「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。
太陽の味(豊さについて) イリナより
娘が友達と車で会話をしていた。
「今日は暑かったね」
「太陽を飲んだ」
運転している私は急にブレーキを踏むところだった。
こんな言葉をはじめて耳にした。
小学校3年生の女の子の話とはこんなに美しかったのか。
そして「太陽の味がした」と続けた言葉に私も納得した。太陽を飲んだら太陽の味がするという当たり前のことを、今まで生きてきて、完全に私は見逃していたのだ。
どうやって飲むのか。
この言葉の組み合わせは良い。
日本語では、光もシャワーも同じ「浴びる」を使うのですね。ルーマニア語ではシャワーを浴びることはface un duș となります。直訳すると「シャワーを作る」という表現になります。
西ヨーロッパの言語だと、フランス語はprendre une douche、英語ではtake a shower、スペイン語はtomar una duchaで、いずれも「取る」という動詞が使われる。なんとなく圧力を感じる。
スペイン語のtomarのもう一つの意味は「食べる」。言葉の上でも支配を感じる。自分のものにすること。植民地主義な気配を感じるのは気のせいなのか。
私たちの身体への言葉の影響は大きいといつも感じる。特にここ最近、プロパガンダの言葉が私の心を痛めている。ところで、「言葉を失う」という表現も好きかもしれない。言葉を失ってからが本当の言葉に出会えるチャンスだ。
以前に、日本語との出会いは私の免疫力を高めたと書いたのだが、全く否定せずそうだが、私のいう「日本語」とは、ソーシャルメディア、テレビ、日常的会話の日本語ではない。小説と詩、方言などの言葉だ。津軽弁、南部弁に触れるととても詩的だと感じるから。
今はもう亡くなられた獅子舞の先輩方と出会った瞬間から喋っていた言葉は、イメージの雨を浴びるような体験だった。あの方々にもう二度と会えないと思うと悲しくなる。
ここでも「浴びる」という動詞を再び使ったのでこの話に戻る。
私の書く、喋る日本語は、正しく喋る、書くと意識せず、できるだけ娘たちの車の中の会話のように周りの環境を身体で体験し、その喜びを失わずに身体を通すような真の言葉を使いたいです。日本語が一番好きな理由は、私にとって言葉は言葉ではなく、イメージだからです。同じような言葉遊びをルーマニア語でしたら照れ臭くなって、書けなくなると思います。つまり、母語の支配から逃げることができるのです。
これもとてもデリケートな話題かもしれませんが触れてみたいテーマの一つです。尹さんは、私が傷つけるためにこの話を出すわけではないとわかっていると思うから。
それでも私もまだしっかり言語化できてないけれども思い切って書きます。
ある日の尹さんの言葉を読んですごく苦しくなった。
ハン・ガンの声を聞いた後でした。
あの時、彼女の声に癒された人がたくさんいたと思う。そして尹さんはこのように書いた「彼女の声を聞いてこの時、韓国語が話せたらいいのにと思う」。
その時、尹さんの言葉の重さは私の身体をフリーズさせた。
この話を尹さんとしたかったです。このような話を突然しなくてもと思われるかもしれないが、いや、したほうがいいと私が思う。
じつは私は娘にルーマニア語を教えていないのです。けれども、自分が教えてないから悪いという話ではありません。
尹さんの母親も尹さんに韓国語を教えてないから悪いとは思わないです。慣れない話なので、せめて文章で何かを書きたいけど、言葉もイメージも詰まって出てこない。
何というか、移民、難民、植民地下で生きることがとて難しいことだと改めて感じます。
この話をどこからはじめたらいいのか。私がバヌアツで見た貧困と格差からか。あるいはルーマニアで生きた貧困、支配と浴びた放射能からか。
放射能は目に見えないが、身体への影響は2時間で終わると言われます。最初に激しく嘔吐した後、ダメージがあまりにも大きいので、肉体が耐えられなくなります。
今、世界に起きていること、例えば虐殺みたいな、目で見える事件は、見えない放射能が人体に与える影響のような、植民地主義的思想の痕です。
