子育てに迷う

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この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第41回

おなかがすいた

2025年2月8日掲載

これまでに書いた本の後ろに、メールアドレスを載せています。そのアドレス宛に、ときどき感想や質問が送られてきます。あるとき、こういうメールをいただきました。
(許可を得た上で掲載しています。)

ー質問ー
6歳の男の子、3歳の女の子の二人の子どもを育てている母親です。質問させてください。
今日、寝るときになって、上の子が「おなかがすいた」と言いました。「そう。おなかがすいたんだね」と答えると、「(自分の言っていることを)聞いてない!」と言って、「おなかがすいた、すいた」と壁を蹴ったりして荒れていました。夕食をあまり食べていなかったので、続きを食べるかな、と思いながら「おなかがすいたのはわかったよ。〇〇くんはどうしたいの?」と聞いても、「おなかがすいた!」、「なんで聞いてくれないの!」と怒るばかり。最後はあきらめたのか眠ってしまいました。彼の言葉でしたいことを伝えてもらえれば、できる限りのことをしたい、と思う一方、彼の中で言葉にできないハードルがあるのを感じました。先生でしたら、どのような声かけをされますか。

ー回答ー
なかなかつらい体験だったと思います。壁を蹴る息子くんの姿、それを眺めるあなたの姿が目に浮かびます。無力感、怒り、絶望……など。思いつくままに書いてみます。

今日、寝るときになって、上の子が「おなかがすいた」と言いました。「そう。おなかがすいたんだね」と答えると、「(自分の言っていることを)聞いてない!」と言って、「おなかがすいた、すいた」と壁を蹴ったりして荒れていました。

「おなかがすいた」

そう言ってもらえるのはありがたいことですね。これに対して「そう。おなかがすいたんだね」と返すのは、カウンセリングの教科書に出てくるような「おうむ返し」です。子どもにしたら「聞いてもらえていない」と思うでしょう。育児の本などで、いまだに「おうむ返し」をすすめる本がありますね。テクニックのように、表面的にそうすることは、まずいと思います。ポイントはおうむ返しではなく、まずは否定しないで受け入れるというところにあるはずなのに。

「そう。おなかがすいたんだね」

これは、自分が子どもだとして、お母さんに「おなかがすいた」と言った場面を想像してみると、共感できるのではないでしょうか。「そう。おなかがすいたんだね」と(言葉だけで)返されたら、腹がたつ、寂しくなる、と思いませんか。

「おなかがすいた、すいた」と壁を蹴ったりして荒れていました。

壁を蹴って荒れる。親としては困りますね。子どもが暴れるのは、思いを受け取ってもらえないからです。思い通りにならなくて暴れる。いわゆる退行(赤ちゃん返り)ですね。言葉によるコミュニケーションができる段階から、言葉を話す前の段階に戻ってしまう。〇〇くんは妹がいて、退行しやすいパターンに当てはまると思います(以前、退行に関する記事をニュースサイトに寄稿したことがあります。参考にしてください)。

「おなかがすいたのはわかったよ。〇〇くんはどうしたいの?」

普通のやりとりをしているなかであれば、この声かけはそんなに悪くないでしょう。ただ、今は、〇〇くんにしてみれば、おうむ返しをされてしまって、共感してもらえていない、冷たく返されたという不満がある。どうしたい、という段階に進むどころではないのでしょう。
「どうしたい、じゃないんだよ! おなかがすいたってボクが言ったこと、ママは全然、聞いてくれてないじゃないか!」というわけです。

「どうしたいの?」は、「どういう方向に進みたいの?」ということですね。子どもに行動を促しているニュアンスがあります。その意味で、指示や命令に近いともいえますね。子どもの問題に関して、よく「どうしたらいいのでしょうか?」という質問が親から出ますが、その言葉からは「どうしたら、今のやっかいな状況から脱出できますか?」と、そこから立ち去る姿勢を感じます。

ここで、しっかり考えたいのは、共感がどうだったのか、ということです。

「そう。おなかがすいたんだね」

このとき、あなたはどういう共感をしましたか。テーマはそこです。

もしも、子どもが「おなかがすいた」と言ってきたら、「そう。おなかがすいたんだね」と返しておこうと、自動的に機械的に言葉を返しただけだったとすれば、共感はとぼしいですね。あなたとしては、「もう寝るのに、おなかすいたって、困ったこと言いだしたな。夕食ちゃんと食べなかったからやろ。残ってるのを食べさせようか」、などという感じになるかもしれません。まあ、親としては当たり前だと思います。

