ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第11回

暴力の渦中に身を置く 尹より

2024年2月1日掲載

 対談やインタビューを終えた後、相手の方から「今日は調子が狂った」「グルーヴで喋らせてくれないんですね」といった感想をもらったことがあります。もちろん私が冷めた態度で意地悪く接したわけではありませんし、また、どなたも非難するつもりでそう言ったのではなく、「いつもと勝手が違った」という意味合いで、そのような言葉を使われたようです。 

 調子やグルーヴを言い換えるとノリと勢いになるでしょう。滑らかな話ぶりを削ぐ聞き方、見方を無自覚のうちに私がしているのはなぜなのか?と問うてみると、どうやら「物語への警戒」に行き着きそうです。

 戦争や天災、虐待などを体験した人の悲喜こもごもの語りに接したとき、自身にはない経験の重みにうろたえ、話し手の身悶えする様子に息ができなくなるような体感を覚えます。取り返しがつかないほど損なわれた人生や癒えることのない傷を抱えて、それでも生きざるを得ない人の言葉から滲み出てくる苦衷にたじろぎ、心は揺さぶられます。

 また悲哀の中にも垣間見える喜びに出会うと膝を打ち、我が意を得たりと手足が舞いそうになることだってあります。語る人と同じ時と場にいることで身体が同じリズムを刻み始め、揺れ動く。こういったことが語りの生んだ共感によって自然と生じるものだと思います。

 私の心も揺れます。そのような場にいれば、語られた言葉の帯びている熱やそれが伝っていく深度を共有しているのですから、何らかの同調は起きています。感動で身体が震え、怒りで身体が戦慄くことだってあります。

 でも、私の半身はいつもそれらの圏外にあるのです。感情と感覚が大いに私を揺さぶりかけるとき、その領域から片足は必ず外れ、巻き込まれてしまわないように足裏は地面を探っているのです。どんなに崇高な気持ちにさせようとも、あるいは悲惨な心持ちにさせる話であっても、語られた内容に終始一貫さを感じると、つまりきちんと物語になっているとき、それを成り立たせる話法は何か?に目が行きます。私の中にある警戒心が滑らかな文法と歩調を合わせることを激しく拒むのです。

 おそらくは、これは私の負った傷がもたらした態度であると思います。大袈裟に言えばPTSDによる心の引き攣れがもたらしているのかもしれません。ですが、ここでも私は自分に対して「PTSDがもたらした」という終始のついた説明をすることと距離を取ろうとします。「PTSDがもたらした」という言葉によって、これまでの自分の無軌道に思えた振る舞いの謎が解けた気がして、ホッとすることだってあります。と同時にその楽さが単に「楽になりたいだけ」なのだとしたら、何を担うことを自分は避けたのだろう?という問いが私の背後から追いかけてきます。

 感情と感覚が重みをかけて生まれる滑らかな語りは、言葉が連なっていくほどに自然と勢いがついてしまいます。そうした自然に生じているように見える動きに対して異様に警戒心が強い。それは暴力に対する関心の強さがもたらしているのではないかと思います。生きていくことを言葉で集約してしまうことの暴力への抜き難い警戒です。

 物語にならない語りについて続けようと思います。

 先日から姜信子さんの『ノレ・ノスタルギーヤ』を手に取って読んでいます。「ノレ(노래)」とは韓国語で歌を、「ノスタルギーヤ(ностальгия)はロシア語で郷愁を指します。そこではこんな話が綴られています。

 植民地時代の韓国のある農村では、後に大学教授となる少年が暮らしており、彼の生家に若い作男がいました。男は文字が読めませんでした。けれども素晴らしい語り手で、村人が手を休めたときや農作の最中にも様々な昔話や流行の小説を歌うようにして語った。誰もが心奪われ、少年もそんな彼の語りに聞き惚れ、物語の続きを聞きたいがために一緒に山へ入り仕事を手伝ったそうです。

 少年は後年になって作男が巧みな節回しで歌っていた物語は、近代化を迎えた韓国で書かれた「新小説」だったと知ります。文字を知らない若者が聞き覚え、一字一句間違いなく誦じていたのです。

 植民地の軛(くびき)から脱してわずか5年後、朝鮮戦争が勃発します。男は激戦地の洛東江で戦死しました。少年は作男が洛東江へ旅立った日を昨日のことのように覚えています。彼はいつものように手拭いを頭に巻き、「さあ、行こうか」と野良仕事に行くのと変わりない調子で村の仲間たちと戦場へ向かったのです。

 東西冷戦の始まり。アメリカとソビエトの代理戦争。世界史のレベルで語ればそういうことになるのでしょう。しかし、男は半島の北から南、南から北へとローラーをかけるように人を踏み潰した戦争がどういう意味を持つのか。語るだけの知識を持ち合わせていなかった。それならせめて彼なりの大義のために戦うかといった意気込み、目算についてはどうだったでしょう。そのことも一切語ることはなかったのです。ただ、明らかだったのは「さあ、行こうか」の男の節回しは、「今そこで起きている戦いから何かを守るために」の抑揚であったことです。

