子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第2回

鼻血の教訓

2023年12月22日掲載

スタバで、隣の席から聞こえてきた高齢の女性二人の会話。70代後半ぐらいかな。二人ともオシャレな感じの人たちだった。一人がずっと話していた。

「この前、2日続けて救急車にのったんよ。1日目は月曜日で。お夕飯の後でさ、お風呂入ろうかなって思ってたら、なーんもしてへんのに、急に鼻血が出た。鼻血とか、ワタシ久しぶりやったから、ちょっとびっくりしたよ。こうやってうつむいて鼻を押さえてたんよ。10分ぐらいかな、じっと押さえてて。それで、そーっとタオルを離したら、また、どーっと血が出てきて。タオルが真っ赤になって。ワタシ、一人暮らしやろ、だから怖くて。けんとーわるいと思ったけど、そんなん言ってられへんから救急車呼んだんよ。救急車が来たころはもう鼻血は止まってたけど…」

「それで〜病院に運ばれて、診察してもろたけど、とくに問題なしって。すぐタクシーで家に戻ってん。そんでさぁ、次の日、火曜日の午前中、〜さんが通ってるっていう耳鼻科、ほら〜にあるやろ、あそこに行ったんよ。ドクターは40歳ぐらいの男の先生やったわ。こう、ちゃちゃっと見てな、『あんたの鼻の中は、多少鼻血が出やすうなってるけど、心配いらんからね。鼻血で死なんから大丈夫』。そう言わはってん。診察はそれで終わり。とくに薬もでんかった。」

「それがな、その日の夜も、また同じぐらいの時間に鼻血が出たんやて。同じように押さえてたけど、やっぱり、なかなか止まらんかったんよ。『鼻血では死なへん』って、耳鼻科で言われてたから、私も辛抱してたんよ。前の日よりも長いこと。30分ぐらいかなぁ、押さえてて。でもな、押さえてたタオルを、こうやって、そーーっと外したら、また、つーっと血が流れてくるやんか。夜に救急車の音は迷惑かかるやろ。それに2日続けてやん。近所の人にどう思われるか、気にはなってんけど、タオルが真っ赤になってくるの見てたら、怖くなって我慢できひんようになって。また救急車を呼んだんよ。同じ救急病院に運ばれて、そのときも、着いたときには血は止まってて。前の夜と同じように家に戻ったんよ。」

「それでさ、昨日、水曜日、またその耳鼻科に行ったんよ。今度はワタシと同じ歳ぐらいの女医さんやったわ。多分、あのドクターのお母さんちゃうかな。『二晩続けて救急車を呼んだんです』って言ったら、その先生な、こうやって、ワタシの顔、しっかり見てな、やさしく言ってくれたんよ。『そりゃぁ、たいへんやったね』って。『夜に一人のとき、鼻血が出て止まらんかったら、そりゃ怖くなるよね〜』って。すごいやさしいねん。診察はな、息子さんドクターと同じやった。やっぱり、『鼻血はいったん出たら繰り返しやすいけど、大丈夫やからね』って、おんなじような説明やった。薬もなし。」

「そんでな、やっぱりその夜にまた鼻血が出たんよ。3日連続。でもな、今度はぜーんぜん怖いって感じんかったんよ。鼻血は一緒よ。なかなか止まらんかった。けどな、昨日は救急車呼ぼうとは、ちっとも思わんかった。あの男の先生はさぁ、笑って『鼻血で死ぬことはない』って言ったけどさぁ。そんなもん、死ぬことはないって言われたってさぁ、血ぃ止まらんかったら怖いやん。でも、あの、おばあちゃん先生がさ、『それは怖かったねぇ』って言ってくれはったから。あれで、ワタシ、安心したんやと思うわ。なんかもう全然怖くなかった。ヨユウで辛抱できてん。」

まずは共感

これはどういうことなんでしょう。おばあちゃん先生がしてくれたことは(そして、おっちゃん先生がしてくれなかったのは)、「怖かったね」と言ってくれたこと。共感してくれたこと。ただそれだけで、処置や薬など、何かを現実に与えてくれたわけではない。でも、それがこの女性に強さ、勇気をもたらした。

子育て中の親なら、よくわかるのではないでしょうか。
たとえば子どもが転んで泣く。そのときに、親としてはつい、「泣かんでいいよ、大丈夫、痛くない」などと言ってしまう。励ますつもりで。「だから、転ぶって言ったやろ」とか。「ほら、ちゃんと前を見ないからやろ」とか。

転んだこと、痛いこと、泣いている気持ちなどを、親として一緒に感じてしまうから、すぐに立ち直ろうとして、そこから立ち去ろうとして、解決しようとして、いろいろな言葉をかけてしまいます。それは、おっちゃん先生の「鼻血では死なない、大丈夫」と似た言葉です。励ますつもりで言っているのだけれど、共感ではない。痛みや悲しみ、怖さに寄り添ってはいない。

ところがおばあちゃん先生は、「それは、怖かったやろうね」と言った。転んだ子どもに向けてであれば、「転んで、痛かったね、つらかったね」という言葉になるでしょう。「大丈夫だよ」と言われても大丈夫にはならないのに、「痛かったね」と言われたら大丈夫になる。人の心の不思議ですね。

強くなるためには

泣いている子どもに「泣かなくていい」とか、「痛くないやろ」という親の気持ちの中には、子どもに強くなってほしい、そんなことぐらいは乗り越えてほしい、という願いがあるのでしょう。でも、まわり道のようでも、子どもにとっては、泣いている気持ちにまずは寄り添ってもらう、「痛かったね」と言ってもらうことが必要なようです。

映画『おおかみこどもの雨と雪』を観た友人(男の子を育てている母親)が、かつて言ったことを思い出しました。
「厳しい世界で生きていくオオカミにならんといかんのに、あの子どもたちは、あんなにお母さんに甘えていた。すごい甘えん坊だった。厳しく育てられるのではなくて、あんなに甘えさせてもらって。そうやってこそホントに強くなっていくんやなぁって思った。」
そう話しているうちに彼女が涙を流したので、ずっと覚えている言葉です。

共感応用編

たとえば、終業式から戻ってきて、子どもが「冬休みの宿題がいっぱい出たんや…」とつぶやいたとする。しょんぼりした子どもの表情を見ると、親としては、「早めにできるものからやっといたら」とか、「毎日少しずつやっていったほうがいいよ」などと、つい言ってしまうかもしれない。どうしたらいいかを提案する。どうやったら困難に対処できるかをアドバイスする。これは「宿題で死なへんから大丈夫」と言うおっちゃん先生のようです。でも、おばあちゃん先生だったら、どう言ってくれるでしょうか。

「冬休みの宿題、いっぱいあんねん」
「そうなんかぁ、それはたいへんやなぁ。しんどいなぁ」

こんな感じで、まずは、寄り添ってくれるでしょうね。宿題どっさり、しんどいなぁ、と。こう言ってもらえれば、鼻血の女性が3日目に救急車を呼ばなかったような勇気が、元気が出るかもしれません。

現実的なことを優先しすぎる人は、こう言うかもしれません。
「そんなん、共感してもらっても、宿題はちっとも片付かんやん。現実には、なんも役に立たへんやん。結局は、やらなしゃあないやん」
でも、そうではないんですよね。共感してもらえば、勇気が出る。前向きになれる。もしかしたら「宿題なんて無視してやる!」というようなパワーさえ、出てきちゃったりするかもしれませんよ。

こう覚えておきましょう。
「鼻血の教訓。まず共感」

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。