子育てに迷う

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この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第29回

子どもを叱るとき暴力はダメ

2024年11月1日掲載

ある番組から取材を受けました。子どものしつけ、叱り方がテーマのひとつでした。取材に先立って、番組のスタッフから、視聴者から寄せられている質問として、以下が送られてきました。

[質問1]命の危険があるときなどは、きつく叱ることも必要なのではないか?
[質問2]人に迷惑をかけること、暴言を吐いたり、物を壊したり、ダメなことはダメだと伝えるときもきつく叱ってはダメ? それがダメであるならどう伝えるべきか?
[質問3]冷静に伝えたくても、思春期や反抗期で、逃げまわる子ども、無視をする子どもにはどうしたらいい?
[質問4]きつく叱られる経験がないと、弱い人間に育ってしまうのでは? 社会に出て困るのではないか。
[質問5]夫婦で叱り方や叱るポイントが違うとき、どうすればよい? 夫婦で違って大丈夫?
[質問6]叱ると子どもの脳が萎縮してしまうって本当?

このような質問は、講演のあとや面接の中でよく出るものです。私は以下のように回答しました。

[質問1]命の危険があるときなどは、きつく叱ることも必要なのではないか?

小さい子が、車道に飛び出しそうになったときに、叩いて叱るという状況を考えます。子どもを危険な目にあわせてしまったというショック、恐怖や後悔を親は感じるはずです。それらの思いを、子どもを叱るという形で表現しようとしている場合があると思います。道に飛び出してしまうような年齢の子どもであれば、そのような場所で親は手を離すべきではなかった。飛び出しそうになった子どもが悪いのではなく、親の不注意です。意識して変えることができる、改められるのはそこです。
しかし、子どものせいにして叱ることで、心情的には親は安心を得るかもしれません。自分の失敗よりも、子どもの不注意のせいにすることで、間違っていたのは自分ではないと一時的に感じることができるからです。
以前、幼い子どもを連れてパン屋に来ていた親が、子どもが触ってパンを棚から落としてしまったとき、店の人に謝るより先に、子どもを怒鳴りつけているのを見たことがあります。店の人はその声に驚き(そのように私には見えました)、とっさに「いいですよ」と、パンを片づけました。構造は似ていると思います。

親がすべきこと、大切なことは、子どもの安全に配慮することであり、「きつく叱る」のではないと思います。怒鳴ったり、叩いたりして、子どもに痛い思いをさせるのではなく、(子どもがわかる範囲で)ちゃんと言って聞かせることでしょう。言ってもわからない年齢なのであれば、あらかじめ安全を確保するのは親の役割です。

[質問2]人に迷惑をかけること、暴言を吐いたり、物を壊したり、ダメなことはダメだと伝えるときもきつく叱ってはダメ?

ダメなことをダメと伝えるのはとても大事でしょう。しかし、きつく、子どもがおびえるような伝え方をするのは間違っていると思います。それはある意味で、暴言や暴力と同じものであり、暴力はいけないということを、暴力で伝えようとするようなものです。暴力で教えられないと、モノを壊してしまったり、他人に危害を加えてしまう年齢の(そういう発達の段階にある)子どもであれば、親にできることは、環境を調整すること(問題を起こしそうな場所にはまだ連れていかない、など)だと思います。

[質問3]冷静に伝えたくても、思春期や反抗期で、逃げまわる子ども、無視をする子どもにはどうしたらいい?

このような質問も、実によく講演のあとで出ます。このように考えてしまう親は、相手が子どもだから、親である自分の言うことを当然聞くべきだ、と思っているようです。子どもは親に従うべきだ、親の言うことは聞くべきだ、という前提を疑っていません。
もし、相手のために相手に伝えたいことがある場合に、相手が子どもではなく、友人や同僚だったら、あなたはどうするでしょうか。なにかを伝えたいけれど、相手が聞いてくれない場合に、きつく叱ったり、力を使って言うことを聞かせようとはしませんよね。相手に聞いてもらうには、どう伝えるのがいいか、もっと本気で考えると思います。
子どもが、逃げ回る、無視する、ということは、伝えようとしている方法やタイミング、内容が、不適切なのでしょう。それでも、それを伝えることが本当に大切だと思うなら、威圧的な方法に頼るのではなく(そんな方法で伝えられても、子どもは受け取らないでしょう)、あなたと子どものこれまでの関係や、自分や子どもの性格なども考えて、メッセージがなんとか届くやり方を、真剣に探す。それがすべきことだと思います。