ルーマニアと何の関係があるのかと思う人もいるかもしれないですが、前も書いたようにあの地域はローマ時代から植民地化されてから、多民族の支配を受け続けてきた歴史を持っていて、その結果何世代にもわたる支配の下で抵抗し、生きる身体を作り上げ、生き残る能力を磨いてきました。
私の身体はその傷跡だらけで生まれてきました。
もちろん、アメリカとカナダなどの先住民と比べものにもならないけれども。
だから、これからも私は彼らの声を届ける努力を全身で代弁します。
人類の歴史は虐殺と植民地支配の歴史だったが、この世代でこれらを止めないといけない。そうしないと太陽を飲めなくなる。
泉と川の水を汲んで飲めなくなる。
環境被害と植民地は深い繋がりがあるから。
先住民の知恵を無視して、鉱山や原発を作り、豊かな土地の資源を奪う。水を取る。金を取る。じゃがいもととうもろこしを取る。女性を取る。子供を取る。ベネズエラとコロンビアなどには先住民はもうあまりいない。虐殺されていなくなったから。
アメリカ先住民の若者のこれからを注目したい。彼らは恐ろしい歴史を生き残ったから。彼らは自分自身をインターネット上でNDNと呼びますがNot Dead Native(まだ死んでない、生き残っているネイティブ)の意味もある。
娘たちの言葉には二つの意味がある。
その日は、外のグラウンドで運動会の練習をして、5月にしてはとても暑くて、水筒に入っていた水がお湯になっていた。
飲んだらそれは太陽を飲んだ気分になったでしょうね。でも「太陽の味がした」という一言に一番感動した。
その味を知っているように話す小さな女の子たち。
太陽が美味しそうに見えた。生まれて、この地球で生きて、身体を持ち、さまざまなものを味わうことができる贅沢。豊さについて教えられた。
水筒の水がお湯になってもまずいと言わない、その瞬間に「太陽を飲んだ」と言う言葉が生まれて、微笑んでその時にこの世の一番美味しいものを味見するような喜びを感じる。
詩と身体と自然が一体化し、そこにいること自体の奇跡が太陽のように輝く子供たち。
子供の頃、大事に育っていた鶏を祝いの日に祖母は自分で潰して、スープを作って、トマト煮込みを作って、その肉の一番美味しいところ私たち孫にくれた。
祖母は足(もみじ)とぼん尻だけ食べていた。
太陽を飲むという表現からは、このような気持ちを感じる。
この世の美味しいものを食べたときの気持ち。
お湯になった水筒の水は美味しくないに決まっているが、子供たちはそう思わなかった。
私たちも見習わないといけない。思い出そう。太陽の味を。
最後に撮った写真の祖母は、鶏を片手で持って、遠い日本から帰ってきた私のために何か美味しいものを作る準備をしていた。本にも書いたが祖母の料理はこの世の料理と思えないほど美味しい。まさに太陽の味だ。
もし祖母が生きていたら、娘たちを連れて行く際には鶏を潰してあの美味しい料理を作ってくれていただろうけれど、娘たちが祖母とルーマニア語で会話できなかったと思うと心が痛む。
6月の初めに秋田県の大湯にある友達家族の古民家にみんなで泊まりに行った。
近くには古いお寺と森があって、山菜もたくさん生えていた。白神山地のブナのマザーツリーは枯れてしまったけれど、大湯にも杉のマザーツリーがあった。立派でした。
それはそうと、ずっと森の近くを歩いていると、なぜか料理の匂いがしてたまらなかった。誰か森の中に美味しそうな料理でも作っているのではないかと思うほど強い匂いだった。この匂い、知っている、祖母のトマト煮込みだ!
お寺に近づくと古い小さなお墓があって、小さな十字が彫ってあった。ハリスティアン(正教会の信徒)の墓だと教えてもらって、ずっと4年間祖母のお墓参りをしていないのを思って涙が出た。
私たち、共生できるためにはもっと太陽を飲まないといけないのではないか。
信仰、人種、ジェンダー関係なくこの地球を愛し、差別と支配なしに共に生きることが本当にできないのか。
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尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。
イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。