ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第7回

母には感情を出せませんでした 尹より

2023年12月1日掲載

 失礼ながら、私はまだ『ハナコとカミサマ』を拝見しておりません。お返事を読んでいるうちに、これは機会あったらぜひ観なければと思いました。

 未見ながら「誰にもよくわからないきつい南部弁で異世界とつながっているカミサマなのです」と書かれていたたことに、いたく納得しました。それはこんなことを空想したからです。

 言葉の意味を捕まえようとしてもズレるだけで、じっと耳を傾けて待つしかないことだってあるし、かと言って、それではっきりと何かがわかったと言えることはなくて、ただその成り行きを体感するしかない。そんな滞空する時間を誤解と呼ぶこともできるけれど、カミサマの言葉を人間の言葉に置き換える時点でズレているのだから、ズレをズレのままに示すことがもっとも正しいのかもしれない。

 案外、デタラメでもないんじゃないかと思うのは、ズレを修正することが正しいと思っている自称『ズレてない』人たち」のいつも世界の帳尻を合わせようとする魂胆が、この世界から戦争やジェノサイドを引き起こすかもしれないからです。

 話はさらにズレていきます。あとで前回ご質問あった内容に触れると思うので、ご容赦ください。

 私は鹿児島にある知的障害者支援施設「しょうぶ学園」と、ここ10年ばかり縁があります。アウトサイダーアートの範囲に収まらないアート活動でも国内外で有名です。

 2017年1月から3ヶ月ほど取材と称して、園内に住みながら職員の業務を手伝う仕事をさせてもらいました。いわゆる“健常”な人や社会からすれば、ズレている人だらけです。腕時計をしていて、「かっこいいでしょう」とばかりに見せてきても、時計を読むことができない。100円硬貨があればジュースと交換できることはわかっても、銀行口座の数字の意味がわからない。毎日意味にならない大きな声をあげている。かと思えば、いつも窓の外を見ているだけの人がおり、廊下を悲しげな顔して不穏な様子でウロウロしている人もいます。

 しょうぶ学園では、大きな声を出す人を無理やり黙らせるようなことはしません。きっと出したいから出しているのだろうから。あらゆる行為について、なるべく禁止しない。とは言え、大きな声を嫌がる人がいます。そこで大声を出す人に「いい声だね。でもここはちょっとまずいから、違うところでやらない?」と誘います。だけど、その人は「ここ」で出したいのです。しかしながら「そこ」で出すと耳を塞いで嫌がる人がいる。不穏になる人がいるのです。互いの心地よい状態がズレているわけです。

 ズレを正す、埋めることが問題解決としたら、しょうぶ学園で日々起きることは解決が難しいことが多い。ひとりの人の感情が爆発して争いが生まれたり、不穏な空気がその場にいた人に伝わって騒然とした雰囲気になったこともあります。

 3ヶ月いて気づきました。日々に争いはあっても、この人たちは戦争やジェノサイドを起こさないのだなと。それらを計画遂行するような能力がないとも言えます。それを知的能力だとすれば、知的であるとはいったい何でしょうね。

 しょうぶ学園で暮らしてわかったことは他にもたくさんあります。たとえば、平和と戦争は対立するけれど、平和と争いは両立するとか。個々の争いや葛藤はあっても、彼らは戦争というひとつ目的に向かわない。穏やかさと激しさは、日が昇り沈むのと同じように移ろっていき、全体として秩序がある。ズレ続けることが全体の整いを生んでいるようなのです。

 この調和に対して言葉で介入することがいつも正しいとは限らない。だから何かハプニングが起きたときに「それはしてはいけない」と常識に寄りかかっての脊髄反射で反応するのではなく、それこそ「止まって待つ」しかないのです。

 私はいつも頭の中が忙しくて慌て、焦りがちなのですが、一方で「止まって待つ」感覚にすごく馴染みがあります。

 自分が何かをジャッジする際、その基準を作り上げてきた極めて個人的な事情を省みることなく、世間に出回っている言葉の調子に合わせて、声高に善悪正誤について言えば、何か言ったような気になる。そんな傾向はますます高まっています。世の中には思想めいた思想の言葉、政治めいた政治の言葉が溢れています。