[質問4]きつく叱られる経験がないと、弱い人間に育ってしまうのでは? 社会に出て困るのではないか。

私はこれも逆だと思っています。それはたくさんのケースに出会ってきて、その長い経過を見てきてそう確信しているからです。
きつく叱られて、暴言や暴力で言うことを聞かされて育った子どもは、育児する立場や指導する立場になると、今度は、言うことを聞かせるときに、暴力に頼るようになるでしょう。最近よく話題になる、スポーツ指導者による暴力、体罰の問題などを考えるとよくわかると思います。暴力で言うことを聞かされた、屈服させられた子どもは、暴力というコミュニケーションを、受け入れる素地ができてしまっています。保育園や学校で暴力をふるう子は、家で親から虐待を受けている場合が多いというのも、同じ話です。
暴力を受けていない、暴力はダメだ、という価値観をもって育った子どもは、学校や社会で、暴力に出会ったり、暴力を受けたときに、これはおかしい、間違っている、異常な状態だ、ということに早く気がつくでしょう。その状態から逃れたり、助けを求めたり、という適切な対応、反応をとりやすくなるはずです。親や先生、コーチから暴力で言うことを聞かされて育った子どもは、指導と称して暴力を受けた場合に、間違っているのは相手ではなく、自分なのだと思いやすいでしょう。暴力をふるう相手が悪いのではなく、そういう行動をとらせてしまった自分に落ち度があったのだと考えてしまうのです。

[質問5]夫婦で叱り方や叱るポイントが違うとき、どうすればよい? 夫婦で違って大丈夫?

考え方や方針が夫婦で違うのは当たり前だと思います。合わせる必要があるのなら、二人で話し合えばよいでしょう。そのときに、感情的になって大きな声を出すとか、自分の考えばかりを長々と話す(聞かされているほうからしたら、監禁されているのと変わらない)など、暴力的な、支配的なやり方は、ダメだということです。子どものことで、両親がよくない雰囲気で話し合っているというのは、子どもにはつらいことです。自分のせいでけんかしているように見えるからです。
こう書きながらも、私も、子どものことで妻と方針がぶつかって、数えきれないほどの口論をしてきました。子どもは聞いていたかもしれないし、聞こえなかったとしても不穏なものを感じていたことでしょう。相手を言い負かさねばならないと必死になったり感情的になったりするのではなく、これは育児のなかで必ず出会うチャレンジであるけれど、自分たちが夫婦として成長していくチャンスなんだとわかっていたら、相手をもっと大事にできただろうに、と思います。

[質問6]叱ると子どもの脳が萎縮してしまうって本当?

本当です。子どもにとっては、怒鳴られるのも(過剰な聴力への刺激)、叩かれるのも(過剰な触覚、痛覚刺激)、暴力シーンを見せられるのも(過剰な視覚刺激)、とても不快な感覚刺激であって、痛みや恐怖などの情動反応(びくっとしたり、ドキドキしたり、目をつぶったり、泣き出したり、など)を引き起こします。
わが家の三男は、感覚過敏な性質がありました。大きな音が苦手でした。入っていたサッカーのクラブで、自分ではなく、ほかの子が叱られても、コーチが怒鳴るたびに、びくっと体を震わせて目を閉じていました。彼にとっては叩かれているのと同じです。想像してみたらわかります。私だって、怖そうな外見の大きな相手から「オイ!コラ!」などと目の前で威嚇されたとしたら、ドキドキして恐怖で固まってしまうでしょう。それは、脳にとっては殴られたのと同じことです。暴力を受けた場合と同じ恐怖の反応が身体に起こります。

子どもはきつく叱らないとダメだ、痛い目にあわせないとわからない、など暴力を肯定する子育てや教育のやり方。これらは昔は当たり前だった価値観です。昔のアニメでは、親や先生が、子どもをなぐったり、廊下に立たせたり、正座をさせたりする場面が普通に出てきました。それが現実の世界でも当然だったからです。でも、今それをやったら、ニュースに出るかもしれません。ようやく暴力はだめだという価値観が社会に広がってきていると思います。

10年ほど前まで、外務省の職員や商社の駐在員など、海外で働くいわゆるエリートの日本人が、妻を殴って逮捕されたというようなニュースが、ちょくちょく報じられました。日本では許されてきた(見過ごされてきた)ことが、海外では犯罪であり、逮捕されるという認識が広まっていくきっかけのひとつになったと思います。同じように、日本には「しつけ」と称して暴力が肯定されてきた下地があります。

子どもに本当に「わからせる」必要があるとき、大切なことを伝えたいとき、どうやって暴力以外の方法で、子どもに向きあったらいいか、親はしっかり考えなければなりません。50代である私の世代は、自分の親や先生から、正しいやり方を教えてもらえなかったので、そこに難しさがあります。

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著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。