子育てに迷う

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この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第33回

この不幸を手放したくない?

2024年11月29日掲載

好評のスタバで聞こえてきた会話シリーズです。70歳ぐらいの女性2人の話でした。ひとりの女性が話して、もうひとりのほうは相槌を打ちながら聞いておられました。話している彼女が悩んでいるのは、同居している40歳になる息子さんの結婚についてのようでした。
「まぁな、どう見てもな、すんなりおめでとうって言える相手じゃないねん」
という言葉が聞こえてきて、そこからは盗み聞きする気もないのに、すっかり聞いてしまったのでした。

話の要点としては、息子さんの相手を気に入っていないのは母親である彼女のようでした。夫は息子の相手がどんな人だろうと許してしまうということも、彼女はよくわかっているようでした。そこがまた彼女の悩みのようでした。

聞きながら僕が思ったのは、40歳の息子さんが結婚する相手に、この人はなにを求めているのだろうか、ということです。どういう人であれば、すんなり「おめでとう」と言えるのだろうかと。

結局反対するのは自分だけなんだということが、彼女はよくわかっているようでした。まだ結婚する前から、こんなに不満を持っていたら、結婚した後もいろいろ問題が起こりそうだなぁと思いました。息子が結婚するというのに、それを幸せだと感じられないのは、息子さんの相手の問題ではなく、彼女が手放せない何かゆずれない価値観のせいなのでしょう。それを手放すことができたら「すんなりおめでとう」という話になるはずです。

それでも彼女は、自分の価値観がおかしいのかもしれないとは、つゆとも思っていないようでした。おかしいのは息子や息子の相手、夫であって、自分ではない。そこは天動説のようにゆらがない。まるで自分で望んで不幸を味わい続ける覚悟をしているかのようでした。その決意表明を友人に伝えているのでした。

あえて「偏見」と書きますが、自分の偏見が自分を苦しめていることに、彼女は気がついていません。自分を支えている信念のようなものが、意識しているかしていないかにかかわらず、誰にもあるでしょう。ゆずれないもの。合理的に考えて変えたりするのは難しいもの。そういうことも、もちろんわかります。それでも、ただ今すぐに、その考えを手放すだけで、自分も、自分をとりまく人々も、みんなが幸せになるのに、それができない。まるで呪いにかかっているかのようです。なんとももったいないことだなぁと、チャイのトールサイズを飲み干して、タポタポのお腹で僕は思ったのでした。

この話を聞きながら、頭に浮かんでいたのは、先日、職場の会議中に息子さんからゼロ日婚約の電話がかかってきたAさんのことでした。後日談も書いておきましょう。「おめでとう」を皆で共有したので、その後、Aさんが息子さんと婚約者に会いに行ったという話が、また会議の後で皆に共有されました。(なにかと聞きたがる人が多いのです。)Aさんの話の中で、僕が印象に残ったのは次のようなことです。
・息子さんの相手はとても感じのいい人だったとAさんが言ったこと。自分も楽だったし、その人も楽そうだった。自分をよく見せようとしていない感じがよかった。
・その相手の人が何人きょうだいだとか、学歴とか、Aさんは聞かなかったので知らない。
・「向こうの」両親はどんな人なの?と誰かが聞いたが、その「向こうの」という言葉が、結婚は個人と個人ではなく、家と家のことですよ、という感覚があるんだなとリアルに感じた。Aさんにはそういう感じがあまりないようだ。
・息子さんは彼女の実家にあいさつに行ったりはしておらず、仕事の用事で近くに来た彼女の父親とは会ってあいさつしたという話。彼女の親も彼女から話を聞いてすぐに、へーおめでとうと言ったというその価値観の一致。
・息子さんから「俺、苗字変えてもいいかな」と言われて、Aさんは「もちろんいいよ」と即答したという話。「夫はどうなの?」と聞かれて、「そんなん気にする人ちゃうねん」とAさんが言ったこと。

スタバで自分の不幸をなげいていた女性と比べて、Aさんには偏見が少ない。その偏見の少なさがAさんや息子さん、その相手の人も楽にしている、幸せにしていると思いました。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。