自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
徳島で一番の蕎麦
私の母は数年前に亡くなり、実家では80代の父が一人で暮らしている。父は5年前に癌の手術を受けた。その後もときどき体調を崩す。最近も胆管炎で2週間ほど入院して治療を受けた。退院したばかりの父を連れて、私は実家の近くのレストランに行った。釜飯などがおいしいといわれている、昔から家族でよく通った店だ。
鯛釜飯と蕎麦のセットが届くと父は、「ああ、うれしいな」と声に出して箸を手に取った。入院中の数日間、絶食せねばならなかったそうで、「腹ペコでつらかった。ここでこのランチを食べることを夢にまで見たよ」などと言う。(すこし大袈裟な人なのです。)
蕎麦を食べながら、「徳島の蕎麦ランキングとかって、この前、徳島新聞に記事が出てたけど、僕はここのが一番おいしいと思うんよ」と断固として言う。しかし、この店の蕎麦は、どうひいきめに言っても普通の蕎麦であって、店の自家製でさえない。
「いや、これまったく普通の蕎麦やと思うけど……」と、今までなら言うところなのだが、夢にまで見たというランチセットを食べている姿に、まあ、よかったね、ぐらいにしておいた。食べる場所や、一緒に食べる、ということも味の良し悪しには大事な要素なのだろうし。たとえ食べ比べの投票結果など、どんなデータを示されても、父の思い(ここの蕎麦が徳島で一番うまい)は揺るがないどころか、かえって強くなるのだと私は思った。何を言われても「それがどしてん」という感じの人なので。
その日、徳島から運転して帰ってくる途中、その蕎麦の場面を思い出しながら、気がついた。父はいろいろなそういう思い込み、偏見、えこひいきの強い人だった。自分はその害をいろいろ受けてきたと思っていた。父親のそういう偏見の多い性格を好きではなかった。しかし、ある意味では恩恵もあったな、と思ったのだ。
父は、いつも僕や弟のことを 茂樹が一番、康人が一番、と言ってくれていた。そう思い込んでいた。そのえこひいきは、どんなことがあっても揺らがなかった。試合に負けても。レギュラーになれなくても。試験に落ちたとしても。先生に叱られたと聞いても。結果がどうであれ、父の思い込みは揺らがなかった。絶対に子どもたちの味方だった。
痩せて年老いて、ランチの蕎麦セットの普通の蕎麦を、「徳島で一番おいしい蕎麦だ」とベタ褒めしながら、しみじみ食べる父の姿を思い出して、自分や弟もあの蕎麦だったなぁ、と気がついた。
お父さん、あなたから遠く離れた街に住んで、僕たちはそれぞれに徳島で一番の蕎麦として今日も頑張って生きてます。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。