自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
「8050問題」という言葉。働かずに家にいる子どもの世話をしている親が80代になり、50代になった子どもの世話をすることが困難になっているという意味で使われている。このごろ9060問題というのも聞くようになった。
この問題の深刻さはもちろんあるし、臨床で多くの患者さん家族に私も関わっている。しかし、なかには、イメージの中で苦しんではいるが、実際には子どもとの暮らしから幸せを受けとっている親もたくさんいる。意外な視点に思われるかもしれないが、それを書いてみたい。
要点を先に書いておくと、40代、50代で家にいる子ども(多くは息子)との暮らしの先行きを心配し嘆きながらも、今の暮らしの中では、子どもが一緒にいてくれることで、いろいろなメリットを受けている親はかなりいる。
たとえば、自分で運転ができる人でも、荷物が多かったり、暗くて危ない夜などには、子どもに運転してもらえると助かる。インターネットの設定や家電の買い替えなどは、すっかり子どもに頼っていたりする。
逆に、世間から見たら「立派な」子どもたちを育てたと思われている、自分でもそう思っている親であっても、今の暮らしではいろいろと困っている人もいる。子どもたちは親元を離れて都会で暮らしていて、親と会うのは年に数日ぐらい。親は毎日の生活、買い物や家事や、入院のときなども、自慢の子どもたちを頼りにはできない。イメージの中では子育ては成功したと思っているけれど(そして実際そうなのだろうけれど)、今の暮らしはなかなかきびしく、寂しいという親もいる。
知人女性(70代)がキャンプに行ってきたという。キャンプブームなので、めずらしくない話だが、彼女やその夫は、ちょっとキャンプには行きそうにない人たちなので、「なぜまた急に?」とたずねた。すると「同居している息子に誘われて」とのことだった。
「お父さん、お母さん、キャンプに行きませんか?」と切り出されたとのこと。息子さんは大学を出たあと企業に就職したが、合わなかったようで、やがて退職。その後はアルバイトをしながら暮らしている。今、30代後半。のんびりしたいい感じの人である。友だちにいたら気持ちが癒されるような、すこし(だいぶ、かな)天然の。いつもほがらかな、マイペースの人。ぎすぎすした会社の空気にはたしかに合いそうにない。関西育ちなのにアクセントは標準語で、両親とも敬語で話す。父親もとても感じが似ていて穏やかな人。メーカー企業の研究職をしていて退職された。鉄道の写真を撮るのが趣味の、理系な感じの人である。
母親である彼女は、いつも息子さんのことを嘆いている。よくある典型的な嘆きです。いつになったら、息子は「ちゃんと」就職するのか。いつになったら「嫁さん」をもらうのか。孫の顔を自分たちは見ることができないのか。そして、息子さんの同級生たちの、その親たちのことを羨んだりもする。
息子さんは、マイペースな生活を楽しんでおり、コロナ以後のアウトドアブームでキャンプをするようになった。仲間と行ったりしていたが、親も連れていってあげようと思ったようだった。
「それで、キャンプはどうだったの?」と私が聞くと、彼女は思い出すように顔を上げた。「ワタシら、もうこの歳で、地べたで寝るとか、考えられませんやろ。息子に言って、バンガローのあるところにしてもらったんですよ。ベッドで布団で寝ました」
このあたりは話しながら眉間に皺が寄っていた。しかし、次のような話をしはじめると、笑顔になって目が輝いていた。
「でも、焚き火とか、何十年ぶりかでしました。薪が燃える匂いが懐かしかった。食べ物も美味しかったです。息子がホットサンドを作る道具を持ってて。チーズをパンに挟んだだけやったけど、森の中で朝に食べたんですよ。『こんな美味しいもの、生まれて初めて食べた』って主人も言ってました。おおげさやけど。でも、ワタシもそう思いました。外でご飯食べたこととか、あったかな、って」
この人の、そういう表情は初めて見たかもしれないと、私は思った。自分たちと息子さんの未来をイメージの中で嘆きながら、今の暮らしの中ではキャンプに連れていってもらって、大切にされている。地べたで寝ることだって楽しいのだと、そのうち大発見するかもしれない。
古い価値観にとらわれて、楽に生きている子どもの未来を嘆いて暮らすよりも、今、子どもと一緒にいることで得られている幸せを大切に味わってみる。それができれば、人生がかなり変わるかもしれません。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。