子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第20回

とうちゃんのようになりたいと思います

2024年8月30日掲載

犬の介護が終わったので、先日、奈良の南の端にある十津川村の温泉に夫婦で行ってきました。奈良市内の病院で働きはじめて30年以上になりますが、十津川村には初めて行きました。奈良に来てすぐのころに聞かされた話では、十津川村までは、県内であるけれど車で5〜6時間かかる、道路は山道で曲がりくねっていて慣れている人でも大変だ、ということでした。それで十津川方面にはこれまで行ったことがなかったのです。ところが、何人かの人から「最近は道路がすごく良くなった」ということを聞いたのと、このごろはまって読んでいる『日本100ひな泉』という本に十津川温泉が紹介されていたこともあって、行ってみたくなりました。Googleマップで調べると、奈良から十津川まで車で2時間30分と出ていました。それで行くことにしたのです。

奈良県の北の端にある奈良市から、南北でいうと中ほどにある五條市までは、ほとんど高速道路で走ります。これは30年前にはなかった道です。五條市からは国道168号線で十津川まで行きます。車のナビを見ていると、熊野川に沿って弧を描いている古い道路を、まっすぐに(直径で)ショートカットするようにトンネルが作られている箇所がたくさんありました。トンネルの入り口のプレートには「2010年竣工」のように表示がありました。車のナビは5年前のものですが、それにはのっていないトンネルもいくつもありました(ナビの中では道がないところを車が進んでいく)。そうやって、どんどん道路がよくなっていることがわかりました。それでも、やはりカーブは多く、アップダウンも多いルートでした。たくさんのトンネルや、立派な新しい橋がなかったころ、このルートを運転するのはさぞ大変だったろうと実感しました。

車は3時間ほどで到着しました。上湯温泉というところに行きましたが、山に囲まれた渓流(上湯川)沿いに大きな露天風呂があり、そこに源泉がかけ流されていて、本の紹介通りのすばらしい温泉でした。でも、もっと感動したのは、十津川村の資料館でたまたま目にして読んでみた十津川村の小中学生の作文を集めて作られた本でした。1977年の出版となっていました。

どの作文も、なかなか読ませるものでした。「祖母から聞いた話では、昔は奈良まで行くのに2日半かかった」「どこで休んでどこでご飯を食べる」など詳しく書いてあります。山の中の資料館で読むと、当時の移動の大変さがより実感されます。作文は、とくに、親の働く姿を子どもの素朴な視点から書いたものが多かったです。一番心に残ったのは、小学5年生の男の子の「父」という文章でした。味わい深いとてもすばらしい文章だと思いますので、ここに紹介したいと思います。

父の仕事は山林労務者です。前は単車で上湯川へ行っていました。材木を切って皮をむいたり、下刈りなどをしているそうです。兄ちゃんが前に行ってきました。その時、コメツツジをいっぱいひいてきてくれました。ぼくも、この前上湯川へ行ってきましたが、小屋は不便です。電燈や洗たく機やラジオ・テレビなど一つもありません。

それから、雨降りに時たま家に帰りますが、服やズボンなどやぶけたりしています。朝早く起きて、石でなたを研いだり、やすりでのこぎりの歯をといでから出ていくそうです。山では、ほかの人たちはチェーンソーを使っていても、父ちゃんだけはのこぎりで切っています。なぜかというと、よく使えるのですが、今は借りてきていません。だから、父ちゃんのところへは、よくぶとが来るそうです。チェーンソーを使っている人のそばへは油くさくてこないそうです。だからとうちゃんはかわいそうです。ぼくがかび(注)を作ってもっていってやりたいぐらいです。父ちゃんがよけいくるというのなら、ぼくらにしたら、ものすごく多いのだろう。けれども、そんなことにまよっていたら仕事ができないので、がまんしているのだろうと思います。
山では雨ふりの場合、山くずれが起こったら危ないです。銀行などへ行っている人だったら、道をほそうしていて行きやすいけれども、山仕事は、なた、ノコギリを持って遠い道のりを歩いて行かねばならないのです。

父は、あまりせの高い人ではありません。ふつうの人です。けれども、山仕事を見ていたら、木を切るのに、のこぎりを前へおしてから後ろへもどしてくるまでは速いです。見ていると、とうちゃんは、うちの働きばちのように働き続けます。それから、のこぎりやなたでけがをしないようにと思いながら気をつかうそうです。
ぼくは、とうちゃんの収入が少なくても、いっしょうけんめい働いてくれたらたいへんいいです。母も同じ意見です。
それから未来のことですが、ぼくが大きくなったら、何になろうかなと話し合っています。
最後に、とうちゃんによくにた人になりたいと思います。          (昭和45年)

(注)かび=蚊などを近づけないように、古布をいぶすようにしたもの。

(「十津川の子ら—過疎の現実を見つめて 奈良・十津川村児童の生活記録」  211〜212ページより)

作者は昭和45年に10歳ぐらいですから、現在58歳の私より5歳ほど年上のようです。私が心打たれたのは、たとえば、「父ちゃんがよけいくるというのなら、ぼくらにしたら、ものすごく多いのだろう。」こういうところです。あの強いとうちゃんが、たいへんだというのだから、本当にすごくたいへんなんだと、子どもはしっかりと理解しています。そして、それでも、とうちゃんは仕事をやらねばならない。とうちゃんはすごくがんばっているんだということを知っています。誇りに思っていることが伝わってきます。

現代のように、健康が最優先ではない。仕事で体がダメージを受けるのは、家族を養うために仕方がない。それは昔からある「道理」だったんでしょう。親は、子が生き延びるように、自分の身をついやしていくのが当たり前だったころ。その親の姿を、子どもも日々感じて生きているということは、とても厳しいことだとも思います。何日もして、虫に刺された腕や顔を、破れた服やズボンを目の当たりにする。それでも、「とうちゃんのようになりたい」と、引き受ける覚悟が育っている。

こういう昔の子どもの思いを読むと、どうしても、現代の子どもと比べてしまいます。今の親は(父親も母親も)、文章の中で「銀行などへ行っている人だったら、道をほそうしていて行きやすいけれども、」と、書かれているような世界で暮らしているわけです。昔よりも安全な職場で働いています。それでも、それは楽な暮らしなのかというと、そうではありませんよね。仕事は、生きていくのは、やはり今でも大変です。その大変さがちがってきているのでしょう。そして、子どもは、仕事で疲れたり苦しんだりしている父親や母親を通して、この世界の大変さを感じています。それは、作文の中で男の子が書いたような具体的な大変さ(ぶよに刺されたり、一日中のこぎりをひいたり)とはちがう、もっとなにか得体の知れない大変さであるように、子どもには感じられているのかもしれません。

大変な、責任ある仕事をされている親の子どもが、しんどくなってしまっているケースによく出会います。そういう子どもたちが「とうちゃんのようになりたいです」とは、到底思わなくなっていることを、どう考えたらいいのか。作文を読みながら、十津川の資料館のなかでいろいろと考えました。

家に戻ってから、作者の名前を検索してみました。数年前の十津川村の広報誌に作者のインタビュー記事と写真が載っていました。村の林業のリーダーとして今も活躍されていることがわかりました。インタビューの文章は「やっぱり山は良い」という言葉で締めくくられていました。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。