子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第10回

鼻クソを拭かせてください

2024年5月31日掲載

長く飼っていた犬が、先日ようやく亡くなった。水を飲まなくなってからも1週間以上生きていた。寝返りができなくなってからは、目の下になっている方に目ヤニが溜まった。それを拭き取ってやろうとすると、はじめは犬は嫌がって顔を背ける動きをしていたが、次第にその動きすら出なくなっていった。それでやがて亡くなるのだなとこちらもわかった。

目ヤニを取ってやりたくなるのは人間の気持ちである。「取ってやる」と言うと、犬のためのように聞こえるが、犬にしてみたら不快なことだったろう。動けなくなって死に向かいつつある犬を、目ヤニがついたままにしておくのは、しのびないという飼い主の気持ちである。花を飾って埋葬したが、花も犬のためというより、飼い主の気持ちのためである。

犬が亡くなって数日後のこと。電車に乗っていたときのこと。となりに2歳ぐらいの男の子と若い父親が座っていた。男の子はスマホを両手で持って動画におとなしく見入っていた。父親はその男の子の鼻をハンカチで拭こうとしており、男の子は首を振って抵抗していた。スマホを両手で持っているので、手は使わない。男の子の顔を盗み見てみたら、たしかに(親が取りたくなるような)立派な黄緑色の鼻クソが両方の鼻の穴をふさぐほどにはりついていた。父と子は何度かバトルを繰り返しつつ、最後はうまく拭き取れたようだったが、子どもはスマホを見るのもやめて大泣きになった。「やめてって言ってるのに〜!!」と。

自分も子どもがこのぐらいのころに、こういう場面で、子どもが鼻をほじるのを、ときにそれを食べたりするのを、いろいろな思いを持ちながら止めたり、眺めたり、笑ったりしたのを思い出した。

こういうこともあった。日課である夕方のウォーキングである美容室の前を通った。窓から見えるソファに、中学生ぐらいの男の子と母親らしき女性が並んで座っていた。母親は子どもの髪に触れながら、おそらくは「どのような髪型にしてほしい?」とか、もしくは、向かい側に座っている美容師さんに「この子にはどういう髪型がいいだろうか」などと相談しているようだった。子どもはうつむいてスマホを操作していた。この日は、別の美容室でも同じ組み合わせの3人を見たが、やはり男の子はスマホをじっと見つめていた。これもどこか、電車の中で鼻を拭いていた親子のケースと類似のテーマが含まれている現象だと感じた。

最後に。先週日曜日に、東京に日帰りの用事があった。朝早くに京都の自宅を出た。用事は昼には片づく予定であった。その後に、春から大学生になり一人暮らしを始めた末っ子に会って、一緒に昼食をとる予定だった。用事が少し長引いて、子どものところに着いたのは午後2時ぐらいになってしまった。彼は食事をせずに待っていてくれた。おいしいラーメン屋があるが、早く行かないと昼の時間は終わってしまうと彼は言った。私も腹が減っていたが、トイレの隅や、廊下や部屋の隅にホコリや髪の毛がふわっとしたカタマリになって溜まっているのが気になってしまった。「ちょっとだけ掃除させて」と言って送った荷物の中に入っていたはずのクイックルワイパーのありかを尋ねると、まだ開封されていなかった。急いで包装をあけて紙をセットしてトイレや部屋の床を掃除した。ほんの2~3分のことであるが、子どもは少なくとも私に感謝している表情ではなかった。その後で、目指すラーメン屋に行き間に合っておいしいラーメンを食べることができた。

ラーメンを食べながら、自分が大学生のころ京都で下宿していたときのことを思い出していた。徳島から両親がたまに京都に遊びに来る。まだ明石の橋はかかっておらず、5~6時間かかっていたはずである。疲れているであろうに、到着すると母親はすぐに、布団のカバーをはずし、シーツと一緒に洗濯機に入れて洗う。そして持ってきた雑巾などで部屋の床や、ユニットバスの掃除をはじめる。疲れてるだろうし、お腹も空いてるだろうから、食事に行こうと私はいつも言ったと思う。しかし、母親はまずは掃除が先であった。あとで干さねばならないし、カバーをつけるのも面倒だ。私は不満に感じていたと思う。覚えていないけれど。今、親になって同じことが気になって同じことをしている自分に気がつく。親ってこんなものですよね。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。