自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
これだってすごくジェンダーな状況だよ!
カウンセリングで、今でもときどきこういうことを聞かれる。
「それは男の子だからではないですか? 女の子の場合にはどうしたらいいですか?」という、育児の方法に「性差」をつけようとする質問。ジェンダー・ギャップが先進国で最悪である日本の、ひとつの断面なのだと感じる。
いまだに、私の本を読んでくれた患者さんから、こんなことを言われることがある。
「田中先生は、息子さんばかりなんですね。もし女の子が生まれてたら、すごくかわいがったでしょうね」
なんて無防備な性差別発言だろうと思うけれど、ジェンダーなどの概念がなかったころの世代の人たちなので、悪気はなく言っていることもよくわかる。「いえ、男の子でも女の子でも、同じようにかわいがったと思いますよ」ぐらいでおとなしく流すけれど、男女で育て方を区別して育てられた子どもたちは、しんどかったろうと思う。そして昭和の時代に徳島の田舎で育てられた自分もまさにその一人である。
社会学者の品田知美さんは、著書『「母と息子」の日本論』のなかで、次のように書いている。
それにしても、子育て中、息子がかわいくてしょうがない、というセリフを何度聞いたことでしょう。正直にいって私はよくわかりませんでした。息子であろうが、娘であろうが、かわいいという感情に違いはなかったからです。繰り返し母親たちからそんなセリフを聞かされるうち、この“息子愛”には現代日本の少子化ぶりという謎を解く、重大な鍵が隠されているんじゃないか、と思い始めました。性差を意識した子育ての意図せざる結果が、男女のミスマッチをもたらすのではないか、と。
『「母と息子」の日本論』(品田知美 著)19-20ページ
母親たちがいうには「男の子って、手がかかるよね」「ちっともしっかりしない」「いつまでたっても幼い」。だからかわいいというのです。それは、因果関係が逆で、母親がいつまでも息子に手をかけすぎるから、子どもは自立しないのではないでしょうか。幼いときの発達に性差が見出されることはもちろんあります。でも、人は子どもが生まれ落ちた瞬間から性差を意識した子育てをする傾向があることもよく知られています。見出される性差が遺伝的なものなのか、現在注目されつつあるエピジェネティクスなものなのか、周囲の働きかけによる環境的なものなのか弁別することは容易ではありません。それにしても、巷の本屋を見ても「男の子/女の子」を区別した育児本は相変わらず並んでいますし、性差を意識して親は子育てをしているという研究結果も多数あります。日頃から性差別に敏感なはずの大卒キャリア女性たちでさえ、「男の子は、これだから困る」とちょっぴりうれしそうに語ります。性差を意識した子育てをしていることに、気づいていないのでしょう。
男の子も女の子も育てた品田さんの考えが述べられている。
私も、遊びサークルを通してたくさんの子どもたちと15年関わってきた経験や、多くのクライエントに出会ってきた経験から、心理的なことは、性別の差よりも個人の差のほうがはるかに大きいと感じている。そして、女性だから、とか、男性だから、と役割を押し付けられることによって、いろいろな苦しみを受けてきている人にも、もちろんたくさん出会う。
数年前、弟の長女(Aちゃん)は大学でジェンダー問題専門家のゼミに属し、そういう卒論を書いていた。そのころの正月、徳島の実家で私の家族や弟一家も集まって、飲みながら話をしていたときのこと。弟や僕が、Aちゃんの話に、知ったかぶりで応答していた。話の流れは忘れたが、そのとき彼女にずばりと指摘されたこの一言をとてもよく覚えている。
「おじさん、そういうけどさぁ、今のこの状況だって、すごくジェンダー的な状況なんだよ!」
そう言って彼女は部屋を見回した。僕と弟は居間の奥のほうに座ってビールを飲んでいる。妻と弟の奥さんは、台所で料理を作りながら立って話に参加していた。予期していないところで足払いをかけられたようで、今、こうして書きながら思い出しても、めまいがしそうである。自宅で友人が来て飲み会をしているような場合は、気をつけているつもりなのだが、母の亡霊のいるところ、つまり実家では、まったく油断して座り込み、出されたものを飲み食いしていたのだった。
姪のAちゃんから、そう言ってもらえたことに、彼女の信頼も感じる。私や弟(つまり父親)は、言われたらわかる人たちだろうと思ってもらえたわけである。
自分に与えられたいくつもの忠告は、イメージ、それが発せられたときの光景として記憶の中にあって、その後の自分の人生を支えている。Aちゃんのこの言葉もそのひとつです。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
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第26回ごはん一杯おかわりするならゲーム15分
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第27回理由も聞かずに味方になる
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第28回いわゆるゼロ日婚約の知らせ
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第29回子どもを叱るとき暴力はダメ
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第30回「豚の珍味出てる」というLINE
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第31回ゼッケンは毎年、つけ替えること
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。