子育てに迷う

もくじ
この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第25回

子どもの機嫌をとることへの罪悪感

2024年10月4日掲載

ある知人の女性からの相談でした。共働きで、大都会で二人の小学生を育てている人です。平日、夫の帰りは遅いので、彼女一人で子どもを寝かせるところまでがんばっています。そのなかで、家事をスムーズに進めるために、いろいろ子どもの「ご機嫌とり」をしているが、このままでいいのだろうか、ということでした。

彼女が、仕事を終えて帰宅すると、子どもたちも学童から帰ってくる。そこから夕飯をつくり、子どもを寝かせるまでの時間は「いわば戦場」と彼女は言います。なるべくスムーズにあらゆるタスクを進めて、子どもを寝かしつけ、なんとか自分の時間を確保する。しかし、たいていの場合、途中で子どもたちがケンカを始めたり、癇癪を起こしたりする。そうなると、親もどっと疲れるだけでなく、子どもが寝る時間も大きくずれ込んでしまう。「タスク」という言葉に、その大変さや、彼女の向き合い方が表れていると思って聞いていました。

たとえば、子どもが帰ってすぐに「おなかすいた、おかし食べたい」と言えば、「小さいのならいいよ」と小さなグミやラムネなどを渡す。子どもが「まだ外で遊びたい」と言ったら、「ゲームしていいよ」とゲーム機を差し出す。このように彼女は、できるだけ子どもの機嫌が悪くならないように(彼女としては譲歩して)、子どもの「ご機嫌とり」をして、彼らを思うように動かしているといいます。そうしないと、すぐに時間が押してしまって、結局寝る時間が遅くなってしまうそうです。

こういう話を聞いて、いつも思うのは、そもそも今の日本での育児が、どの親にとってもかなり「無理ゲー」であることです。以前にこの連載(第14回 孫もワンオペ)でも紹介したように、家事や育児の時間は先進国の中で最も短く、しかもその負担が女性に偏っている度合いが最も高いので、当然母親は苦しい。その苦しさの理由は、社会の構造や政治の問題からきているのに、皺寄せの大きな部分が子どもにいってしまっています。親にとって、そこが一番「なんとかなりそうな」ところだからでしょう。だからこそ親は、「子どもをどう動かそうか」というところにとらわれすぎないことが大切です。自分は、今こうやって、子どもに社会の問題の皺寄せをしているのかも、そういう意識を持つべきです。

このようなことを答えられたって「それはそうかもしれないけれど、そんな『大きな話』を聞きたいんじゃないんだよ! 今、今夜に、明日に、困っているんですよ。だから『専門家』とか名乗っているアンタに相談しているんでしょうが!」と、言いたくなるのもよくわかります。相談してきた彼女も、僕が話している途中で、明らかに体が後ろに引けていきました。講演の後でも同じことがよく起こります。でかい話を聞きたいんじゃないんだよ、小さい話をしてくれよ、今どうやったら、子どもとの暮らしが少しでも楽になるのか、子どもや夫を、怒鳴ったり、憎んだりしなくてすむのか。それが聞きたいのだと。

このとき、私は彼女に、聞いてみました。お腹が空いた子に少しのおやつをあげたり、退屈した子が、すきま時間にゲームをすることに、どこか問題があるの? と。自分が子育てしていたときには、そんなことを気にしたことが、なかったからです。そんなことを気にする余裕がなかったというのが正直なところかもしれません。買ってあるおやつを食べるのも、自分の好きな時間にゲームをするのも、子どもたちにまかせていました。好きにしていいよ、ゲームをしていいよ、などと言ってさえいません。許可を親が出すのではなく、彼らが自分で決めていました。なので、彼女がなにを気にしているのかが、ピンときませんでした。

彼女の言うには、夕食までおやつを食べずに辛抱してほしいし、家に帰ったらまず宿題を終わらせてからゲームにしてほしい。子どもたちに求めるのは、そういうことだといいます。でも、実際に、そう彼らに求めると、子どもたちは機嫌が悪くなり、兄弟げんかをしたり、癇癪を起こしたりして、こちらの家事が進まなくなる。なので、仕方なく、本意ではないけれど、おやつやゲームで子どもの機嫌をとって、そういうことを子どもにさせている。そこに罪悪感を感じる。彼女の答えはこんな感じでした。

子どもたちへの期待(それは、子どもに「甘えている」のと同じことです)が、こうであってほしいという要求が、とても高いと感じました。子どもだって、家に帰ったら、好きなゲームをしたり、動画を見たりして、外の生活で疲れた心や体を(学校は疲れますよね)、彼らなりの方法で回復させたいと思っているでしょう。それはむしろ健全なことだと私は思います。大人も子どもも同じだと思うのです。

彼女が子どもたちに、自分の望むとおりの子であってほしいと思うのを聞いていたら、『一年一組 せんせいあのね』に出ていた、次の詩が思い浮かびました。

すきなこども うえがきたかとし

おかあさんは
かしこいこと げんきなこと
はなしをよくきくこと うそつきじゃないこと
ふざけないこと やくそくをまもるこが
だいすきなんだって
ぼくはむりです

『一年一組 せんせいあのね』鹿島和夫著、ヨシタケシンスケ絵、理論社 10ページ

うえがきたかとしくんの詩は痛快です。でも、立派なアピールであり、SOSです。僕にはそんなことできないよ、とはっきり言ってくれています。現実をしっかり見てよ、僕をしっかり見てよ、と親に言っています。あなたは、幻想の子どもを求めているけれど、僕は、現実の人間ですよ、と。お父さん、お母さんが、かつてそうであったのと同じように健全な欲求をもった普通の子どもです。それをちゃんと見てください。この詩はそういうメッセージを送ってくれています。

生活の時間をどんどん奪われている世界の中で、子どもたちは、自分たちの気持ちを落ち着けるために、彼らなりに与えられた環境の中から、快適なもの、自分を楽にしてくれるものを、がんばって見つけ出しながら、生きています。それは心が健康であるということ、社会に適応していくということだと思います。親が望ましいと思うあり方や、こうであってほしいという、親の時代の価値観をあてはめるのではなく、今、子どもたちが見つけ出していることを、もう少し信頼すること。そうすることで、親も気持ちが楽になると思います。家の中で、親が楽な気持ちでいてくれること、家庭で笑顔が多いこと(不機嫌が少ないこと)は、宿題をきちんとすることより、ずっと大事なことでしょう。
このことについては、次の回でも書いてみます。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。