ままならない私たち~生きづらさを身体から考える

この連載について

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。

第10回

PTSDと生きる1 イリナより

2024年1月15日掲載

尹さん、「身体はモノとして扱われる」という言葉は、私の中で昔から疑問にしてきたことです。これは大変なことで、決して医療機関に関してのみ言えることではなく、権力者、政府、あらゆる制度、西洋的な考え方に基づいて作られたシステムは、身体=モノというシンプルながら恐ろしい仕組みになっています。それは人=数字ということで、ルーマニアが経験したソ連製の社会主義システムとか、現在の民主主義の失敗もここに共通点があります。
こうしたシステムでは、弱者が生きる可能性はほぼゼロです。詳しくこれについて語ったのはフランスの哲学者、フーコーですが、彼の死から何十年経った今も、この壊れた世界のシステムについて何らかの解決ができる仕組みが見つかっていません。相変わらず、人の身体はモノのまま生まれて死んでいく。死なせていくという方が正しいかもしれない。この世は殺し屋のようなものだから。私たちはみんな弱者を殺している。今の時代では全てがスペクタクルのように、権力者の提供しているサーカスのように、ソーシャルメディアが見世物にしているのです。

最近、映像とイメージの力について、研究者としてガザのイメージをリポストし、それらを翻訳しています。現実を知り、現実と向き合うために始めました。すると、すべてが抑圧者の死の踊りに参加していることに気づきました。
ありのままの現実を記録し、現地の若者の声を世界に届ける力強い行動になっている。ですが、他方では見る側の恐怖を高めることもあります。恐怖が魂を腐らせる餌として毎日のように与えられる現代社会。この罠に出口があるか誰にもわかりません。ただ、拷問のような日常の恐怖に身体が壊れ、支配され、誰でも抑圧者となる環境が揃っています。現代を生きる私たちは皆当事者であると同時に、皆P T S Dを背負うことでしょう。そうして操作されやすいモノになっていくのでしょうね。

フランス革命でも1773年から1774年までの恐怖政治による残虐な圧政の時期に、およそ2万人が殺されました。時代を変えるたびに、たくさんの犠牲者が出る。真実のため、変革のために戦ってきた誰もが、代替わりして抑圧者になる可能性がある。
社会主義時代のルーマニアの刑務所では、家族、友人達、全ての親しい人を国家の敵として告発しなければ拷問にあい、最後には殺されました。かといって、言われるままに告発したところで結局は家族なども逮捕され、同じ拷問を受けるのです。中には恐怖のあまり自分から進んで周りの人を拷問し、殺害した人もいました。
追い詰められ、責められた人間は、どんなリアクションするのかわからないのです。西洋の歴史ではこのような大量殺人が当たり前のように起こっていて、人間とは暴力的な生き物であり、簡単に他人を殺すことができる生き物だと改めてわかるのです。

私はこの事実を子供の時から知っています。本にも書いた通り、幼いころ父からものすごい暴力を受けました。私の最初の記憶は1歳くらいの時で、それは激しく殴られたことでした。その記憶は今も新鮮で毎日のようにフラッシュバックがあります。
父からの虐待は大学生になるまで続いていたため、私の人生の半分は自分の身体を殴られるモノとして受け止める時間でした。P T S Dと向き合う毎日です。
大人になってから、これは私だけではなく、たくさんの子供が体験することだと知りました。悲しいことです。自分に子供ができてから、ようやく父を許すことができました。許すという言葉を使うと解放感に満ちている感じがしますが、そんな生易しいことではありません。個人としての父は許すことができても、世界を許すことは一生ないだろうと思うからです。この怒りと毎日向き合って生きています。