 そうした言葉に飲まれそうになっても、いったん保留する感覚が強いのです。態度をはっきりさせることを決断や勇気とするなら、それに欠けるように見えるでしょう。常に「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という姿勢ですから、少なくとも男らしさと言われるものの発露には乏しいと、一昔前の感覚からすれば思われるでしょう。

 男性性と呼ばれるものが本質的に確定しているのか。それとも社会によって書き換えられていくものなのか。はっきりとしたことは言えません。ただ歴史を振り返ると、主に男性が戦争とジェノサイドを牽引してきたのかなと思います。ジェノサイドはやり過ぎだと眉を顰めはしても、戦争に対しては雄々しく、猛々しくあることは称揚されてきたのは確かでしょう。

 男性と呼ばれる人たちの戦を厭わない男らしさの経験は歴史という時間の厚みがあります。そうであっても個人のレベルでは気弱な人もいれば臆病な人もいて、完全に重なることなくズレています。だけど、ズレている状態を放置しては、勇気のない「弱さ」と評価されてきた。そんな経緯が男性にはあると思います。

 もっと正確に言えば、ズレという感覚を「弱さ」という言葉ときちんと合わせて認識することを正解だと思い込んできた。自身の今の姿のありのままを受け入れることは、弱さでしかなく、だから自己とは克服する対象でしかない。そこで必要になってくるのが「力」なのでしょう。

 今の若い世代はきっと違うでしょうが、私のような日本社会の経済成長期を生きた男性には「力」へのこだわりは、馴染み深い経験であり、考えだと思います。

 その男性性の力への獲得に突き進む傾向に重なりながらも、ズレをもたらしたのは、母の存在だと今になっては思います。

 私を生んだ直後、原因不明の熱で母は錯乱し、鉄格子のある精神病院に入れられたと聞いています。しばらく経って膠原病だと判明しました。今でも根治の難しい病ながら対処療法はいろいろとあります。でも当時は手の施しようのない不治の病の扱いでした。

 産後すぐから私は何度か親戚の家に預けられたりして、ようやく落ち着いて母と暮らせるようになったのは4歳くらいです。退院してきた母の顔はステロイド系の薬の副作用でムーンフェイスになっており、まったく別人の顔になっていました。今でもその日のことを覚えています。母に駆け寄りたい気持ちはあったのに、そこにはギョッとするような容貌の人がいて、だけどこの驚きを「決して悟られてはいけない」という思いが強く湧いたのを言葉としてではなく体感として覚えています。

 母との再会の日を撮った写真が残っているのですが、そこでの私は口をきゅっと結び、全身を硬くしています。喜びよりも別の何かを感じている。見慣れない顔になった母が全身で告げているのは、死でした。そう私は受け取った。死が何かはわからないけれど母は死ぬ。わからなさの向こうへ行ってしまうのは恐ろしいこと。それだけはわかりました。

 そしてもうひとつ理解したのは、子どもらしく振る舞うことは、母の負担になることで、だから思っていることを口にし、思うままに振る舞うことは母を死なせてしまう。そんなことを決してやってはいけないとこの日を境に誓ったのだと思います。

 この「だから」はまったく意味のつながりをもたらしていないのですが、母の死を避けるために無邪気さや親密さは表してはいけないことだと決めてしまったようなのです。「だから」の思い込みは、感じていることを口にし、思いをそのまま表すことを退けさせた。それが強さだと勘違いしてしまった。感じることが弱いという決めつけは、自分の感覚を味わわないようにさせます。

 「男の子だから強くならないとな」とか「えらいね」と周りの大人のいう無自覚な言葉はプレッシャーであり励ましでもあり、それらの期待に応えようとしたのは、小さな子供なりの勇気の見せ所だったのかもしれません。寂しくても寂しいと感じてはならない。健気といえばそうかもしれませんが、それは総じて起きている事実を事実として受け入れることができない道へと自分を歩ませていったなと思います。

 私にとって男性性は、この世を生きるのに何かを構築して生きないと自身の安心につながらない。と同時にそれらの技巧的な生きる術は、生き死ぬという自然現象にはどうしようもない。

 母は生きているが死ぬことを常に示しており、この自然さは、この世を生きる上で何かを作り、装わないと生きていけないという態度に比べて、あまりに地べたの原理だという感じがします。傍らにいた母は私にとってそんな存在でした。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。