本が手元にないと困るのです。例えばお風呂、歯磨き中、はたまたトイレでも読書せずにはいられない。
そんな私がひょんなことから書店員になりました。書店員って落ち着いたイメージでしたが、なってみたら全然違う! 日々、思いもよらぬ問合せに大わらわ!!
そんな書店員の日々、ちょっとのぞいてみませんか? 読めばあなたも書店に行きたくなるかもしれません。
※ 実際のエピソードから、個人を特定されないよう一部設定を変更しております。
夫に「大好き」って言えますか?
「森田さん、もしかして元気ない?」
声をかけてきたのは、定期的にご来店されるお客さま。
数ヶ月に一度、ご夫婦でいらっしゃって、買い物かごいっぱいにお買い物されます。内容も、小説、コミックス、新書、理工書や人文書と多岐に渡っており、知識の泉のようなご夫婦なのです。
「元気がないように見えましたか? ご心配をおかけし申し訳ないです……」
私が言うと、「いいのよ、私は全然気づかなかったけれど、主人が『なんだか元気がないように見える』って言うものだから」。
実は数日前、愛犬が1年半あまりの闘病の末に亡くなったのです。
ゴールデンレトリーバーと大型だったので、介護で腰を痛めてヨレヨレな上、ふとした時に悲しくなり、時間や場所を問わず涙が溢れ出てしまうのでした。プロとして恥ずかしいですが、本屋は思い出すきっかけをあちこちで与えてくれる場所で、写真集や雑誌、小説の表紙や幼児向けの知育絵本……油断も隙もなくゴールデンレトリーバーが目に入ってくるのです。
いっそ休んだ方が良いのではと思いつつも、ずっとこの状態の可能性も無きにしも非ずで、早々に日常生活に戻ったというわけです。
少し離れたところで、人文書の新刊をご覧になっていたご主人が、こちらを見て手を振ります。私が頭を下げると、小さくガッツポーズをしてくださいました。
「すごく小さなことにもお気づきになるかたですね。私のような店員にもお優しいですし……」と言うと、奥さまは「そうね。長年一緒にいるけれど、そんなところはやっぱり大好きかな」
自分の母より歳上のお客さまが言った「大好き」の一言に、私はキュンとしてしまいました。
「森田さんもご主人のこと大好きでしょう?」
「え? どうでしょう……。“尊敬“という気持ちが強いかもしれないですね」
「ずっと一緒にいらっしゃるかたを尊敬しているなら、それは大好きってことよ」
「そ、そうかな……。そうかもしれないですね……(笑)」
「ところで、本当に大丈夫? 顔色もあまり良くないように見えるわよ」
ヒーーーーーー顔色悪いですかね? ? 私は慌てて、「ご心配をおかけして申し訳ありません! 実は、愛犬が数日前に亡くなって、すぐ泣いてしまうので、アイメイクをしていないんです……!」
実は昨日まできちんとアイメイクをしていたのですが、しょっちゅう泣いてドロドロになるので、今日は最小限にしたのでした。顔色が悪く見えているとは……。失敗したー!!
かごに何冊も本を入れて、こちらにいらっしゃったご主人が、「それはかわいそうに。悲しくて当然ですよ」。
「私たちも、何年も前に愛犬を亡くした時は何日も泣いたわよねぇ」
10年ほど前に、愛犬のバーニーズマウンテンドッグを亡くされた時、おふたりは何ヶ月も一緒に泣いたそうです。
「ご家族でたくさん泣いて、それで乗り越えていけばいいんですよ」
優しいご主人の言葉に、数日前、家族とご近所さんで見送った愛犬の納棺で、人目も憚らず大粒の涙を流していた夫の顔が浮かびます。
「そうですね。ありがとうございます」
「私たちもやっと、犬が出てくる小説も読めるようになったのよね。何年も読めなくてねぇ」
ならば……と、犬を題材にした直木賞受賞作が文庫化したことをお伝えすると、すでにたくさん入っているかごに追加します。
おふたりがお帰りになった後、私も久しぶりに本を買って帰ることにしました。
愛犬の介護と死で、ここしばらく読書をする気持ちになれなかったのです。
ずっと欲しかった本、今日買おうかな。
ま、面と向かって夫に「大好き」とは恥ずかしくて言えないし、もし言ったとしたら夫は目を白黒させちゃうと思うけど、一緒に悲しみを乗り越えて、あのご夫婦のように仲良く歳を取れますように。
【お客さまにおすすめした本と、私が買った本】
『少年と犬』
馳星周/文藝春秋
読んだら分かる。馳先生は、ものすごく犬のことを理解している。小説の中の犬が、忠実で優しく本当に生きているよう! 東日本大震災で飼い主を亡くした犬の「多聞」が、様々な人たちと関わりながら目的地を目指します。犬と暮らしたことがある人なら、きっとハッとする場面がいくつもあるはずです。

『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』
内田也哉子/文藝春秋
樹木希林さんと内田裕也さん、立て続けにご両親を見送った内田也哉子さんが、15人の著名人に会いに行く。内田さんが投げかける家族についての繊細で切実な質問と、それに答える方々の優しさ。内田さんのエッセイの美しさ。私の喪失は私にしかどうにも出来ないけれど、明日も顔を上げて生きて行こうと思わせてくれる一冊。

-
第1話いつか子どもと繋いだ手を離すのだから。
-
第2話誰かと一緒にごはんを食べる幸せについて。
-
第3話いくつになってもきれいになる努力をする権利はあるのだ。
-
第4話世界一素敵なプレゼント
-
第5話25年振りの、夫婦水入らず
-
第6話新しい年は、少しだけ新しい自分で。
-
第7話大人のダイエットは、健康ありきなのである。
-
第8話宿題やったか?お風呂入れよ、歯磨けよ!…終わった? よし、ミステリの世界へ行ってらっしゃい!
-
第9話うちの店長は声がでかい。
-
第10話ある書店員の平凡な一日。
-
第11話お求めの本が見つからない日だってあるのです。
-
第12話大切な人の親に会いに行くなら。
-
第13話離れて暮らすことになる父の健康を願って。
-
第14話古い友人との再会
-
第15話うちの店の仕事ができるアイドルの話。
-
第16話夫に「大好き」って言えますか?
1981年茨城県生まれ。書店員。転勤族の夫とともに引っ越しをくり返している。現在は、夫、息子、娘、犬1匹、猫4匹と暮らしながら、東京の片隅の書店に勤務中。
初めての著者に、『書店員は見た!〜本屋さんで起こる小さなドラマ』(大和書房)がある。