子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第4回

子どもを本当に励ます言葉

2024年2月9日掲載

なぜもっと早く起こさないの?

かつてある知人から聞いた話。彼女の息子が不登校だったころのこと。息子は、昼間は寝ており、夜中はずっと起きてゲームをしている状況だった。彼女自身はそのことをとくに気にしていなかった。彼女を滅入らせていたのは、彼女の母親から「なぜもっと早く起こさないの」と、電話のたびに言われることだった。

そんなことはわかっているし、そのほうがいいならそうしていた。しかし、いろいろ事情があって、それがうまくいかないから、そうしていないのだ。なにも考えてないわけでは、もちろんない。そういうことが、つまり、それぐらいは娘だって考えているのだ、ということが、母親にはわからなかった。そのことが彼女をうんざりさせていたし、追い込んでもいた。彼女が、そう言われることを嫌がっていることが、彼女の母親にはわからない。彼女のエネルギーを奪っていることがわからない。

彼女の母親は、自分が不安になって、娘に甘えていたのだろう。「私が心配しなくていいように、孫をなんとかしてよ」と甘えている。娘だって、子どもの不登校という現実に向き合いながら、必死でがんばって毎日を過ごしていたはずだ。子どもに寄り添って、自分ができることに取り組んでいただろう。その娘のがんばりに、母親が共感できないのは、なんとも残念なことだ。不用意な言葉をかけ続けて娘の力を奪ってしまう。そういう言葉は、娘を応援することに、まったくならないのに。結果的に、大きな敵の一人のような存在になってしまっていた。
 
本当に子どもを応援する親の関わりとはどんなものだろう。どんな姿勢や言葉が子どもを応援するのだろう。

オレぐらいには

これもある知人の話。彼女も不登校の中学生の男の子の母親であった。彼女は少し離れたところにある実家に2〜3か月に一度行く。彼女の母親は早くに亡くなり、実家では父親が一人で暮らしている。彼女は父親の様子を見に行くのである。
あるとき、息子が学校に行っていないことを彼女は父親に話した。孫が不登校であると聞いて、ちゃんと学校に行くように言わないとダメなのではないか、と父親は彼女に言った。それに対して彼女は「そう簡単でもないのよ」と返したという。

彼女の父親がすばらしいのはそこからである。その後、孫の不登校について、父親のほうからは、一切なにも言わないし尋ねなかったというのだ。孫のことをいつも気にかけてきた父親が、気にしていないわけはない。なので、あえて聞かずにいてくれている。それが彼女には、実によくわかった。そしてそれをとてもありがたいことだと感じた。

一年ぐらいして、 彼女が実家を訪ねたときのこと。帰り際、庭先で彼女を見送りながら、車の窓越しに父親がこう言ったという。「〇〇(孫の名前)に、こう言うてやってくれ。なーんも心配せんで大丈夫やって。まあ、オレぐらいにはなれるよ、って。そう言ってやって」

彼女の父親が孫の不登校に対して言った言葉はそれだけだった。その言葉を思い出しながら、実家から家まで運転して帰る途中で、彼女はとても心があたたかかったという。でも、よく考えたら、「『オレぐらいにはなれる』って、それって自分の人生にすごく満足してるってことですよね。それもすごいなぁ」そう言って彼女は笑った。

このとき、父親が励ましたのは、娘の子ども、すなわち孫ではなく、子どもの不登校という不安を抱えながら、がんばって生きている娘のほうだったのだろう。父として、がんばっている娘を励ましたのだ。その父親の自分なりの正直な言葉で。

ワレのことはワレが

これも友人から聞いた話である。 友人が出席した結婚式でのこと。新郎がスピーチをした。そのなかで、自分を支え続けてきた父親の言葉が紹介された。彼が家を離れたときに、父親から大きな声で伝えられた言葉だという。
新郎はある離島の出身であった。高校を卒業後、都会に出て働くことを彼は希望したが、父親は賛成しなかった。話し合っても父親にはわかってもらえないと彼は感じた。父親には内緒で島を離れることにした。母親に協力してもらって、都会での生活の準備を進めた。いよいよ船で島を離れる日になった。
母親が教えたのであろう。父親が港に見送りに来た。青い軽トラが坂道を降りてくるのが見えた。船はすでに岩壁を離れかけていた。止めた軽トラの横に立って、父親は彼に向かって手を振った。彼の名を大きな声で呼んだ。そして「ワレのことは、ワレが!」と叫んだ。その言葉が、父親の声と、その光景と一つのイメージになった。それは、ずっと彼の心に生き続けて、困難に出会うたびに力を与えてくれたということだった。

これからは自分のことは自分でやっていけよ、という言葉であろう。あなたならできるよ、という信頼を短い言葉で父親は息子に送ったのだろう。

言いそうになることや聞きたくなることを、あえて口に出さないことが、親の信頼を子どもに伝えることもある。一方で、正面からはっきりと伝えることで、親の愛がまっすぐに子どもに伝わって、子どもを支え続けることもある。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。