自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
誰の気持ちが中心になっていますか?
あるレストランの玄関を出たところで見た光景です。大人たちは正装していてすこし堅苦しい食事会だったようです。そこに一人だけ2歳半ぐらいの男の子がいました。外に出て辛抱がきれたように、店の前でぐずりだしました。おそらく、長い食事のあいだ中、ずっと大人の話を聞かされていたのでしょう。でも、子どもなりに、大事な集まりなんだろうと配慮してがんばっていたのでしょう。子どもは地面に寝そべって、泣いて動こうとしません。若いお父さんが抱っこしようとしても、暴れて抵抗しています。大人たちは、いろいろ声をかけてなだめようとしますが、テコでも動かないという感じです。しばらくそうしていましたが、おばあちゃんらしき女性が、持ってきていたおやつをバッグからちらっと見せて、「〇〇ちゃん、車に乗って、これ食べようよ」と言うと、子どもは、けろっと笑顔になり、立ち上がって「食べる!」と言いました。もうこれぐらいでかんべんしてやる!という感じ、潮時だったようでした。
この光景、人通りの多い道端で、幼い子のかんしゃくに困っている大人たち。彼らの関心は、「子どもの気持ち」に集中していました。荒れている子どもの気持ちを、どうなだめるか。
どちらの気持ちに焦点が当たっているか
前述のケースでは、大人が、子どもの気持ちを気にかけていました。このように、どちらの気持ちに焦点が当たっているか、が今回の話のポイントです。たとえば、子どもに辛抱させたときに、親が子どもにかける言葉、「もうちょっとだけ待っててね」とか、「静かにしてくれてありがとうね」とか、「ちょっとつまんなかったね。ごめんね」とか。そういう言葉は、親が子どもの心を思いやってかけている言葉です。このような言葉からは、向き合っている親と子のあいだで、今、子どもの気持ちに焦点が当たっているということがわかります。
逆の場合、すなわち、親の気持ちが中心になっていることもあります。よく紹介する例ですが、たとえば、参観日に忘れ物をして、子どもが困ったとします。そういうとき、子どものことよりも、親である自分の気持ちを優先してしまうと、家に帰った親は「なんで、前の日に準備しておかへんのよ! 恥ずかしかったわ!」と、子どもに文句を言うかもしれません。大事な参観授業で忘れ物をした。「しまった!」と子どもは思ったことでしょう。つらい思いや残念な思いをしたのは、まず子どもです。しかし、それよりも、恥をかいた(と感じた)自分の気持ちのほうを親が優先してしまっているのです。
(そういうことがいいか悪いかを言っているのではなく、どちらの気持ちに焦点が当たっているか、を考える例として出しています。)
スポーツの試合での子どものミスも同じことです。一番がっかりしているのは子どもなのですが、応援していた親のほうが「なんであんなミスするのよ」と言ってしまう。勉強をしない子どもに怒る親も、ある意味では同じことをしています。親の不安、不満な気持ちが中心にあって、子どもがどう感じているか、なぜ勉強したくないのか、などはテーマになっていません。
子どものことが心配
30代半ばになっても親と同居している息子のことを、いつも嘆いていた親がいました。結婚する気がない、家を出る気がない、などと。今は昔と比べて結婚する年齢が上がっていることや、そもそも結婚しない人の割合もずっと高くなっている、というようなことは、その親の考えには入っていないようでした。その親が嘆くのは、自分が不安だ、不満だということであって、子どもがどう思っているか、なにを感じているか、ということはほとんど語られません。(いつの時代の話かと思うかもしれませんが)息子がいつまでも家を出ない、嫁をもらわない。そのために自分は世間から、いい親、きちんとした親と思われないのではないか、ということを、その親は(自分では気づいていないようでしたが)悩んでいるようでした。
ところが、その息子が、都会で働くことになりました。家からは通うのが大変なので、一人で部屋を借りて家を出ることになりました。すると、その親は、今度は子どもが一人でやっていけるかどうかが不安になり、そういう話ばかりするようになりました。その人の関心は常に親である自分自身の気持ちに向いていて、子どもの気持ちではありませんでした。子どもには子どもの気持ちがあるということが、言われないと、いや、言われても、わからないようでした。
入院している高齢の患者さんと、その子どもさんたちのやりとりでも、同じものを感じることがあります。ほとんどの患者さんは子どもに迷惑をかけたくないと考えており、いろいろと気を遣っておられます。病状や治療の方針について、子どもさんにも説明を聞いていただく必要があるときでも、「あの子は今、仕事が忙しい時期なので」とか、「あの子にはあの子の家庭があるので迷惑をかけたくない」と話されたりします。
その一方で、そういうことに気を遣わないどころか、あれやこれやの要求を子どもにする患者さんもおられます。(それは認知機能が落ちて物事がしっかり考えられなくなっているから、ということが理由ではありません。)なかには、幼い子どもが親に甘えるように、いろいろとものを頼む方もおられます。そして、子どもがそれに応えてくれないと、怒って不満を伝えます。
親が自分の思いだけを優先し、子どもの気持ちや事情を気にかけない関係が、私には不思議に感じられます。そういう関係の親子の場合、子どもは忙しくても、なんとか親のリクエストに応えようと時間をやりくりします。そして、期待に応えられない場合は、できない理由を説明します。幼い子どもをなだめるように、親をなだめようとする。そのような親子の関係において、中心にあるのは、親の気持ちであって、子どもの大変さ、つらさなどはほとんど配慮されません。
こういう例を挙げながら私は、子どもの気持ちを考えない親を批判したいのではありません。そうではなく、視点を変えて相手や自分の気持ちを考えてみることの面白さを提案しているつもりです。親子で、もしくは、パートナーと話をしているときに、今、中心になっているのはどちらの気持ちだろうか?ということを意識してみると面白いと思います。新しい気づきがあるかもしれません。今まで気がついていなかった新たな親子や夫婦、家族の関係が見えるかもしれません。
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1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。