子育てに迷う

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この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第6回

乾燥機は使わないで

2024年3月15日掲載

長年の友人であるAさんから聞いた話。彼の息子さんは結婚しており、実家から車で1時間ぐらいのところに住んでいる。先日、その息子さんの奥様が数日間、旅行に出かけることがあった。それでその間、息子さんが2歳の子(つまり、友人から見ると孫)をつれて実家に滞在した。それまでも月に1回ぐらい遊びに来ることはあったが、孫も一緒に泊まりに来たのは初めてだった。

滞在2日目の朝、息子さんが子どもの服だけを干そうとして、「洗濯物を吊るせるようなものがないか」とAさんに尋ねた。Aさん宅ではドラム式洗濯機をだいぶ前から使っており、洗濯物を干すことがほとんどないので、適当なものがすぐには見つからなかったが、ハンガーなどを使ってなんとか干せた。残りの服はみな洗濯機で乾燥させた。

「なぜ乾燥までやってしまわないの?」とAさんが聞くと、「奥さんが子どもの服だけは機械で乾燥するのを嫌がるんよね」と息子さんは答えた「いや、でもその服はどれも特別な服ではないでしょう。タグにドラム式乾燥はダメという印がなければ、乾燥機を使っても問題ないんとちゃう?」とAさんは言ったが、そのとき息子さんは少し困ったような顔をしただけだったという。そこでAさんは、もうそれ以上なにかを言うのをやめた。

Aさんが言うのをやめたのは、たとえば、「昔の乾燥機は高温になったからよく縮んだけど、うちのはヒートポンプ式だからほとんど縮まないよ」とか「機械で乾燥したほうが除菌もできるよ」とか「晴れてる日に外で干すよりも、タオルなんかはふかふかになるんだよ」などである。

Aさんが息子さんにそれ以上、話すのをやめたのは、息子さんの困った表情を見た瞬間に、大事なところはそういうことではないと悟ったからだった。Aさんが言おうとしていたことぐらい、息子さんだって知らないはずはない。息子さんも、家事もしているし機械にも(Aさんよりもずっと)詳しいのだから、それぐらい知っているんだと気がついた。そこで、あらためて考えてみた。実家に来ているときぐらい、奥さんの戒めに従わず、乾燥までしてしまったら楽なのに。なにも問題にならないのに。Aさんなら迷いなくそうしただろう。しかし、息子さんはそういうタイプじゃないということだ。

子どもの服に乾燥機を使わないのは、奥さんにばれたら叱られるからではないのだ。それは決意みたいなものだ。合理的に考えてどうかという話ではない。ただ妻がそうしたいと言うから、それを尊重するという潔い行動指針なのだ。

それからAさんは次のように言った。
これまでずっと僕は、家のことでも、育児のことでも、いろいろと妻とぶつかってきた。些細なことから大きな決断まで。いつも自分が正しいと思うことを、科学的(と僕が思い込んでいる)理由や、自分がそう信じている常識や、なんやかやと説明をして妻と言い争ってきた。いくら正しい(と僕が確信している)ことを言っても、妻は受け入れないことがときどきあった。それは妻が頑固なんだ、間違っているんだ、とずっと思ってきた。でも間違っていたのは、僕のほうだったかもしれん。正しいかどうかの問題ではなかったのかもしれん。息子が奥さんを尊重する態度を見て直感した。
これまで妻と衝突した全部の場面で、僕がただ一言、あなたがそう言うのなら、そうしよう、と言えたらなんとよかっただろう。僕は、いろいろこだわりもあるので、妙な選択やまずい選択をしたはず。それでも、そういうとき、ほとんどの場面で、妻は衝突せずに僕の決定を受け入れてくれた。引き下がってくれていたんだと、ようやくわかった。そのなかで、ただ、どうしても譲れないときにだけ、妻は僕と対決したんだと思う。つまり僕は、「負けるが勝ち」の戦いに全敗していたのかもしれん。孫の洗濯物を面倒がらずに干している息子を見て、今さらながらそれに気がついた。

それを聞きながら私は思った。Aさん、あなたの戦いの日々はまだまだ続く。この先だって「負けるが勝ち」の場面はいくらでも出てくる。願わくばぜひともかっこよく負けて、そして本当の勝利がもたらす幸福を味わってください。友人としてそう祈っています。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。