子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第8回

吹雪の中を

2024年4月26日掲載

せっかく休んでいるのに、宿題はやらんとあかんって、おかしいやん!

昔、あるところで講演したあとで、小学2年生か3年生の娘さんが不登校だという母親が手を挙げて質問してくれました。
「子どもが12月になって学校に行かなくなり、そのまま冬休みになりました。先生が冬休みの宿題を届けてくれたのに、子どもはひとつもやろうとしません。そして宿題が全然できていないのに、3学期からは学校に行くと言っています。明後日が始業式ですが、どうしたらいいかわかりません。それが聞きたくて来ました」
私の回答。
「めっちゃいいタイミングで来てくれたと思います。今日、心理学の先生の話を聞きに行くって、娘さんに伝えてあるんですね?(はい、と母親がうなずく)それはよかった。そしたらね、家に帰ったら、娘さんにぜひ、伝えてあげてほしいんです。今日、お話を聞いてきたよ。へんなおっちゃんの先生が、こう言ってたって。『せっかく休んでいるのに、宿題はやらんとあかんって、おかしいやん! そんなことさせられたら、せっかく休んでも疲れがとれへんやん。お母さんは学校の手先みたいになって、宿題をやらそうとせんでよろしい』って。『うちの子は、しんどくて休んでるから、宿題なんか出さんでください!って先生に言えるような、子どもの味方でいてください』って。『今度、先生が宿題を持ってきたら、お母ちゃんが追い返したる!ってカッコよく言うたって』って」

そのお母さんは、はじめ、とてもけわしい表情をされていました。無表情の大人の顔。先生の手先の顔。でも、本心じゃなかったんだと思いました。なぜかというと、僕が話をしていくにつれて、どんどん表情がゆるんで、笑顔も出て、子どもみたいないい顔になっていったから。あのお母さんの中にも、子どもの心が生きていて、娘につらいことを押し付けている自分の役割をどこかで疑問に感じておられたんだと思います。「ほんまに、こんなことさせんとあかんの?」と。もしかしたら、学校の先生だって、どこかでそう感じているのかもしれません。

その母親は言いました。
「ありがとうございました。家に帰って伝えなくても、実は娘もここに一緒にいるんです。(となりに座っている子どもを示して)娘はめっちゃ喜んでます」
その声は最初に質問したときと比べると、別人のように明るく、生き生きしていました。会場はどっと沸きました。

調子のいいことを言いすぎた感じは、振り返ってみると、します。でも、子どもには味方が少ないと思いませんか。宿題をやらせるほうの味方ばっかり。圧力がいっぱい。ちょっとは子どもの味方がいてもいいと思います。そういうことを言うと、「それは本当は子どもの将来のためにはならないから、味方のようでいて敵なんだ」などと言われるかもしれませんが。味方のような敵と言われたって、全然かまいません。

末っ子が家を出た

わが家のいちばん下の子(以下、Tと呼びます)は、今春、大学に進学して東京に引っ越していきました。ちょうど1年前の今ごろ、高校3年生になったのでした。3年生になっても、まったく勉強をしませんでした。それでも受験はするつもりだと言いました。私立文系コースです。親として近くで子どもの生活を見ながら、やきもきしつつ、夏になり、秋になりと時間が過ぎていきました。運動会やら文化祭やらを楽しんで、12月になりました。そのあたりで、ようやくTは共通テストの過去問を買いに行き、勉強にとりかかったようでしたが、共通テストは当然のごとく点数はとれませんでした。申し込んでいた共通テスト利用での私学受験は全滅でした。

それでも、さほどめげた様子もなく、彼は東京にある私立大学を受験することに決めて申し込みました。2月のはじめにその大学の入試が3日間連続でありました。3日とも同じ学部学科の受験です。受験生が受けやすいように3日間、どの日でも受けられる仕組みなのだと思いますが、彼は3日連続でそこを受験しました。

狸小路と豚の耳

節分の前日の夜、Tは荷物を整えて、3日間連続の受験に出発していきました。試験会場は横浜駅の近くでした。1日目の試験が終わった夜に、「どうだった?」とLINEしてみたら、「まあまあできたよ」と返ってきました。「夕食は何を食べたの?」と聞くと、「歩いて探してたら、狸小路ってところに来た。ご飯屋と思って入ったら思いっきり飲み屋だった。でも豚の耳とかをおかずにごはん食べた。うまかった」と。