でも、退行して、つまり幼い子どもになって甘えている息子くんにしてみたら、「おなかがすいた」は、おっぱいがほしくてぐずっている赤ちゃんの気分に近いものかもしれません。共感というのは、「相手はどう感じているかな?」と感じようとすることです。

彼の言葉でしたいことを伝えてもらえれば、できる限りのことをしたい、と思う一方、彼の中で言葉にできないハードルがあるのを感じました。

ここはとても大切なポイントだと思います。言葉にできないのが問題というより、言葉にできないころの「ぐずり」の気分なのに、言葉が話せるようになってしまっているので「おなかすいた」と、話せてしまったとも言えます。
おっぱいがほしくて、ぐずりだした赤ちゃんに「おなかがすいたのはわかったよ、あなたはどうしたいの?」とは言いませんよね。つらい、悲しい、泣きたい気分だったのでしょう、息子くんは。

さて、ここまでを踏まえて、私があなたの立場だったらどうするか、を書いてみます。今度、そういう場面があったら、どう返すか。ポイントは、「おなかがすいた」に焦点を当てること。「だからどうする」とか「何を食べる」というほうには向かいません。

「おなか、すいた」
「えー! かわいそー!」招き寄せて抱っこする。
「(おなかにさわって)ほんまやぁ、おなか、ぺっちゃんこやなぁ……。(おなかに耳を当てて)あーあー、ぐるぐるいってるわ。どうしたん、こんなにおなかへっちゃって……。つらいなぁ」

こういうとき、子どもを笑わせようという思いはベースにありますが、気分としては、自分もおなかがすいたときのこと、子どものころのことを思い出そうとしています。子どもは、親がなにを言うかよりも、なにを感じているか、のほうに敏感です。テレパシーのような感じですね。

とはいえ、親は大変ですね。めんどうくさいです。こういう話を、講演の質疑応答ですると、「そんなことやってられるか!」とお叱りを受けます。でも、ここが育児の楽しいところでもあると思います。これは、困った場面ではなく、楽しむ場面なんです。

こういう反応をすることを、すごく難しいと感じる親もいるようです。しかし、ポイントがわかれば簡単にできます。ポイントは、子どもより先に進まないことです。おなかがすいたのなら、なにか食べさせないと、というふうに、問題を解決しようとしないことです。おなかがすいたと子どもが言ったら、おなかがすいた子どものそばで、おなかがすいた感じを味わうのです。

もしも、なにか食べたければ、「なにか食べたい」と子どもは言うでしょう。息子くんが壁を蹴って訴えていたのは、この点だと思います。

たとえば、遠足から戻ってきた子どもが、玄関を開けてすぐに、「きのう買っといたお菓子持っていくの忘れた……」と言ったら、親はどう返すか。「そう、お菓子忘れて行ったの」というおうむ返しの冷たさがわかりますね。

「だから、すぐにリュックに入れときって、きのう言ったやん!」とか、「え? それで、どうしたん、お友だちにわけてもらったん?」とか、「あーごめん、お母さんも朝に確認したらよかった。まあ、でもそのお菓子は明日食べたらいいやん」とか。

これらはいずれも、どうしたらいいか、を話していて、子どもの悲しみに共感してはいません。私であれば、こう言うでしょう。
「えー、それは残念やったなぁ……かわいそうに」
ちょっとおいで、と招き寄せて、ぎゅーっとハグ。

子どもは、「お菓子持っていくの忘れた」と親に言うことで、どうしたらそれが防げたか、とか、次はどうしたらいいか、などを教えてほしいわけではないのです。つらいことがあった。それを話さずにおれなかった。一緒にそのつらさを感じてもらえたら、自分の心が元気になるということを、子どもは本能的に知っているんです。だから、大好きなお母さんに話した。多分、家に帰ってくるまでのあいだ、ずっと思っていたんでしょう。だから玄関を開けて、お母さんの顔を見て、すぐに言った。

また、次のチャンスが必ずあります。赤ちゃん返りをして、難しいことを言ってきます。そのときは、小さい子がぐずってるなと思って、なにをしようか、ではなく、子どもの気分に、子どものせつない気持ちに焦点を当てる。そして、あなたは私の大事な大事な子どもだよと、勇気をもって抱きしめる。そういう場面を楽しみに待ちましょう。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。