子育てに迷う

もくじ
この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第48回

母さんも、いつもありがとうな

2025年5月23日掲載

育児の講演をときどきやります。そこでは毎回、「制服を片付ける話」というネタを話します。まだ子どもが家にいて、それぞれ学校に通っていた頃。僕が仕事から帰ると、玄関にランドセルや、制服が散らかっていました。その写真をスライドで紹介しながら話します。仕事から帰って、玄関や居間に制服が落ちていたら、僕が拾って片付ける。それをずっと10年以上、毎日続けました。このことで、子どもを叱らないと決心したからです。決心した日から、末っ子が出ていくまで、ずっとそうしていました。

僕もはじめは「自分で洗濯機に入れて」とか、「カバンは自分の部屋に持っていって」など、毎回注意をしていました。きつく言ったこともありました。でも、何日かはいいのですが、また元通りになってしまいます。

わが家の子育ての方針の中で一番大切なことは、子どもは家でリラックスして過ごすこと、これです。同じ小言を毎回言われていてはリラックスできません。言うほうだって、腹が立つし疲れます。なので、これはもう言うまい、落ちている制服は自分が拾う、と決心したのです。ここは妻と意見が分かれたところでした。最終的に彼女は、「それでいいけど、自分はやらないから。もしそうしたいのなら、あなたが自分でやってね」と言いました。

小言を言わないと決めてしまったら、腹は立たなくなりました。面倒なだけです。帰って、2〜3分、靴下を洗濯機に入れたり、ランドセルを玄関脇の壁のフックにかけたり。

つくづく見ると、ランドセルの角度は、置かれているというよりも、まさに投げ出された感じで、暑い日、家にたどり着いてほっとした子どもの気分が、伝わってくる気がします。制服のズボンも、脱いだままの裏返し。そこに手を入れてもどします。汗で湿っていたり、草や泥がついていたり。子どもの分身みたいなものですね。

この点に関しては、本への感想や講演のあとの質疑応答などでも、もっとも多く批判をもらう箇所のひとつです。

「それでは子どもはいつまでたっても、自分で片付けられるようにならないではないか」
「生きていく上で大事な習慣を身につけさせるのも、子育ての大事な要素でしょう」
「リラックスすることが大事と言うけれど、それでは親がリラックスできないじゃないですか」

そういう質問は必ず出ます。もちろん、私だって、そういうことが大切なことはわかっています。それらがわかった上で、最後はどちらを優先するか、という問題なんです。私だって、片付けができる子どもにもなってほしいし、親がしんどいということを気遣える子どもになってほしい。
それでも、子育てにおいて、暮らしの中で最優先することを「子どもが家でリラックスして過ごせること」に決めたので、制服を片付けるよう小言を言い続けることはやめると決めたのです。決めることのよいところは、迷ったり悩んだりしなくなる点です。注意するかどうか、悩まなくて済む。面倒なだけで腹は立ちません。

しつこく書きますが、制服を片付けるのは、そうしておけば、やがていつかは子どもが自分で片付けられるようになるだろうと思って、しんぼうしてやるのではないのです。いつまで脱ぎ散らかされても構わないんです。子どもが家でリラックスして過ごせることを最優先するために、同じ小言を繰り返すことをやめたのです。

ある中学校で、保護者対象の子育ての講演をしに行ったときのことです。講演のあとで、ある人が(その人はその学校の先生だったのですが)、コメントしてくれました。

「たくさん見せていただいたスライドの中で、脱ぎ捨てられたズボンと放り出されたランドセルの写真が、一番衝撃的でした。それを先生が毎日片付けているということが。私には、ありえない。受け入れがたいことです。わが家では、この問題で毎日のように小学5年生の息子とバトルになっています。自分で脱いだものは自分で洗濯かごに入れる。これは絶対私がゆずれないところなんです。廊下に靴下が落ちていて、もう子どもは寝ていたのですが、起こして拾わせて洗濯機に入れさせたこともあります。そこまでやってても、毎日のように制服や靴下が床に落ちています。
今日、先生の話を聞いて、このことがいかに自分のストレスになっていたか気がつきました。自分も、子どもも、これだけ苦しむのだったら、もう子どもに期待せず、私が自分でやってしまったらいいんじゃないかという気にもちょっとなりました。なんせ、もう数年間、これで苦しみ続けてきましたので。まあ、1か月や2か月ぐらいだったら心を鬼にしてやれるような気もします」

とてもうれしいコメントでした。
「もしも継続できても、できなくても、どういうことが起こったか、そういうふうに決めてやってみて、あなたはどういう気分になったか、ぜひメールで知らせてください」と私はその人にお願いしました。それからわずか1週間ほどで、その人からメールが来ました。それは以下のような内容でした。

ーメールー
「制服を片付けなさいと言うのをやめました。うそのようにおだやかに過ごしています。昨日、 夕方家に帰ったら、ストーブがついていました。灯油は買ってありましたが、切れていたんです。まだ入れてませんでした。それが入れてあったんです。子ども部屋から、声がしました。『おかえり。ストーブの石油、入れといたよ』と。それははじめてのことでした。息子が灯油を入れられることさえ、私は知りませんでした。私は思わず『ありがとう』と言いました。そうしたら 息子も『母さんも、いつもありがとうな』と言いました。息子から、ありがとうって言われたのは、最近、いや、もしかしたら数年、記憶にないように思います。とにかく、これは先生にお知らせしないといけないと思い。メールした次第です」
(ここまで)

この話、”子どもを信じること”っぽいエピソードで、毎回講演で紹介しています。私は、この話は、「親が制服を片付けてあげたら、お返しに灯油を入れてくれるよ」というような、話ではないと思います。
自分がほったらかした制服やランドセルが、魔法で片付いているとは、子どもは思っていません。それは、ご飯ができるのも、服が洗濯できているのも、同じです。魔法でそれがなされているなどと思っていないのです。自分のために親がやってくれているということ、小さい子どもでもよくよくわかっているのです。

母さんも、いつもありがとうな。

そう思っている。わかっている。お母さんが、仕事から疲れて帰って、今までみたいに怒らずに、黙って制服を拾ってくれている。そして幸せそうにしている。これもとても大事だと思います。そういう親の姿は、「あなたはここにいていい」「あなたがここにいてくれることが、私はうれしい」という強いメッセージを、子どもに送るでしょう。

そういうしっかりとした揺らがないメッセージを送り続ける。それはどんな言葉よりもおそらく強い。そのメッセージは、子どもが大人になってもずっと心に留まって支え続けてくれるものになるでしょう。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。