都会の街を一人で歩くTの姿が想像できました。狸小路という名前もなごみます。高校3年生の1年間も楽しんで過ごしたように、彼は受験での旅も楽しんでいるのだとわかりました。自分だったらコンビニで弁当を買ってホテルで食べたでしょう。受験の前の日に真冬の街を歩きまわったりしません。そんな余裕はありません。

吹雪の中を

最後の3日目、2月5日。関東地方の天気は大荒れの予報でした。試験が終わる午後3時過ぎにLINEで「大雪らしいけど、新幹線動いてるの? 乗れそう?」と聞きました。「大丈夫」とだけ返ってきました。私は職場でスマホでニュースを見ながら、新幹線が動かないとか、長蛇の列でチケットを買えないとか、そういう状況なら、もう一泊ホテルをとったほうがいいだろうと思って探していました。「新幹線のチケット買えた?」と聞きましたが、やはり「大丈夫」とだけ返ってきました。その「大丈夫」は、なにかもう聞いてくれるな、と言っているような感じがしました。こちらが先に先にと心配して、いろいろと手配や指図をするのも、子どもの冒険を邪魔してしているような気分になってきました。それで、なにか言ってくるまで待つことにしました。

彼からはなにも連絡がきませんでした。横浜を夕方5時に出れば、京都の自宅には、8時半にはつくのですが、9時になっても10時になっても、帰ってきませんでした。そして結局、11時ごろに帰ってきました。横浜で午後3時すぎに試験が終わってから、彼は(新幹線に乗るために)新横浜に向かわず、JRで東京に向かったというのです。東京に向かい、さらに電車を乗り換えて、受験した大学のキャンパスを見にいったのだそうです。吹雪の中を歩いて、スーツケースをコロコロと引っぱって、大学付近を偵察してきたよ、と。そこで見かけたラーメン屋でラーメンも食べてきた、うまかった、と。

新幹線が止まるかもしれない、などとニュースで言ってるのに(飛行機は全便欠航でした)、「なんで逆方向にいくねん!」と思わず言いました。彼は「キャンパスを見ておくチャンスやったからな」と明るく答えました。

自分なら3日間受験したら、疲れきって早く帰ろうとするでしょう。まして吹雪で電車が無くなりそうだというのに。吹雪の中を逆に進んで、うろうろしてラーメンまで食べてくる。その価値観の違いに驚きました。その呑気さ、元気、楽観性。エネルギーの出る方向が自分とは違うのだと思いました。そして、どこか安心しました。元気がないから勉強できないのではないのだ、と。やりたいことならやるエネルギーがいくらでもあるのだ、と。

そんな受験はありなのか

結果は、初日が補欠合格、2、3日目は合格でした。ソファに寝転んで結果発表サイトをスマホでチェックしていたTが、ほどけるような笑顔になって「受かってた〜」と力の抜けた声で言いました。その姿を見るまで、私はこう思っていました。不合格だったほうがいい。きちんと1年間受験に取り組んで、もっといい成績をとって難関大学にいったほうがいい。
しかし、彼の喜びが本物であることは、その声や笑顔から、あまりに明らかでした。彼が行きたいところに行くのが大切だ、いちばんなのだと納得しました。もう親にも迷いがなくなりました。

私も妻も地方の公立高校の出身です。受験勉強を真面目にやり、難関大学に進学しました。なので、それ以外の受験のスタイルを知りません。それなりに勉強して受験をした上の子たちと比べて、末っ子Tの受験への取り組み方は心配でした。中学生になってすぐに受けた学力テストは、Tが兄弟の中でいちばん良かったのです。勉強に向いている子だと思ったので、勉強せず悪い成績をとることを、親としては本当にもったいないと思いました。

好きではない科目でもがんばって勉強していい成績をとって、少しでもいい(=偏差値の高い?)大学に入る。そうするほうが、その先の人生でより幸せになるのではないか。そういうなんとなくの方針をもって自分はこれまで生きてきたようです。育児でもなんとなくそう思ってやってきました。けれど、四男が自分で選んだ方針は違いました。やればできるかもしれないが、自分はやりたくないことはしたくない。彼の選んだそういう方針の結果が出るのは、ずっと先になるのかもしれません。もしくは、結果という考え方が、そもそもおかしいのかもしれません。
結果って、なんなのでしょうか。今、日々生きていくこと、生活していることは結果ではないのでしょうか。そういうことも親として考えた1年間でした。そして、また桜の季節になり、それが過ぎていきました。

最近の、妻とTとのLINEでのやりとりです。
 妻: 連休は新幹線、予約しないと乗れないってよ!
 妻: 帰っといでよ!
 T : ありがとう!

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。