腹を切って直接捩れを戻す。腸が伸びた場合は切ってつなぐ」といったことでした。あまりにやり方が物理的で、どことなくDIYっぽくも感じてつい笑ってしまいました。

 それでもしばらくは、さまざまな誘惑が脳裏をちらついて離れません。薬を飲めば痛みが消え去る。手術すればすぐに痛みから解放される。それらを選べばいい。ちょうどその辺りで鏡に映った自分の顔を見たのですが、「これが死相というものか」と思ったほどでしたから、経験したことのない痛みに打ちのめされそうではありました。

 でも、めちゃくちゃ苦しいからこそ、この私の痛みに対して上記の方法はフェアではない気がして、だから耐えるしかないと思ったのです。

 この苦しみから解放されたいが、他ならない私の苦しみを不当に扱うわけにはいかない。大切にしないといけない。この気持ちというより、この身体の病という表れ、私のいまのこのあり方を大事にしないといけない。イリナさんには、わかっていただける気がします。

 病をちゃんと病まないといけない。その一方、自分が病的だなと思ったのは、こんなにも苦しいのに、考えようとするまでもなく考えが湧いてしまうことで、苦しみ続けているうちに、「私たちが他人の苦しむ様子に動揺するのは、自分の苦しみを直視できない心性がもたらすのではないか?」と思えてきて、その発見がすごく嬉しかったのです。たしかアマゾンの少数部族であるピダハンもヤノマミも他人の苦しみに同情の気配は薄かったはず。これは無関心なのではなく、苦しむことができるのは他人ではなく、自分しかいないという当たり前の事実しかないからではないか、と。

 寝てもいられず起きてもいられない。これは一切の楽ができなくなることを意味しています。普段だと不快や苦痛に対して、すぐさま楽な方を選べます。「暑ければ冷房を入れる」とか「不足の品はネットで注文する」とか。即座に私の快と楽を実現してくれる技術に身を委ねてさえいれば、人生がスムースに送れます。

 ところが人生を送る主体であるはずの、私の生命、身体は痛みという切羽詰まった状況では、外部の技術やサービスに頼り切れないことがはっきりとわかります。自分自身として痛みに、身体に向き合うしかないのです。

 3日目からは、痛みに気を向け、集注していくと、それが吐き気として浮上してくるので、一晩中それを捉えてはえずいて外に出すことを繰り返してました。いわゆる乾嘔(からえずき)です。体力はいるけれど、痛みと同調している間は、まだ楽なのです。ですから、それはまだ容易いことと言えました。4日目からは、それも許されなくなり、さらに逃げ場がなくなります。

 そうして気づくのです。嘔吐して外に出すのは、ある意味で痛みをまだ他人事にしていたことに。難しいのは、痛みをいま感じている痛みとしてだけ捉えず、別の質として転換していくことでした。

 整体の何たるかを私はわかっているとは言えませんが、病を経過させていくことというのは断片的にわかっています。痛みを味わい、さらにそれに固執することなく過ぎ去らせていく。それができないとしたら、何かの囚われが私の中にある。悶えている最中に、病の経過を困難にさせている原因が怠りにあると気づきました。

 病は、私がこれまで生きてきた中で培ってきた怠りがもたらした結果のひとつであり、そして、病は普段の暮らしの過ごし方と違い、決して楽をさせてくれないということがわかりました。

 私の怠慢とは「自分への許せなさ」にありました。これはあくまで私の極めて個人的な身体と病への観察であり、そこから垣間見た死生観です。痛みをつぶさに観ていく中で明らかになったのは、日常の暮らしにおける私の振る舞いのぎこちなさ、たとえば親指の繋がりの悪さ、膝の硬さ、腿の強張りなどすべてが、「こうでなければならない」という自らへの威圧と関連していたことです。「こうでなければならない」という、狭い範囲の生き方に自分を萎縮させていくことが怠慢と怠惰に他ならないのです。

 これらの怠りを自分に許していることが甘えでもあり、自分にちゃんと注目してこなかった証です。

「こうでなければならない」という余裕のなさが自らを正しく見ることの幅を狭めていた。自分を決して認めず許さない。それが自分ではない自分を作り出していた。まさに仏法のいう貪・瞋・癡(とん・じん・ち)です。そのように偏っている自分のあり方を「それも個性」と名づけることはやさしいでしょう。けれども、その正しい名は「業」だと思います。

 まことに病を得ることでしか、自分の罹っている病が何かを知ることがないとしたら、無明長夜(むみょうじょうや)とはまさにこのことかと思ったのです。4日目の夜が明け、スズメがちゅんちゅんと泣き出した頃、痛みの尖りがふっと緩むのを感じました。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。