子育てに迷う

この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第12回

迷ったり悩んだりするあなたを信じます

2024年6月28日掲載

両親が医師である家庭の男の子。小さいころから優等生で、有名な中高一貫校に合格し、通っていた。両親の自慢の子だったが、高校生になってから次第に彼は学校に行きづらくなった。元気がなくなり成績も下がっていった。なんとか卒業はしたが、自分で選んだ予備校に通うこともやめてしまった。母親から相談を受けて、私はいつものように「息子さんが家でリラックスして過ごせることを目標にするのがいいと思う」と伝えた。

ー母親からのメールー
〇〇はアルバイトをいくつも申し込み、いくつか面接を受け始めました。やることがなくて暇だから何かやってみたい、お金を貯めて旅行や友人を訪ねたいなど考えているようです。何かしらやってみたいことが出てきたのはうれしいなと思って話を聞いています。多岐にわたる職種の面接を申し込んでいて、驚いております。夫は、相変わらず「いつから勉強始めるの?」「間に合わないよー」などと言っていますが、(そういう声掛けに)効果がないことは実感しているようです。

ー私からのメールー
〇〇くん、いろいろな仕事を経験することになりそうですね。まさにそういうこと、本人にとって必要なことを、いくら親がしてもらいたいと思っても、本人が動かなければ、できません。しかし、彼は自分からそれをやろうとしている。
働けば、いろんな人とも会うでしょう。嫌なこともあり、意外なこともあり、面白い人にも会うでしょう。書くまでもないことですが、社会を知る「勉強」ですよね。

>夫は、相変わらず「いつから勉強始めるの?」「間に合わないよー」などと言っていますが、

生きていくうえで本当に大事な「勉強」に、彼は自分から取り組み始めていると言えますね。自分に必要なことを見つけ出して、そちらに自分から進んでいくことができる。彼はたくましくて健全だと思います。
将来、彼が医師になるかどうかも、まったくわかりませんが、私はこう思います。ずっとエリートコースをまっすぐに来て世界にそういう触れ方しかしていない人。途中でいろいろと進路に迷って、医師ではない立場でいろいろな人々や世界に触れた人。あなたがもしも患者さんの立場であるとしたら、どちらの医師にかかりたいですか? 僕なら間違いなく後者のドクターを頼りにすると思います。
同じように、子どもが有名校から医学部一直線で何の悩みもない(ように見える)親と、子どもの問題(と見えること)でいろいろと悩みながら育児をしている親と。その親が医師であるならば、そして自分が患者であれば、どちらの医師をより信頼するでしょうか。こういう考え方も面白いと思いませんか。
このやりとり、脚色して原稿に書かせていただけませんでしょうか。(もちろん、断っていただいても全然かまいません。)
親に言われなくても、子どもは、今の自分に本当に必要なものを求めて自分から動き出すということの実例として、同じ悩みの中にある多くの親の支えになると思いますので、紹介したいと思いまして。

ー母親からのメールー
もちろん書いていただいて、大丈夫です。〇〇は、近所のフレンチレストラン(ウェディングもあるところ)と、子ども水泳教室のコーチ補助をやってみるそうです。ほかにもいくつか面接を受けるようです。
「面接では何て話したらいいかな?」と聞かれたので、「近所だしアルバイトをしてみたいから、くらいでいいんじゃないの?」と私は答えました。それでも、本人なりにまともな返答を考えて答えたようです。
今日もふたつ面接を受けていました。そのうちひとつは老人施設の調理手伝い?というもので、盛りつけなどを手伝ったりするようです。そこに面接に行ってみたら雰囲気がよかったので、行ってみることにしたと言っています。人の温かさを感じたのであれば、うれしいなと思います。
先生のおっしゃるように、いろいろな経験をするでしょうね。すぐにやめるかもしれません。嫌なことや合わないことをやめる経験も貴重だなと思って聞いています。いろいろ申し込んでいる息子をそばで見ていて、知らないところに飛び込んでいける楽観的な面もあるのだな、と初めて気がつきました。私たちとは違う人間なんだな、とも感じます。これが「子どもが動き出すのを楽しみに見てる」という感じなのかなと思いながら、子どもが話してくれるのを聞いていました。

(メールはここまで)

どうやって子どもに勉強をさせようか、どうやったら予備校にちゃんと通えるようになるのか。そういうことばかり心配していた母親が、子どもがすることを楽しみに見守る姿勢に変わってきています。それは、子どもの持つエネルギーが湧き出してきているのを、親として間近で感じられているからなのでしょう。

なぜ勉強をしないのか、と父親に聞かれて、「何をしていいのかわからない。人生でこの先やりたいことが見つからない。生きている意味がわからない」と息子さんは答えたそうです。その彼が、働きたいと動き出している。アルバイト先も、お金が欲しいだけでやみくもに選んでいるのではないように思えます。なにかとても上手にバランスが取れているようです。

これまで、学校の友人や先生、家族という狭い世界しか知らなかった若者が、レストランに来るお客さん、水泳教室の子どもたちやその保護者、施設で暮らす高齢者やその家族など、多彩な人たちと触れ合っていく。ひとつに尖っている形の栄養価のグラフが、丸く広がっていくような、そんなイメージを私はもちます。たとえ、少しの期間でやめることになったとしても、それまでの彼に見えていたこの世界の、社会のイメージは大きく変わることでしょう。予備校に戻って勉強するためや、大学に合格するためではなく、この世界でこれからも生きていきたいと思えるために役に立つこと。それを、彼は自分から選んで動き出したのだと私は思いました。

著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。