子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第14回

孫もワンオペ

2024年7月12日掲載

知人女性と話したときのこと。彼女の娘さんに2人目の孫がもうすぐ生まれるという。「上の子を預かることも増えると思う」と彼女が言ったので、「それは楽しみでもありますね」と私が言うと、「そうなんですよ。うちは孫もワンオペですから」と彼女は言った。
彼女の夫は忙しく働いてきたし、今もそうであるらしい。朝5時には起きて早くに家を出ていく。帰ってくるのは11時を過ぎることも多い。土曜日も仕事をしている。日曜日はたいていゴルフに行く。子ども3人は彼女がワンオペで育ててきた。そして「孫もワンオペ」つまり孫を預かっても祖母である彼女が一人で面倒をみる。そういう覚悟である、と。そこに愚痴の気配が一切なかったのが印象的だった。

日本の特殊性

品田知美さんの著書『離れていても家族』にとても感銘を受けた。一番興味を引かれたのは、日本(そして韓国も似ている)の労働時間の男女差の特殊性についてである。内閣府男女共同参画局のサイトにもデータや解説が載っており、数分で読むことができる。ぜひちらっとでもお読みください。下記、サイトを載せておきます。

内閣府・男女共同参画白書 令和5年版 コラム1 生活時間の国際比較(クリックでサイトを表示)

ここで紹介されているのは、OECDによる‘Balancing paid work, unpaid work and leisure(2021)’というタイトルの報告である。(有償労働、無償労働と余暇のバランスをとる、というような意味である。)

上記の内閣府のサイトの「(図1)労働時間の国際比較」では、日本、米国、フランス、英国など先進国11カ国において、男女の有償労働時間と無償労働時間の比較がされている。有償労働時間とは、お金をもらって働くこと、つまり仕事の時間である。これは比較した国の中で日本の男性が一番長い。無償労働時間とは、お金をもらわずに働く時間のことであり、たとえば家事とか育児、介護やボランティアなどの活動の時間である。日本の男性はこの時間が最も短い。

「(図3)無償労働時間の国際比較」によると、日本と韓国の男性は1日あたりの無償労働時間が40分台であるが、他の国は2時間を大きく超えているのである。北欧や米国では3時間近い。このグラフを見て衝撃を受けない人は少ないのではないかと思う。

今までは、このようなデータに対して「日本の男は家事をせず、女性にまかせきり。さぼっている、ずるい」「欧米の男性は女性をちゃんと助けている。えらい、やさしい、立派だ」という感覚しか持っていなかった。そして、日本の男性の一人として私も、申し訳なく、情けなく感じていた。クレヨンしんちゃんでは、ひろし(父親)が、休日にこっそりゴルフバッグを車に積み込もうとして、しんのすけが見つける。「あれ? 父ちゃん、どこいくの?」そして、そこからみさえ(妻)にばれて、妻の怒りが爆発する。これは一つの定番である。

剥奪された家庭での生活

しかし、『離れていても家族』のなかで、品田さんは日本人男性の無償労働時間の短さは、単に「家事をしないから日本の男はずるい」というような問題ではないと述べていた。無償労働時間は、日本人(とくに男性)がイメージしているような、ゴミ捨てやトイレ掃除など「やりたくはないがやらなければならない雑用」に限らない。欧米の男性は1日あたり3時間近い無償労働時間を使ってなにをしているのか。それは、たとえばDIY(テーブルを作ったり、壁を塗り替えたり)や、ガーデニング(芝を刈ったり、畑仕事など)といった時間のかかる作業(それはしばしば楽しみでもある)である。そういうことをする時間こそが、無償労働時間の本質であるのだと。子どもとスポーツをしたり遊んだりする時間もそうである。

日本の男性の家事時間が短いことの影響は、当然、女性にも及ぶ。女性の無償労働時間(家事育児などの時間)は、比較した11カ国のなかで中くらいであり、男女合わせての無償労働時間は韓国と並んで最低レベルである。たとえば、家の中をきれいにすることも、快適に暮らすためには大事である。そういう時間が短い。同じように、育児にかけられる時間も少ない。ボランティアをする時間もとりづらいだろう。結果的に、女性もまた、家事の中でもしなければならないことをすることだけで手一杯になる。のんびりと家のなかでの暮らしを楽しむために使える時間は少ない。

つまり、日本の男性の無償労働時間が短いことは、家事を妻にまかせてばかりで男はずるい、という従来言われてきたような単純な話ではない。家庭での暮らしを楽しむことができない日本の男性もかわいそうであり、家事を一方的にまかされることで余裕がなくなる女性もまたかわいそうである。そういう点にこそ問題の本質があると考えるべきである。品田さんが主張されているのはそういうことであると私は感じた。

「孫もワンオペ」の女性の例で言えば、夫は孫の世話をしなくていいから楽だ、というのではなく、孫と遊ぶ時間がないことで、成長を感じる楽しみを味わうことができないのである。彼女のきっぱりとした言い方には、夫を非難するような意味合いはまったく感じられなかった。育児は自分がやると決めてやってきたことであるし、そこから得られる喜びも自分のものである、というような潔いものを感じた。

研究をしていた頃のこと。研究成果の報告のための国際学会があると、私はその機会をいつも研究グループの同僚や後輩に譲っていた。行かない理由を聞かれて「子どものサッカーの試合の手伝いがあるので」と言うと、「田中くんは家族サービスせんとあかんから大変やなぁ」と、上司から同情された。私にしてみたら、トンボ帰りで遠い国に行くよりも、子どもたちのテントを立てたり水を配ったりレフリーをすることのほうが、ずっとやりたいこと、楽しいこと、やりがいのあることだった。「家族へのサービス」ではなく、自分が家族としての暮らしを楽しむ機会を失いたくない、という思いだった。そういう時間を持てずに、長い時間飛行機に乗らねばならない同僚たちのほうがずっと「かわいそう」だと思った。

クレヨンしんちゃんで例えると、妻みさえは家事をしない夫ひろしに怒りを向けるべきではない。夫ひろしも罪悪感をもちながら妻の怒りが鎮まるのを待つのではダメだ。外での長時間労働を男に強いて、家庭で生活を、そこから得られるよろこびを奪ってきた、そういう世の中の仕組みにこそ、二人で一緒に怒りを向けるべきである。同様に、家事や育児、介護を女性に押し付けて、彼女たちの外の世界での活躍を阻害してきた世の中の仕組みも、子どもたちの未来のために改められていくべきである。品田さんの本を読んで、そんなふうに感じた。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。