子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第1回

小言を言わないということ

2023年12月8日掲載

はじめに自己紹介をします。

もともと私は、脳や心の研究をするつもりでした。医学部を卒業後、初期研修を受けたあと、文学部の大学院(心理学専攻)に所属して認知心理学の研究をしました。相手の気持ちが分かるのは脳のどこがどのように働いているのか、などが研究テーマでした。大学院を出て、福井県に新設された大学・大学院の教員になりました。同時に、奈良市内の小さな診療所でも非常勤で働いており、それは今も続いています。

大学・大学院では、認知心理学や脳科学を教えていましたが、そこでカウンセリング(や臨床心理学)に出会いました。やがて臨床心理士の資格をとり、カウンセラーの仕事もするようになりました。

家庭では共働きの妻と協力して4人の男の子を育てました。上の3人は成人して家を離れています。京都府の南部に住んでいますが、私の実家は徳島、妻は広島です。育児では、たとえば子どもが熱を出して保育園に行かれないとなっても、どちらも親の応援は頼めない状況でした。そのため当然のことながら私も妻もたいへんなやりくりをしながら子育てをしました。もちろん妻の負担のほうが大きかったのですが。

また、地域の子どもたちの遊びサークルを15年ほど主催しました。近所の小学校の体育館を借りて、週1回平日の夜に、フットサル、ときには鬼ごっこやキックベースなどなんでも適当に遊ぶサークル活動です。子どもに関する私の知識の多くは、この遊びサークルで出会った子どもたちやその保護者との付き合いから得られたものです。というのも、サークルにはいろいろな子どもが参加しており、リラックスした状態でいろいろな話をしてくれます。子ども同士はよくトラブルを起こしますし、発達の偏りのある子もたくさんいます。わが家の子どもたちにもいろいろな発達の偏りがありました。そして、保護者からもいろいろな悩みの相談を受けました。

大学は2010年に退職して、その後は診療所での仕事に専念するようになりましたが、育児のいろいろな問題についてのカウンセリングは続けています。

このたび、ここで連載をする機会をいただきました。不登校や子どもとのコミュニケーションの問題など、また、日常の臨床場面で感じたことなど、書いていくつもりです。

小言を言わないという方針

最初ですので、小言を言わないこと、について書いておきます。小言を言わないことは、私がカウンセリングで軸としている方針のひとつです。ほかの方針としては「子どもにとっていちばん大事なのは、家でリラックスすること」というのもあります。小言を言われてはリラックスできないので、これらはたがいに関係があることになります。

小言を言わないこと、は、子どものそのままの姿を受け入れるというメッセージになります。小言は相手の気に入らないところを指摘する言葉です。アドバイスというと少し前向きな印象になりますが、やはり、「今のあなたは、ここがよくない。ここが足りない。だから、それを直すともっとよくなるよ」というメッセージです。

自分が子どもだったときのことを思い出せばよくわかると思います。たとえば、家庭科の授業で、手さげ袋を縫った。自分としては、かなりうまくできて先生にも褒められた。それを持って帰って親に見せた。すると、「あら、よくできたわね。でも、ここがちょっと残念だったね。ほら、模様がズレちゃってるでしょ。今度は、こうやったらもっとよくなるよ…」というような言葉に、がっかりしたことはないでしょうか。

親としては、悪気はないのです。親から見れば、子どものやることには、いろいろと足りないところがあるのは当たり前です。そして、少しでも上達・成長してほしいと子どものためを思って、どうすればもっとよくなるかを親は伝えようとします。それはもしかしたらその先の子どもの人生で役立つ場合があるかもしれません。

しかし、子どもからしたら、できていないところを指摘されて、「そのままではダメだよ」と言われた気分になるでしょう。自分としては、うまくできた。先生から褒められてうれしかった。だからそれを大好きな親に話した。一緒に喜んでほしいのです。親からの、「話してくれて、見せてくれて、ありがとう」という反応こそ、子どもの望んでいることでしょう。

小言を言ってはいけないのですか?という質問

このように講演で話すと、では子どもに小言は一切言ってはいけないのですか? アドバイスもダメなんですか? そんなことでは、子どもは何も成長しないのではないですか? 親としての役割、子どもを導き育てる役割を放棄していることになりませんか? などのコメントを必ずもらいます。

小言やアドバイスを言ってはいけないというつもりはありません。残念ながら、ここがうまく伝わらないことが多いと感じます。アドバイスをして子どもを伸ばしてやりたいと思うのは、親として当然です。それは親の大事な務めでもあるでしょうし、喜びでもあるでしょう。そこに異論はありません。ここで述べたいのは、小言を言わないことには前向きな意味がある、ということです。

指摘すべき問題があるのに言わないのは、子どもを放置していることになるのではないか、親としてすべきことをやっていないのではないか、というような不安を持つ人がいます。自分では意識せずに、次から次へとアドバイスを与えている親の中には、自分のアドバイスは、子どもの幸せに役に立つ、しっかり届ければ届けるほど良い、ということを疑っていない人があります。

そのような人にこそ、小言を言わないことには実はメリットがあるということを伝えたいのです。小言を言われずに家庭でリラックスして過ごせることは、子どもの幸福ですし、子どもが幸福であることは、親も幸せにします。これは、とくに費用もかからない、それでいて効果のある「幸福をもたらす」方法です。

今までなぜあんなに小言を言っていたのだろう

小言を意識してやめてみると、多くの親は、これまで自分はなんと多くの小言を言っていたのか…と気がつき驚きます。そして、自分の注意は子どもの至らないところにばかりに向いていたんだな、ということにも気がついていきます。言葉はよくないですが、いわば、あら探しの訓練をしてきたようなものです。そこを、意識して抑えてみる。それは小言依存症からの離脱を目指すものです。

小言依存から脱することができると、今まで見えていなかった子どもの部分が見えてきます。たとえば、子どもがどう考えて行動しているのかを発見できることもあるでしょう。それまでは子どもの考えが理解できず、ただ無意味な行動をしているように親には見えており、小言を言ってしまっていたかもしれません。でも、実はその小言は必要がなかったのだ、というようなことに気がつく。そういうことも起こってくるでしょう。

小言を控えることを心がけて、うまくできるようになってくると、親にも心の余裕が生まれます。この点こそが、小言を控えることにチャレンジすることの、最も大きなメリットです。子どもが(親から見ると)きちんとできていないところ、そこばかりに着目した状態から脱出できるのです。

すると、子どもが何を考えているのか、どう思っているのか、それがわかってきます。楽しみに見守ることができる状態に変わってきます。もちろん気分も楽になります。そうして、親の表情や声がやわらかく、やさしくなるので、今度は子どもももっとリラックスしてきます。もっと親に話しかけたいという思いもでてきます。家全体のコミュニケーションが以前よりも楽しい、温かいものに変わっていきます。

小言を控えることに挑戦してみた親が、よく口にするのは次のような言葉です。
「うちの子は、私が思っていたよりも、ずっとしっかりしているんだとわかりました」
「子どもが話してくれているのを、さえぎらずに聞いていたら、ふと昔の自分を思い出しました。そういえば、こうやって私も親に話していたなぁって。何十年ぶりかで、思い出しました。」
「いろいろとうるさく言ってきたけれど、どれも必要なかったんだなとわかりました。あんなふうに小言ばかり言われて、あの子はつらかっただろうなと思います。それなのに、私のことを好きだと言ってくれます。幸せなことだと思います。」

一日だけでも挑戦してみてください。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。