 果たして作男は無知なままに歴史の渦に巻き込まれて死んだのでしょうか。

 今や老境に差し掛かったかつての少年は、決してそうは思いませんでした。上からの強制で戦争に行かされたのでもなく、かといって志願でもない。そういう言葉のどちらにも当てはまらない「何か」。老教授は「そういう言葉では説明のつかない、人間の生の形がそこにはあった」としか思えず、それを言い当てる言葉をずっと探しているのだけれど、今もなお探し当てられずにいるのです。

 私は歴史というものを時折、挽肉機のように感じるときがあります。個々の人生がどうであったかにおかまいなしに、人を肉塊に変えていく。無慈悲さ非情さで織りなされた戦争という暴力が一人ひとりの人生を甲斐のないものに褪色させていく。

 ですが、「さあ、行こうか」には、歴史の無惨さが醸し、私たちを悲哀に咽ばせる感動や共感の勢いには決して乗らない情緒があるように思えてなりません。感動に浸されない情緒。それを保つこと。これが終始一貫させない語りを成り立たせるのではないかと思うのです。

 物語が生じさせる強烈な引力は人の感情を揺さぶり、自身の体験したことをそれに沿って語らせてしまう。私がその力に耐えようとするまでもなく、自然とそうなってしまうのは、過去に経験した恐怖に対する処世術なのだと思います。

 「人間の住むところではなかった」と述懐するようなスラムで生きてきた父は、環境に時代に差別に殴られ、そうして弱くあることを憎み、ひたすら力を得ることに邁進してきました。父は常に怒っており、そのため私にとって家族とは彼の怒りの炎に炙られることを意味しました。生きることは息を潜めること萎縮すること恐怖を間に置いてしか体験できないことだと学習した結果、私は怒ることを怖れるようになりました。「大袈裟に言えばPTSDによる心の引き攣れ」と先述したのは、このことです。

 若い頃、私は苛烈な暴力を受け続けてきた人とお付き合いしたことがあります。彼女は時折、尋常ではない怒りを炸裂させました。激しいとは思いはしても、彼女にとっては揺るがせにできない発言を私がした場合は、非は私にあるのですから、そうした感情表現も納得できました。

 けれども当初まるで理解できなかったのは、怒りに任せて私を挑発することでした。後にわかったのは、彼女は私を怒らせようとしたのです。怒らせることで初めて私の正体が明らかになる。その時、本当に彼女を受け入れてくれる人物かどうかがわかるのだ、という理屈です。

 しかしながら私は怒りにさらされた環境の中で育ち、怒りを怖れ避けるサバイバル術を身につけてきました。ですから、彼女の理不尽な言動に対して怒るのではなく、その理不尽さをなぜ必要とするのか?に目を向け、彼女の怒りの感情には取り合わなかった。

 彼女は冷静になったとき、「怒りに対して怒りでぶつけ返して欲しかった」と話したことがあります。怒りの応酬にふたりの人間が向き合っている真摯さを認めるのだというのです。私はそうはしなかった。彼女が怒れば怒るほど私は静かになりました。

 もちろん、これが意味するところの半面の事実は、怒りへの恐れから彼女と向き合うのを回避していたことになるでしょう。あまりに暖簾に腕押しな態度に、彼女は気持ちのつながりを感じず、この関係性の行き先に不安しか抱けなかったかもしれません。その一方で互いの怒りをいや増す関係は、彼女の傷をさらに疼(うず)かせるだけになったのではないかと思うのです。

 時が経ち、別の次元で捉える視点を持った今では、私はわかりやすく語れる物語の文法を避けていたとも言えるのではないかと思うのです。私が被った恐怖や暴力の不穏さ。彼女が身に刻んだ癒えることのない暴力の痕跡。それらの体験に身を預ければ、加害者か被害者かの立場に身を置いた滑らかな語りを可能にさせます。

「あいつが悪い。あいつを吊るせ」と加害者の話法に繋がらない。「弱いから仕方ないのだ」と被害者になる話法にも接続しない道を選ぶこと。加害者の権力はわかりやすい。けれども被害者の権力については見逃されがちです。それは「弱いから仕方ないのだ」と自分を断罪否定することを躊躇わない。自分で自分を殴りつける暴力について考察しなくなり反応しなくなる。そうした無自覚な権力に対して鋭敏でなければいけない。

 暴力とは何か。それについて考えるだけでなく、その渦中に身を置いてどちらかにのめり込みそうな衝動をじっと見続ける。用意された物語に接続してしまわないこと。暴力のメカニズムの中から抜けることができるかどうのひとつの手立てなのではないかと考えています。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。