自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
「豚の珍味出てる」というLINE
昨夜、末っ子からめずらしくLINEがあった。テレビ番組の放送を紹介したネット記事のURLと、「豚の珍味 でてる」の2行だけだった。
番組予告の動画を見ると、横浜駅の近くの古い飲食街の紹介だった(実際の店の名前は「豚の味珍 (まいちん)」)。他人には、なんのことかわからないだろう。しかし、僕たち親子にはとても思い出深い話なのです。行ったことはないけれど。
この連載の第8回(「吹雪の中を」)で、2月に末っ子が受験で横浜に行ったときの話を書いた。あれはもう、はるか昔のように思えるけれど、まだ今年の出来事なのだと、とても不思議な気がする。
あのとき子どもは初めて一人で旅して受験に向かった。ホテルで泊まる子どもに、妻が「晩御飯は食べた?」と母親らしい質問を送った。それに対して、子どもからは、「歩いて探してたら、狸小路ってところに来た。ご飯屋と思って入ったら思いっきり飲み屋だった。でも豚の耳とかをおかずにごはん食べた。うまかった」という返事が来たのだった。
自分たちなら受験のときにそんな行動はしない。でも、息子は違った。自分や妻とは違うやり方で、その時間を味わっていたし、楽しんでさえいた。あのときに、妻も僕も、なんでそんなことをするんだ、やるべきことがあるだろう、とは思わなかった。それよりも、子どもの独立を感じた。子どもは、自分たちとは世界の見方、感じ方が違うのだと、はっきりとわかった。それは、遠く離れたところで、一人で考えて動いている彼の姿をイメージしたから尚更そう思えたのかもしれなかった。もう彼に起こるいろいろな出来事は、僕たちがどうこうできることではなくなっている。
そして、世界への向き合い方が、子どもと自分たちでは違うということは、この先のお互いの人生の、ほかの場面でもそうなのだと、わからせてくれた。そういう大切な出来事だった。それが第8回の文章のポイントだった。子どもに去られる親である自分をはげます、気持ちをしっかり持とうという、そういう内容だった。
それから半年以上たって、その店のあるあたり、なつかしの狸小路が特集されるということを、彼はネット記事で見かけた。彼にとって大切な思い出である真冬の受験。そのときに元気をもらった(であろう)、あの店の話題を、親にも知らせようと、そういう気になってくれた。それぐらいは親が自分に関心を持っているだろう、親もこの記事を見て喜ぶだろう、そういう彼の信頼を感じて、とてもうれしかった。
おおげさに言えば、ともに語るに値する相手だと、子どもが思ってくれていることを感じて、うれしかった。
そして、今、彼は元気だということも、このLINEからわかる。気持ちが沈んでいたり、なにかに追い込まれてしんどくなっていたら、こういうLINEは来ないだろう。そういうことも思った。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
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第26回ごはん一杯おかわりするならゲーム15分
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第27回理由も聞かずに味方になる
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第28回いわゆるゼロ日婚約の知らせ
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第29回子どもを叱るとき暴力はダメ
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第30回「豚の珍味出てる」というLINE
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第31回ゼッケンは毎年、つけ替えること
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第32回反抗期を長引かせる方法
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第33回この不幸を手放したくない?
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第34回あえて甘えさせるという育児のぜいたく
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。