子育てに迷う

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この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第42回

親への感謝

2025年2月21日掲載

あるお母さんからの相談でした。小学3年生の息子さんは毎日楽しく暮らしているそうです。ドッジボールをするために生きているような子だと言います。お母さんは、2つ上のお姉ちゃんのときには、時短勤務にして、子どもが帰ってくるときは家にいるようにしていたそうです。わりと繊細な子だったので。けれど、下の男の子は元気で友だちも多い。2人目ということもあって、自分もなれた。それで、もう時短勤務を選ばなかったそうです。弟くんには学童にも目一杯行ってもらって、6時に帰ってきているそうです。

そのお母さんの悩みというのは、「下の男の子が手のかからない性質なのをいいことに、自分は親として、充分、愛情を注いでこなかったのではないか」というものでした。息子はもう小さい子どもじゃなくなってしまう。膝の上にのってきたりはしなくなる。少年になっていってしまう。体に触れたりすることもなくなる。下の子には、上の子のようには愛情をかけられなかった。これで自分と息子との間に、しっかりした絆ができたといえるのだろうか。それが彼女の悩みでした。

僕は尋ねてみました。
「息子さんは、家でよく笑っているんでしょう?」
彼女曰く、
「それはもう、いっつも笑っています」
「ごはんも喜んで食べるんでしょう?」
「はい。私は料理は得意じゃないけれど、彼はどんな食べ物でも喜んで食べてくれます。たとえば昨晩も。夫は体重を気にしていて、炭水化物をとらないんですが、ちょうど昨晩は夫が留守でした。夫のいない夕食はなにも気にせずに作るんです。まぁ言えば手抜きなんですが、昨晩はミートソースのスパゲティにしました。ジャジャーン!ミートソーススパだよ!なんて言って出したら、わーい!と大喜びですごくたくさん食べていました」
そういうのが最高なんですよ、と僕は言いました。そうやって大好きな食べ物をリラックスして楽しく食べる時間と空間。それが絆です。家はよいところだという体験です。何の心配もないですね。それでも、子どもが大きくなっていってしまうことは、親にとっては本当に寂しいことなんだなぁと、しみじみ感じた話でした。

また別の親から聞いた話です。あるお父さんは、息子さんの野球のクラブのコーチとして手伝いをずっとしていたそうです。息子さんはがんばって6年生ではキャプテンをしていた。卒団式のときに、みんな並んで一人一人、思ったことを言う場面があるそうです。ずっと練習の服を洗ってくれてありがとうとか、試合のときにいつもお弁当作ってくれてありがとうとか、お父さんやお母さんへのお礼を言う子が多かったそうです。そして、最後にキャプテンのその男の子が話をしたそうです。なんて言ってくれるかなぁとお父さんは緊張して聞いていた。

「最後の大事な試合でヒットが打ててよかった。本当は勝ちたかったけれど、負けてしまった。でも、みんながまとまってとてもいい試合ができた。自分はこのチームで野球ができてよかった」
彼が言ったのは、それだけだったそうです。聞いていたみんなからはひときわ大きな拍手があったそうです。ただ、そのお父さんとしては、ほかの親よりもずっと多くの時間関わって、コーチも審判もやってきたのに、自分に向けての言葉がなかったから、少しがっかりしたかなぁ、という気分だったそうです。

先ほどの、息子さんとの絆のことを心配しているお母さんと似たことを、この話からも感じました。このキャプテンの男の子は、お父さんの自分への愛情を、空気のように受け取ってくれていたのでしょう。口に出して言うまでもないこと。本当に当たり前のこと。それはすごく素敵なことです。自分への感謝の言葉がなかったことを、このお父さんは、誇りに思ったらいいと思います。本当の子どもへの愛情ってこういうものだという、見本のような話だと思いました。

もうひとつ。先日、40年来の友人と会って話す機会がありました。彼女はドクターで、もうお孫さんがいます。その彼女が最近ようやくあることに気がついたと言うのです。自分は、旅行に行っても学会に行っても、いつも母親に何のお土産を買って帰ろうか、それだけを気にしている。それはおかしいことだと、不思議なことだと、ようやく気づいたということでした。もしも自分の娘や息子が、遠くに出かけたとき、親に何を買って帰ろうかと気にしているとしたら、それは親としてなんと不幸なことだろうと思ったと言うのです。それで、最近は遠くに出かけたときは、お土産は、親のために買うのではなく自分のために買うようにしている、と彼女は言いました。
「もう60歳になっちゃったけど、気がつくのに遅いことなんてないよね?」と彼女は言いました。これも先のふたつの話に関係する話だと思うので、ここに書きました。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。