暴力を受ける身体の感覚をこれからさまざまな形の文書で細かく書くことが続きます。尹さんに伝えることもその一つです。生々しい記憶をここで逐一書けないですが、自分なりに二つ言えることがあります。
一つは暴力のメカニズムの中から抜けることができるかどうか真剣に考えたい。アメリカの小説家、詩人、公民権運動家のジェイムズ・ボールドウィンが言う通り、抑圧者になる瞬間が訪れても、モンスターになりそうな瞬間が来ても、ならない選択肢が誰にでも残っている。
自分もある時ものすごく暴力的になります。子供の時から暴力を日常レベルで体験していると、自然というとおかしいですが、その状態を無意識の裡(うち)に繰り返してしまいます。可哀想な人間だと思われてもいいですが、私の場合は言葉上の暴力があります。自分は真実だと思っていることをそのまま言います。普段はとても穏やかで大人しい人ですが、突然にそうなります。
自分でもコントロールできないような、中世ヨーロッパでは悪魔憑依と思われた暴力的な言葉を使うことがあります。大体、それは自分が見下され、差別、無視、ネグレクトされたと感じた時に発生する護身術のメカニズムのようなものだと思います。
ご存知のようにフロイトはヒステリーの典型例と診断したかもしれませんが、私はこれを妖術の一つと捉えています。アフリカのアザンデ族によれば不幸な出来事は本人のせいではなく、他人の邪術によるものと考えていました。この邪術は無意識のうちに人にかけてしまうことがあると少し厄介なことです。つまり、私はこの状態になるのはその邪術に逆らうためです。自分で作り上げたちょっとした儀式のようなものです。禊ぎのようなものです。
この状態になると、自分の身体というものが自分のものではないように感じます。とても恐ろしい状態です。
そして最近ではわかったのですが、親しい人に対してその状態になるのはその人を試すためです。子供の時にトラウマを受けると人間不信になり、全ての人を疑うという苦しい状態が生じます。それが治らない。私の場合、相手をものすごく怒らせるまで攻撃をやめられません。怒った状態の人間を見て、その人のリアクションを観察する。怒りの限界に近づくほどの状況になった人間は、私に対していいリアクションをしない。これを特に男性に対してやっています。その後は嫌われ、追い出され、捨てられ、ひどく差別される。その時、私は急に冷静になって、その人のそんな顔を見ると安心する。やっぱり、思った通り、私を嫌う。
嫌われたいからやっているわけではないですが、こんな自分を受け入れ、愛して、守ってくれるのではないかと希望を持ちますが、ふつうの人はそれまでと違う態度に変わり、私から離れていくのです。

 P T S Dと生きるとこんなことが多くある。寂しいことですね。障害のようなものです。こんな自分を受け入れてくれる人がなかなかいないとわかっています。ルーマニアという国に生まれたことも、ある意味で国民的なトラウマを背負っているし、私みたいな人がどう生きればいいのか、わかりません。人類学者になった理由はここにあるのかもしれません。異質の他者を受けいれるヒントを見つけるため。私も昔から十分異質だからです。

他人、特に権力者の男性と接するのはとても難しいです。今まで生き残ってきたのが、祖母、母、手を伸ばして助けてくれて理解をしてくれた周りの素晴らしい女性のおかげだからです。男性が悪いと言っているのではなくて、今まで私が怒らせた男性の中でマシなリアクションをした男性は一人もいません。
尹さんにこの話をするのも失礼かもしれませんが、尹さんが権力を持っていたらどんなリアクションをするのか想像して欲しいです。もし私がものすごく激しい言葉を真実だと思って尹さんに対して言ったら。その激しい言葉の裏に全身から血が溢れて、トラックに撥ねられたような痛みに苦しむ女性がいることを忘れないでください。その時、優しく、愛しく落ち着かせることが可能ですか?私たちが男性や女性としての身体を持つことは無視することができないし他者として受け入れるチャンスだと思っています。

もう一つ言えるのは、暴力を受ける原因は女性として生まれたからです。この世界では女の身体はただのモノであり、特に性的対象のモノとして扱われ続けてきました。女性が感じる痛みは男性の何倍だと言いたくなります。いずれにしろ、この世には愛が欠けているのかもしれない。愛ではなく暴力が人間社会を築いています。愛とは人の身体をモノとしてではなく、尊敬するべき、あたたかい、美しい生き物として見るということかもしれません。
ハン・ガンの『少年が来る』を思い出しながらこれを書いたので、次回はその話をします。英語のタイトルはHuman Acts(人間のすること)でした。この本では魂と身体の話が生々しく描かれていて、それらの話は私の身体経験に近いかもしれないのです。

著者プロフィール
尹雄大 × イリナ・グリゴレ

尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。