子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第19回

子どもの成長を尊いと感じること

2024年8月23日掲載

先日の「ドキュメント72時間」は、パリにある日本のコミックが置かれた漫画喫茶だった。そのなかで、漫画を読みに来ていた若い女性がインタビューされていた。近くにある大学の法学部の女子学生で、毎日8〜9時間勉強しないと進級できない、そのわずかな休憩時間に漫画を読みに来る、と言っていた。眼鏡をかけた真面目そうな女の子だった。漫画のどこが好きかと聞かれて、彼女は、棚に並んだ『NARUTO』を指さしながら、こう答えた。

「主人公が成長するところにはげまされる。
この主人公だって、はじめはさえなかったのに。
反発して強くなっていくのを見ると、私もベストを尽くそうと思える。
漫画の力に深く感動した。尊いし、前向きになれる」

字幕はそういう訳だった。「尊い」という表現が素敵だと思った。「反発して強くなっていく」というところが大切な鍵だと彼女は言ったように感じた。親の指示に従って強くなっていくのではない。むしろ親に言われたことに逆らって、そこで出会う困難を乗り越えて成長していく。そこを「尊い」と彼女は言いたかったのではないか。表情を見ていてそう思った。

これは、子どもの試行錯誤を親が見守ることに、どこか通じるところがあると思った。子どもを導こうとする親は、子どもが何かの試練に出会うと、どうやってそれを乗り越えさせようか、というスタンスで子どもに向き合う。そして、子どもを上手に導いて、(親から見た)うまい結果を子どもに得させることで、親としての自分の達成を感じるのだろう。こんな未熟なわが子を、自分はうまく導いて、一つ壁を乗り越えさせられた。さて次はなんだろう、がんばるぞ、という感じなのかも。

私が自分の例で思い出すのは、夏休みのサッカーの朝練である。子どもたちを起こして、早朝に公園でオレンジのコーンを並べて、ドリブルの練習をさせた。時に嫌がる彼らを、励ましたりおだてたりしながら。だんだん上達していく子どもを見て、自分の努力が実っていくのを味わっていたと思う。(それを、ただダメだと言うつもりはない。言いたいのは、親である私が、自分のやるべきこととして、張り切っていたという点を述べたいのである。)

そうではなく、つまり、子どもを導くのではなく、子どもが自分で成長していくのを見守ることができる親もいる。そういう親は、だらだらしているように見える子どもが、自分のやるべきことをどうやって見つけていくのかを、眺めることができるだろう(忍耐のいることではあるが)。子どもが困ったり、へこたれたりしたときに、どう立ち直っていくのか。見守るスタイルを大事にしている親であれば、その子なりの立ち上がり方を見ることができるだろう。

サッカーの例であれば、ほかの子よりも上達が遅い子どもは、レギュラーになれないなどの「困難」に出会うかもしれない。そのようなときにこそ、(親ではなく)その子の好みのやり方、対処方法が、現れてくるものである。どうやって、今の困った事態に向き合っていくべきか。自分の不快な状況をどうやって改善させたらいいか。そこにどう取り組むか。

辛抱強く見守ることができれば、その子らしさや、子どものエネルギーを、実感できるだろう。たいていは、何もしていないように見える子どもに、歯がゆさを感じて、いろいろと口出ししてしまうものであるが。子どもがようやく自分で動きはじめるとき、多くの場合、それは親の想像していなかった方向であることも多い。子どもが自分でなにかの方法を選ぶこともある。そして、すぐに行き詰まって、方向転換したり、逆戻りしたり。しかし、しばしば、偶然の出来事や出会いによって、子どもは困難な状態を脱出して、次の段階に進んでいくものである。

そして、思いもしなかった子どもの達成を見ることで(それは親から見たら達成に見えないこともあるかもしれないが)、子どもの力への、尊さを感じることができるかもしれない。子どもが成長しようとする力への畏敬を。それは、番組の中で彼女が言葉にした「尊さ」に近いものだと思われる。

さらに、もしかしたら、自分にもそういう幼い子どもの日々があったこと、あの頼りない気分、そういうことも親は思い出すかもしれない。あんなに小さかった、ほんの子どもだったのに。今はこうしてがんばって育児をしている。そういう自分の人生に対しても、愛情と尊敬の気持ちをもつことができるだろう。

いろいろと心配して手出しをしてしまう親も、実は、幼い日の自分を、眼の前にいる子どもに重ねて、自分を助けるような気持ちで、子どもにあれこれ口出ししてしまっているのかもしれない。

まとめると、子どもが直面している課題を、どうやって乗り越えさせるか。そこに親の気持ちが集中してしまうと、親のチャレンジになってしまう。子どもに対して、いろいろ指示をするかもしれないし、子どものやり方に不満を持つかもしれない。しかし、子どもがそれにどう取り組むか(取り組まないことも含めて)を、楽しみに(関心を持って)見守ることができたら、うちの子は意外とたくましいな、とか、この子は自分より楽観的やな、とか、新しい発見に出会えるかもしれない。子どもがチャレンジする姿を、(いい意味で)離れて見守ることができれば、子どもは自分が思っているほど弱くないのだな、ということをリアルに感じられるかもしれない。そして、幼かったころの自分だって、実はそんなにやわではなかったよなぁ、などということも思い出すかもしれない。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。