自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
去っていく後ろ姿の強さ
玄関を出て行ったクライエントを呼び止めようと、思わず後を追ったことがあります。カウンセリングを始めてまだ2〜3年目のころでした。
その人は育児の悩みの相談に来られていました。子どもの間違いをどう正したらいいか。どうしても伝えておきたいことが、まだたくさんあるのに。子どもは、もう自分の話を聞こうとはしない。さみしいし、やりきれない。そういう思いを、その人は話しました。
面接は、そこから進んで、自分が子育てをやり損なっている、というテーマから、自分とほかの人との関係の問題に移っていきました。友人との関係、夫との関係、自分の親との関係などです。この人は、この問題に取り組むためにカウンセリングを受けに来られたんだなと、話を聞きながら私は感じていました。
最初のころは、いつも不安そうで、小さな声で話す人でした。どうしたらいいのかわからないという感じを、常にまとっているようでした。しかし、子どものことから離れて、自分自身のことに取り組み始めると、表情は生き生きとし、声も大きくなりました。ようやく「本当の」カウンセリングが始まるような気がしてきて、私はそのクライエントと会うことを楽しいと感じるようになりました。はじめのころは、重苦しい感じだったのが、大きく変化してきました。
そういう変化が起きて間もなくのこと。その人は面接に鉢植えを下げて来られました。その日の面接では、子どもの近況を話し、初めて来たころに自分がなにを悩んでいたかを話しました。そして、残り10分ほどで、まっすぐにこちらを見て言いました。
「もう自分でやっていけると思います。ここに来るのは今日で最後にしたいと思います。これは私が育てたものです。差し上げようと思って持ってきました。受け取ってください。今までありがとうございました」
その回で終わりになると、私はまったく思っていなかったので、動揺しましたが、それは言葉には出しませんでした。そして、(なんと言ったか、思い出せないのですが)あいさつをして、面接は終わりました。その人が、受付の人と話す声が聞こえていました。そして、自動ドアの音がして、その人が出て行ったことがわかりました。
私は、正直なところ、これからようやく本当の問題に取り組んでいこうというところなのに、これでいいのだろうかと、釈然としない、どこか中途半端な気持ちになりました。思わず、診察室を出て、足早に(走りはしませんでした)その人を追いました。自動ドアが開いたところで、道路を見ると、その人はすでに数十メートルほど先を、どんどん歩いて遠ざかっていました。元気な、快活な力を後ろ姿から感じました。
自分がその人を呼び止めて、何を言うつもりなのか、私は玄関の前で立ち尽くして考えました。
「また何か困ったことがあったら、いつでも来てください。話を聞きます」
自分はそういうつもりだったように思います。しかし、そんなことは、言わないでも当たり前のことです。そこで、冷静になることができて、私はドアから中に入ることができました。
待合室に戻った私に、受付の人が言いました。
「あの人、今日で面接は終了なんですね。そんな感じでしたよね。表情も明るくなったし、お化粧も髪型も最初のころと全然違う感じ。服の色もすごく明るくなりました。よかったですね」
面接が終わりに近づいていることに、カウンセラーはなかなか気がつかない。受付の人のほうが、クライエントの変化をしっかり認めている。だから面接がもう終わりだとわかる。カウンセリングの本などに、そういうことが書かれています。まさに、その体験を、私はそのときにしました。自分がクライエントに捨てられたような気さえしました。それは、そのクライエントが最初のころに嘆いていたこととそっくりです。自分にはまだ子どもに伝えなければならないことがあるのに、子どもはもう自分の言葉を受け取ろうとしない。もう自分のもとを離れて行ってしまう。子離れの時期が来ていることに、気がつかないのは親だけだ……という感じでしょうか。
子育てにおいても、このような別れの気分を私は何度も経験しました。誠実に大切に言ったつもりの意見を、子どもは受け取る気がない。まだ親として、幼いわが子、未熟なわが子に、伝えるべきことがある。守ってやらないといけない。しかし、子どもは、もう私の言葉は受け取らず、守ってもらうことも望まない。親としてはさみしく、せつない、やりきれない気分です。そういうとき、いつも、クライエントを追いかけて玄関を出たあの日の自分の姿を思い出します。別にこれが永遠の別れというわけじゃない。この先もずっと親子であることにはなんの変わりもない。でも、ある関係が確実に終わったことは認めないといけない、ということを。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
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第26回ごはん一杯おかわりするならゲーム15分
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第27回理由も聞かずに味方になる
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第28回いわゆるゼロ日婚約の知らせ
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第29回子どもを叱るとき暴力はダメ
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第30回「豚の珍味出てる」というLINE
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第31回ゼッケンは毎年、つけ替えること
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第32回反抗期を長引かせる方法
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第33回この不幸を手放したくない?
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第34回あえて甘えさせるという育児のぜいたく
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第35回お話はうけたまわっておきます、という姿勢
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第36回Eテレ出演と満里奈さんとの対談
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第37回カビテ州立大学獣医学部
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第38回あけましておはよう
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第39回ちょっと待って! 寅さん!
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第40回ツメハラと世間話ハラ
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第41回おなかがすいた
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第42回親への感謝
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第43回去っていく後ろ姿の強さ
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。